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連載

~皆川博子幻の名作『ゆめこ縮緬』復刊に寄せて~ vol.5

【幻の作品が復活! 皆川博子『ゆめこ縮緬』復刊企画⑤】「影つづれ」冒頭公開&おすすめコメント・朝宮運河(ライター&書評家)

~皆川博子幻の名作『ゆめこ縮緬』復刊に寄せて~

皆川博子さんの短篇は「冒頭がすごい」「引き込まれる」と話題です。幻想・綺想をこよなく愛する7人の本読みの達人に、『ゆめこ縮緬』収録作の中で、書き出しが好きな作品を教えていただきました。
1篇にしぼるのはとても難しい! といううれしい悲鳴の中、皆さんが選んでくれた作品の試し読みをします。ぜひ皆川ワールドに触れてみてください。

推薦コメント

「影つづれ」

狂(たぶ)れた、と思う。

試みにこの一行を隠してみる。「行けど行けど、果てしない野である」。ここから書き出しても十分に意味は通じる。しかし作品に漂う妖しの気配は、途端に消え失せてしまうだろう。現実に向かって鋭い角度で放たれた、矢のような一文。
――朝宮運河(ライター&書評家)

試し読み

      1

 たぶれた、と思う。
 行けど行けど、果てしない野である。
 秋草が道をはばみ、いや、道などはじめからありはしない、尾花をかきわけ踏み出せば、一足だけの空間は生じるものの、歩んだうしろはたちまち、茫漠ぼうばくすすきの原。
 まばゆく、火の粉の朱じゃあない、穂の銀砂子どっとなびいて降りかかり、全身月光にうちのめされ、おもわずよろめく足を草にかくされた石塊いしくれがすくう。
 やがて、硫黄いおうのにおいが鼻をつき、視野をしめるのは、岩石ばかりとなった。
 赤褐色、茶褐色、鉄錆さび色の岩を、乗り越え踏み越え、歩く。
 ──散り舞う桜をば、夢見草とも呼びます。ご存じないか。春に狂った魂が、秋の宿に夢を見せます。おまえさまの仮寝の枕は、夢見草の花びらをつめたものであったから、狂れるのも不思議はございますまい。
 芒の葉ずれのような声が、岩の割れ目から噴き出す霧にいまざる。
 ──衣くだされ。布くだされ。

      2

 ころもくだされ、ぬのくだされ。
 めざめたとき、その言葉が意識に残っていた。
 つぶやいてみる。
 ──衣くだされ。布くだされ。
 言葉とともに、においも、夢からただよい残った。
 行灯あんどんではござんせん、ランプがありますと、宿の女中は自慢げに言ったっけが、その天井から吊り下がったランプをつけるには、蒲団ふとんから起き上がらねばならず、おっくうだ。
 月明りの夜空の方が座敷よりは明るいのだろう、雨戸の破れ目が、ほのかに見分けられる。
 硫黄のにおいも、そこから洩れ入ってくるのだ。
 なまじ、わずかな明るみがあるために、部屋の闇の中にさらに濃い闇の塊がある按配あんばい。あれは床の間の置物。これは屛風びょうぶ。昼に目にしたものをよみがえらせば、察しがつくものの、少しずつふくれあがり伸びあがるとも思える。目の迷いだ。
 春に散り舞う桜をば、夢見草とも呼びます。ご存じないか。
 ご存じないか。そう、おれに言ったのは、だれだ。
 おれは知らなかった。
 春に狂った魂が、秋の宿に夢を見せます。
 なにが、夢見草の枕なものか。籾殻もみがらをつめた坊主枕。
 代々の泊まり客の、しみこんだ髪の汚れや脂が、枕紙からじわりとにじんで、首筋に冷たい。
 寝巻代わりの宿の浴衣ゆかたは、のりがききすぎ奴凧やっこだこみたいにこわばって──こんな衣ならくれてもやろう、片肌ぬいだ。襟首がひりひりする。
 もう一度、秋の荒れ野で狂おうか、と目をつぶったが、頭蓋ずがいの下のひとところがしんとえて眠りに入れない。
 ふと、思う。似たような夢を、いつだったか、見たことはなかったか。
 衣くだされ。布くだされ。
 うつつの耳にきこえた。
 彼は起き上がり、雨戸を開けた。雨戸のむこうに夢のつづきがあるような錯覚を、錯覚と知りつつ確かめたくなったのだ。縁のすりへった板戸は、きしんだ音をたてた。
 月光にれた大小の岩の群は、夢で見たさまそのままに、ばくりと割れた断面が黄色の華にまみれ、欠け落ちた小さい破片の一つ一つが針の先端のようで、そのとき、
 衣くだされ。布くだされ。
 声が、内耳にひびいた。
 床の間と反対側の壁の一間いっけん幅が、黒漆の枠に赤樫あかがしの一枚板をはめこんだ引き違いの板戸で、声はそのむこうから……。
 いや、空耳だ。
 現に聞こえたのは、
「ちっと、ごめんなさいまし」
 はばかるように、
「お声をかけてもようござんしょうか」
 柱も鴨居かもいもすべて黒漆塗りで、昔は本陣ででもあったのかと思う重々しさだ。
 開けはなした窓から斜めに差し入る月光は畳の上に流れをつくり、板戸にい上がり、柾目まさめをえぐる。
 板戸のむこうは、押入のはずだ。女中がそこから蒲団をだしてのべたと思う。宿の者がいらぬ気をきかせ、押入に、商売女をひそませておいたか。まさか。板戸の隣も、客を泊める座敷なのか。
 蒲団は廊下から運び入れたのだったか。記憶をたどりかえすと、あやふやになった。
「夜分、ぶしつけではございますけれど、お目覚めのようなので」
「は、そりゃあ、かまいませんが」
 どぎまぎした。片肌ぬいだ浴衣の肩をいれ丹前たんぜんをひっかけ、寝乱れた蒲団をいそいで丸めて、
「取り散らしていますが」
「いえ、板戸越しでけっこうなんでございます。殿方のお寝間をのぞくような不埒ふらちはいたしません。あの、ふと目が覚めましたら、寝そびれて、そして、あの、なんだか、怖いんでございます」
「お化けの気配でも」
 わざと冗談めかした。
 なにか出ても、さこそとうなずける古家である。

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▶【次回予告】書評家・門賀美央子さんイチオシの短篇は……?


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