10月11日(木)発売の「小説 野性時代」2018年11月号では、赤川次郎「鼠、無名橋の朝に待つ」の連載がスタート!
カドブンではこの新連載の試し読みを公開します。
>>「鼠」シリーズ特設サイトへ
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凍えそうな夜更けに急病の患者を診た帰り道、橋の上に人影が――?
江戸一の人気を誇る義賊、〈鼠小僧〉が待望の再登場!
体の芯まで冷え切ってくる朝だった。
どうして雪にならないのかといぶかるほどの寒さの中、霧のような雨が降っていた。傘をさしても、細かい雨にはほとんど役に立たず、雨にまとわりつかれたように体中が濡れていた。
「ごめんなさいね、次郎吉さん」
と言ったのは、女医の千草である。
「いやなに……。それより、千草さんこそ夜っぴて患者を診ていなすったのに……」
「それは医者の役目ですもの。わざわざ次郎吉さんにご案内をお願いしたばっかりに」
二人とも、声は囁くようだった。話しながら吸い込む空気が凍えるように冷たかったのだ。
冬の遅い夜明けで、やっと辺りが見えてくる程度の明るさだった。
夜、突然の使いで、急な発作を起したという患者に、千草の父、仙田良安せんだりょうあんは自分が風邪をひいて寝込んでおり、次郎吉とその妹、小袖の所で鍋をつついていた千草へと、助手のお国を走らせたのである。
行先を聞いて、千草には不案内な辺りというので、
「兄さん、案内しておあげなさいよ」
と、小袖が兄をつついた。
「ああ、いいとも」
ちょっと酒も入っていて、次郎吉は気軽に腰を上げたが……。
夜明け近くになって、やっと静かに眠った患者のもとからの、この帰り道。
「お国ちゃん、大丈夫なの?」
と、千草が薄着のお国を気づかうと、
「百姓はこんな寒さぐらい、どうってことありません」
と、いつもながら元気のいい少女である。
「次郎吉さん」
「何だ」
「千草先生をしっかり抱いてくといいですよ。あったまるし」
「よせ。そんなことできるか」
と、次郎吉はお国をにらんだ。
「さあ、もう少しだわ」
と、千草が白い息を吐く。
「あれ?」
と、お国が、「橋のとこに誰かが……」
「橋?」
ずいぶん古びた橋である。下の堀の水に細かく雨が煙っていた。
その橋の中ほど、誰かがうずくまっているようだ。
「よく見付けた」
と、次郎吉が言った。「具合が悪いにしても、傘もなしで、あれじゃ凍え死ぬ」
「本当ですね」
さすがに千草は寒さも忘れたように足を速めて、橋へと急いだ。むろん次郎吉も遅れずに続く。
「まあ……」
千草が思わず息を呑んだのは、うずくまっているのが、二十歳になるかどうかの町娘だったからで、顔は紙のように白い。
「息は?」
次郎吉が千草の傘を持ってさしかける。千草はその娘のそばにしゃがみ込んで、娘の手首の脈を取った。
「打っていますが、弱いわ。凍え切っている。急いで診療所へ運ばないと」
次郎吉は、
「お国!」
と、大声で、「診療所へ走れ! 湯を沸かしておくんだ!」
「はい!」
お国が駆け出して行く。次郎吉は二本の傘を千草へ渡すと、
「この娘をおぶって行きます。千草さんは後から」
「はい! お願いします。私も走ります」
次郎吉は娘を背中におぶった。そして、お国の後を追って走り出した。
「生き返ったぜ……」
と、次郎吉は呟いた。
診療所の風呂に浸かっていた。あの霧雨の中、冷え切って意識のない娘を、ここまでおぶって来た。
そして、凍え切った体を、熱い風呂に浸しているのだ。
しかし――次郎吉はこうして風呂に入っていられるが、千草もお国も、休みもせず、あの娘を助けようと頑張っている。
「かなわねえな、千草さんにゃ」
と、手拭いで顔を拭きながら呟くと、戸がガラッと開いて、
「何がかなわないの?」
と、顔を出したのは、妹の小袖。
「おい! 覗くな!」
「兄さんの裸なんて見慣れてるわよ」
と、小袖は言った。「ここからお使いが来たの。兄さんの着るものを持って来たわ。ここに風呂敷に包んで置いとくからね」
「分ったよ」
「ごゆっくり」
と、小袖は言って戸を閉めた。
「どんな具合?」
と、小袖は奥の部屋を覗いた。
「小袖さん。わざわざ悪いわね」
と、千草は言った。
「いいえ。兄さんはあれでも丈夫だから。人助けも好きだし」
「よく知ってるわ」
お国が、布団に寝かした娘の裸の体を、せっせとこすっている。
「――橋の上でうずくまってたって?」
と、小袖は言った。
脱がせた着物が広げてある。――上等な品だ。
「どこか、いい家のお嬢さんのようね」
(このつづきは「小説 野性時代」2018年11月号でお楽しみください)
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