どんな本も、ただけしからんという理屈で消し去ってはいけない――杉江松恋の新鋭作家ハンティング『貸本屋おせん』
杉江松恋の新鋭作家ハンティング

高瀬乃一『貸本屋おせん』書評
書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、物語の可能性を信じさせてくれる一冊。
一徹すぎて生きるのが下手。しかし背筋の伸びた姿勢に惚れ惚れする。
高瀬乃一『貸本屋おせん』(文藝春秋)の主人公おせんは、そういう女性である。
せんが暮らしているのは浅草福井町の千太郎長屋、花街として知られた柳橋の裏手に当たる付近だ。うらぶれた長屋の入り口、頭上の横板には『貸本梅鉢屋』の札が貼り付けられている。それがおせんの屋号である。札は風雨にさらされて破れ、その下の『板木屋平治』の札が見え隠れする。平治とはおせんが十二歳のときに亡くなった父親の名前である。
平治は彫師であった。江戸時代の出版は木版である。絵を印刷するのであれば、原画を写した板木を起こさなければならない。そこで必要とされるのが彫師で、元の筆致を活かすも殺すもその腕次第だったのだ。「後れ毛平治」の異名を取るおせんの父親は名工であった。だが『倡門外伎譚』という読本を手がけたとき、悲劇に襲われた。その内容が幕政批判ともとれる内容を持つ物語だったため奉行所の逆鱗に触れてしまったのだ。本は絶板を命じられ、平治は目の前で板木を割られた上で指を折られた。彫師として生きていけなくなった平治は酒に溺れ、妻に去られる。そして自らは川に身を投げて死んでしまったのだ。
寛政の改革による言論統制が行われてから十数年後の文化年間に時代は設定されている。第一話「をりをり よみ耽り」で甲子(一八〇四年)から五年後とあるから、一八〇九(文化六)年か。父の死後、おせんは貸本屋となることで人生を立て直していた。江戸時代の貸本屋は担い商人だから、家々を訪問して本を置き、貸出料を取る。だからさまざまな家のご内証を見ることにもなる。第四話の「松の糸」では奇妙な頼まれ事をされた。放蕩者の若旦那が珍しく真面目に惚れたお松という女性は夫に先立たれていた。その元の夫は本を多数持っていたのだが、中の一冊をどうしても取り戻したいのだという。書名を聞いてびっくり、なんと『雲隠』である。ご存じ紫式部作の『源氏物語』には幻の『雲隠の帖』がある。写本が一作残っておらず、実際には書かれなかったのではないかという説が有力だ。それがもし現存していたのだとしたら大変な価値があるはずで、おせんは必死で探し回る。
こんな具合に、本にまつわる五つの事件が描かれる連作短篇集だ。第一話の「をりをり よみ耽り」は第百回オール讀物新人賞受賞作である。平治の死のいきさつと、それを経て貸本屋を始めたおせんの覚悟がこの話では語られる。大筒屋は、表向きは小料理屋だが、裏では女中たちに春をひさがせているという噂のある店だ。その蔵に大量の本が積まれていると聞き、せんは写本を作るために日参する。筆写をしていると、せんの耳にはだれかの声が聞こえてくる。おそらくは、「本を作ることに携わった職人たちの、魂のかけらのようなもの」だ。一字も失わないよう、せんは筆を走らせていく。
せんは本をこの世に残すということに執念と言ってもいい思いを抱いている。無念の死を遂げた父の仇討ちという気持ちもあるのだろう。御公儀、すなわち時の権力者に喧嘩を売るつもりで貸本屋をやっている。幼馴染の登はそんなせんを案じ、自分のところに嫁に来いと言う。だが憎からず思いつつも、兄妹のように育った登とそんなことになるのはせんにとって「物語と挿絵の場所がずれるような、ちぐはぐさ」に感じられてしまうのだ。とあるいきさつから、登は平治の死に負い目を感じている。それは後悔であって愛情ではないのだ、とせんは自分に言い聞かせる。
貸した本だから延滞したり紛失したりしたら当然損料が発生する。始末をつけるのも貸本屋の仕事だ。第五話の「火付け」では、そのためにおせんは面倒事に巻き込まれる。本を借りたまま、小千代という女郎が足抜け、つまり遊廓から逃亡したのだ。捕まれば凄惨な私刑を加えられるとあって、おせんは彼女の身を案じる。さりとて、貸した本の『両禿対仇討』は、ある理由から絶対に取り戻さなければならないのである。小千代を隠すとためにならない、と凄む妓楼の者たちに毅然たる態度を取ったために、おせんの身にも危機が迫る。五つの話はどれも意外性のあるプロットで書かれており、時代ミステリーとしても興味深く読めるが、特にこの「火付け」では大胆なトリックが使われていて感心させられた。たんに意外性があるだけではなく、おせんの肚を括った生き方がそこに現れていて、真相を知ったときに痛快な感情が込み上げる。
本を刷るのに必要な板木が何者かによって盗まれる第二話「版木どろぼう」、幽霊による殺人事件が起き、一枚の美人画がその謎に絡む第三話「幽霊さわぎ」など、扱われる事件の種類も多様なので、読んでいて飽きがこない。「版木どろぼう」では事件に、一八〇七年に起きた永代橋落下事故が絡んでくるのである。そうした歴史的事実も読者の負荷にならないような噛み砕いた形で語られる。せんという主人公の目を通すことで、文化年間の情景が活き活きと浮かび上がってくるのだ。
読書を愛する人は、本の小説として『貸本屋おせん』を読むのではないかと思う。せんが扱うのは本全般、春画のような今で言う成人指定のものも分け隔てなく商っている。それらはすべて、せんにとっては同じ本なのである。「ただけしからんという理屈だけで消しさってはいけない」と、せんは思っている。
――本は一場のたわむれだ。ありもしないことを、さも当たり前のごとく書き記した本や絵巻は、人の目にふれなければ無いに等しい。だったら無くてもいいと御公儀は断ずるのだろうが、ささやかなたわぶれ心によって、町の民びとは生きる希みを得ることもあるのだ。
せんという主人公の姿勢が読者の胸を打つのは、彼女が情熱を燃やす対象が、思いの伝達という形のないものだからだ。本はそれ自体は物にすぎないが、読まれることで人から人へ何かを伝えるかもしれない。せんが守ろうとしているのは、その可能性である。可能性を信じ、それを奪おうとする者と闘う。これはそんな主人公の物語である。