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連載

杉江松恋の新鋭作家ハンティング vol.41

芥川賞候補となった、自由についての小説――杉江松恋の新鋭作家ハンティング『我が友、スミス』

杉江松恋の新鋭作家ハンティング

『我が友、スミス』書評

書評家・杉江松恋が新鋭作家の注目作をピックアップ。
今回は、すっとぼけたような筆遣いが味わいの一冊。

 今いる場所から抜け出したいと思いつつも面倒臭くて後回しにしがちなすべての人に。
 石田夏穂『我が友、スミス』(集英社)は「別の生き物になりたい」というのが自分の密かな願望であったことに気づいた女性の物語である。題名を見て、スミスってなんだ、誰だ、アメリカ人か、と十人中九人は思ったのではないか。
 人ではない。機械である。
――スミス、もといスミス・マシンはバーベルの左右にレールがついたトレーニング・マシンである。レールがついていると、バーベルの軌道が自ずと定まるため、バランスを確保する必要がない。つまり、フリー(ダンベルないしはバーベルのみを使うこと)では危なっかしいチャレンジングな高重量も、スミスなら比較的安全に扱えるのだ。
 語り手の〈私〉ことU野は、さる企業に入って六年目になる平凡な会社員だ。「私の人生には、冬場のビタミンCのように、主体性が足りていなかったのかもしれない」と来し方を振り返る彼女は、職場でもひたすら気配を消すことに徹するような暮らしを送っていた。それほどの高い理念もなくジムに通っていたある日、〈私〉はO島という女性に勧誘される。個人で設立するパーソナル・ジムに来ないかというのだ。
 O島は日本のボディ・ビルを牽引してきたJ協会の理事という要職に就く重鎮である。全国に星の数ほどもあるフィットネス系大会の中で最も「ガチ」とされるJ大会を主催する団体だ。ボディ・ビルに取り組む女性は、周囲から無理解な視線を向けられてきたという歴史がある。そうした偏見をはねのけながらO島は身体を鍛え続けてきたのだが、女性の参加人口が増えるにつれて見逃せない変化も生じた。ボディ・ビルの大会に「女性らしい丸みは加点対象」「肌の美しさは加点対象」といった、新しい審査基準が導入され出したのだ。古典的な価値観を貫く、硬派なボディ・ビルダーを養成することがО島の目的である。
 О島の熱意に突き動かされた〈私〉は、彼女のジムに所属して大会出場へ向けてのトレーニングを開始する。少し前の自分からはまったく予想できないような行動である。そして、想像を超えた日々が彼女を待ち受けていた。別の生き物になるための日々が。
 一月十九日に第百六十六回芥川・直木賞の選考会が行われた。両賞合計で十を数えた候補作のうち、新人のデビュー作は逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)と本書の二冊であった。『我が友、スミス』は第四十五回すばる文学賞の応募作で、受賞は永井みみ「ミシンと金魚」に譲ったものの佳作に選ばれた。それが芥川賞候補となったのだ。ご存じのとおり砂川文次『ブラックボックス』(講談社)が選ばれて受賞は逃したが、石田夏穂という将来性ある書き手の名を広く知らしめたことの意味は大きい。
 今回の芥川・直木両賞の候補作中、もっともユーモアのセンスが秀でていると感じたのは、石田の文章であった。すばる文学賞選考委員の岸本佐知子は「すっとぼけたような筆遣い」と評している。まさにその通り。たとえば〈私〉がトレーニングに勤しんでいる場面ではボディ・ビルの専門用語をちりばめながら状況が説明される。冒頭に書いたスミス・マシンの叙述に見る通り、石田の説明は詳細かつ平易で非常にわかりやすい。その場で〈私〉が取り組む〈種目〉にはブルガリアン・スクワット、ルーマニアン・スクワットなど、なぜか旧共産圏由来のものが散見される。〈私〉の語りは、そのことに触れざるを得なくなる。
――そういえばGジムには「ケトルベル」なる道具があった。ダンベル、バーベル、ケトルベルの重量三兄弟である。ケトルベルは薬缶に似た形をした鉄の塊であり、ロシア発祥とされる。しかし「ケトル」は、私が知っているくらいだから、英語じゃないのか。いずれにせよ、この業界にどういうわけか旧共産圏の気配が濃厚なのは、素人ながら実に興味深いことだった。
 このように「すっとぼけたような筆遣い」が随所に見出せる。そこを拾って読むのが本作の楽しみどころである。ボディ・ビルのために変化を遂げていく〈私〉を職場の人間は別の文脈で理解しようとする。女が変わるといえば。常に「戦時中のようなショートカット」であった髪を大会出場のために伸ばし始めた〈私〉に先輩の女性社員は「ゴールインできるといいねっ」と励ましの声を掛けてくる。恋をしていると誤解されたのだ。水面下で努力しているらしい〈私〉に当たらず障らずの態度で接していた男性社員は「女性は大変ですね」と総括する。しかし彼らの考えている「大変」と〈私〉のそれとは大きく隔たっている。
 知らない間にその中に組み込まれていたジェンダー的役割から主人公が逸脱していく物語でもある。越境、越権であるともいえ、その冒険行は果たして成就するか否かが最大の関心事となる。結末については触れないほうがいいだろう。次第に偏執的な度合いを増す〈私〉の行動だが、病的さを感じさせる要素は慎重に排除されており、健全である。
 小説の最も輝かしい瞬間は、大会会場の舞台裏で訪れる。審査に備えて張りのある体に仕上げるため、腕立て伏せを行っている最中、〈私〉はこう感じるのだ。
――気の済むまで、誰にも邪魔されず、自分の身体を鍛えられること。それだけの時間と、金と、環境と、平和と、健康な身体が、私の手中にはあること。つまり、私は、例えようもなく自由だということ。この瞬間がどこまでも続けば、私は何も言うことはない。
 この境地に〈私〉を到達させたことが本作の価値である。一人食事をするときの井之頭五郎と同じくらい自由。うおおおん。この自由さを読者に味わわせてくれたこと。書きぶりもまた他の何者にも縛られずに自由であったこと。その二つを持って私は石田夏穂という書き手の才能を称賛したい。すくすくと伸びてもらいたい。そのすっとぼけた味わいを忘れずに、どこまでも楽しく、健やかに。


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