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連載

~皆川博子幻の名作『ゆめこ縮緬』復刊に寄せて~ vol.6

【幻の作品が復活! 皆川博子『ゆめこ縮緬』復刊企画⑥】「文月の使者」冒頭公開&おすすめコメント・門賀美央子(書評家)

~皆川博子幻の名作『ゆめこ縮緬』復刊に寄せて~

皆川博子さんの短篇は「冒頭がすごい」「引き込まれる」と話題です。幻想・綺想をこよなく愛する7人の本読みの達人に、『ゆめこ縮緬』収録作の中で、書き出しが好きな作品を教えていただきました。
1篇にしぼるのはとても難しい! といううれしい悲鳴の中、皆さんが選んでくれた作品の試し読みをします。ぜひ皆川ワールドに触れてみてください。

推薦コメント

「文月の使者」
私などがとやかく言う余地など一寸もない、完璧な書き出し。文学の最高峰。およそ怪奇幻想好きでこの一文に心を鷲掴みされぬ者などいるだろうか? 「皆川小説」の神髄、言の葉で塗り替えられていく世界を体感してほしい。
――門賀美央子(書評家)

試し読み

      1

「指は、あげましたよ」
 背後に声がたゆたった。
 空耳。いや、なに、聞き違え……。
 くずれ落ちた女橋のたもと、桟橋への石段を下りようとしたときだった。川面かわもまでほんの三、四段。すりへった石段は海綿のように、一足ごとにじわりと水を吐き出す。振り返ろうとして足がすべり、あやうく身をたてなおす、その間に、声の主は、消えていた。怪しげな術を使ったわけでもあるまい。路地のかげに曲がって行ったのだろう。
 明石縮あかしちぢみが透けたすがすがしい夏ごろも。パラソルが、くるりとまわったような気がする。いや、パラソルなんぞさしてはいなかった。襟足を涼やかにみせた櫛巻くしまき。身にまとったのも、白地にあい菖蒲しょうぶを染めた浴衣ゆかた。素足に下駄げた。その鼻緒が男物のような黒で……ぬかるんだ道を、足の指もかかとも真っ白なまま。
 なにしろ、振り向いたときは姿がなかったのだから、声から想像をたくましくするほかはない。ちょっとしゃがれぎみの、それでいてなまめかしい……。
 声の主ばかりではない、だれひとり、人の姿は見えない。
 昨夜の雷をまじえた豪雨が、中洲なかすの住人をきれいさっぱり洗い流してしまったとでもいうのか。
 男橋、女橋、二つながらに壊れ落ちていた。男橋は、落雷にあったらしい。折れ砕けた橋桁はしげたは焼け焦げて黒かった。後追い心中でもしたか、女橋は腐れた橋桁が折れ曲がり、橋板はななめにゆがんで、片端は水に没している。
 はじめて女橋をわたり中洲を訪れたのは、三年前。すでに、欄干が朽ち、板に穴があいた、危うい橋ではあった。そのときも、豪雨に襲われた。二つの橋が落ちたら、孤立無援の中洲は、舟になってただよいだすんじゃないか。そう言ったのは、弓村だったっけが。
 昨日、女橋をわたって中洲にきたときは、まさか、これが落ちるとは思わなかった。
 渡船場の桟橋には、小舟がもやってある。
 濁った水が、桟橋を洗う。その板も腐ってかびとも青苔あおごけともつかぬさび色まだら。水かさがました川面にはあくたもくたが漂い、くいにひっかかって、におの浮巣のようだ。
 船頭は客が集まるまでどこかで休んでいるのか、姿が見えない。もやった舟は、半ばまであかがたまって、気色悪い。これで人が乗ったら、沈みそうな。
 地面が吸い込んだ昨夜の雨は、温気うんきとなってたちのぼり、おそろしく蒸す。頭上から照りつける陽の光さえ、熱い霧の束となって降り注ぐ。目の前のものが揺らいで見える。
 指はあげましたよ。空耳でなければ、聞き違えだ、と、もう一度自分に言い聞かせながら、ふところ手をたもとにのばし、さぐった。つぶれかかったたばこの紙箱。あけてみるとシガレットのかわりに断ち切った指なんぞ入っていて……。
 ばかばかしいと苦笑しながら、紙箱をとりだす。一服、と思ったのだ。空っぽだ。くしゃくしゃになった銀紙ばかり。握りつぶして、水に投げ捨てた。
 ふと、目についた。杭にひっかかった芥にまじり、女枕がひとつ、たゆたゆと、川浪にゆれている。
 船底型の箱に小枕をくくりつけた、その箱がなまめかしい朱漆塗りで、もっとも、よほど時代がかって、まだらにげていた。小枕はたっぷりと水を吸い込んだようす。枕紙は、手紙の書き損じでももちいたものか、墨の文字が水ににじむ。
 とけた……と、まず読めたが、次の文字が読みとれぬ。
 目をこらす。
 黒髪……。そう読めた。
 髪……。
 以前の彼なら、髪の一文字にぞっとしただろうが、もはや、おびえることは何もありはしない。
 それでも、〈髪〉へのこだわりが消えたわけではなく、好奇心から手をのばした。水はぬるりと、のりを溶いたようだ。片手ですくいあげる。藁屑わらくずやらなにやら、枕といっしょに手にすがった。足元の板が腐っていた。たよりなく折れ、はずみで前によろけ、それでも枕をはなそうとしなかったから、からだごと落ち込むところを、「危ない」と、うしろから、ささえる手。背後に人が近寄っているのに気がつかなかった。
 抱き起こされながら、片手はしっかり枕の木箱をつかんでいた。
「とんだ落とし物をなさったね」

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