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連載

椰月美智子「ミラーワールド」 vol.14

【連載小説】子どもたちには、自分のように何かをあきらめた上での主夫にはなってほしくない。 椰月美智子「ミラーワールド」#2-6

椰月美智子「ミラーワールド」

※本記事は連載小説です。

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 インターフォン越しに息せき切った声が聞こえた。すでに児童はみんなお迎えが来たあとで、教室には誰もいなかった。少々お待ちください、と辰巳は答えて、すぐさま職員室に連絡を入れた。おそらく、青空教室の出入口ですでに他の教員が待機していることだろう。
「どうなるんだろうね。警察に連行されるのかな?」
 いつもはとっとと帰るくせに、まだ残っている田島さんが愉快げな口調で言う。体力差を盾に、男が女に手を出した場合は即逮捕だが、我が子に対してだけ、法律はグレーゾーンだ。しつけという、手前勝手な名目が成り立っている状況である。
「田島さん、ずいぶんうれしそうですね」
 辰巳が返すと、そんなことあるわけないでしょ! と語気荒く返し、瞬時に顔を引き締めた。
 虐待の疑いがある親と、保護された子どもはしばらく会えないことになっている。ここからは児童相談所の管轄になると思うが、とにかく青には安全な場所で、安心して過ごしてもらいたい。
「でもまあ、しばらくしずかに過ごせるね。よかったよかった」
 田島さんは、青が学童保育に来ないことを暗に喜んでいるのだ。正真正銘の嫌な奴だと辰巳は思った。

 辰巳が帰宅したとき、すでに辰巳以外の家族は帰宅していた。
「腹減った。夕飯なに?」
 と耕太が聞く。俊太はゲームに夢中だ。由布子はお茶を飲みながら、ダイニングテーブルで新聞を広げて読んでいる。
 今日は、教員採用試験の合格を祝って、寿司でも取ろうかと考えていたけれど、青のことを思うと、なんだか気が引けた。けれど、夕飯の支度はなにもしていなかった。由布子はもちろん、なにもしていない。
「たまには外食するか」
「やったね」
「なにがいい?」
「やっぱ焼き肉だな」
「えー、胃もたれする」
 由布子は言うも、子どもたちはおかまいなしだ。
 とりあえず車で出かけることにした。行こうと思っていた評判の焼き肉店は定休日で、焼き肉食べ放題のチェーン店は満席だった。
「回転寿司でいいじゃない。お寿司が食べたいわ」
 辰巳の気持ちを知ってか知らずか由布子が言い、結局、回転寿司店に入ることになった。のれんをくぐって入るような寿司店には、とてもじゃないが子ども二人を連れては入れない。耕太と俊太で、一ヶ月分の食費が軽く飛ぶことだろう。
 四人がけのボックス席。レーン側に座るのは、たいてい由布子と耕太だ。二人がある程度注文したあとで、辰巳と俊太が注文することになる。
 辰巳は腕を伸ばして画面にタッチし、ビールを注文した。
「は? なんでビール? 運転どうするのよ」
 由布子が不審そうな顔で、辰巳を見る。
「お祝い。おれ、教員採用試験に合格したんだ。帰りの運転頼む」
「えー、わたしも飲みたいんだけど、まあ、いいわ。試験受かったんだね、よかったじゃん」
「なにお父さん、仕事はじめるの?」
「えっ、まじ? 先生ってこと?」
 耕太と俊太が顔をあげる。
「いつから?」
「来年の春から」
 へえー、と子どもたちが声をそろえる。
「ねえ、パパが働きはじめたらご飯とか掃除とかどうするの?」
「家事は全部半分ずつ分担しよう」
「えー!? 無理に決まってるじゃない」
 由布子が不機嫌な声を出したところで、ビールが届いた。
「乾杯!」
 辰巳がジョッキを掲げると、いつの間にかコーラを頼んでいた耕太と俊太もグラスを掲げた。
「お父さん、おめでとう」
 耕太が言い、俊太も、おめでとうと言ってグラスを合わせた。
「わたしも仲間に入れてよ」
 と、由布子が湯飲みを持ち上げる。家族四人で乾杯し、辰巳は一気に半分ぐらい飲み干した。ひさしぶりのビール。胃がキンと冷える感じが心地良かった。
 寿司をつまみながら、辰巳の脳裏に、何度となく青と青の父親のことが浮かんだ。そのたびに、自分にできることはないのだから仕方ない、と言い聞かせ、彼らに意識を持っていかれないようにした。
「これから忙しくなると思うから、耕太も俊太も家のこと手伝ってな」
 辰巳の言葉に、二人はにやにやしただけではっきりとは答えなかったけれど、ちゃんとわかってくれているはずだと辰巳は思う。問題は、妻の由布子だ。辰巳が教員として働き出したら、些細なことで感情的になり、辰巳や子どもたちに当たりまくるだろう。想像するとどこまでも憂鬱になるが仕方ない。
 と、そこまで考えたところで、近頃「仕方ない」で片付けることが多いことに気付く。面倒なことはすべて「仕方ない」というラベルのついた引き出しに仕舞ってしまう。年をとったせいかもしれないが、よくないことだと反省する。
 次々と注文し、ろくにしやくもせずに飲み込む子どもたちを、まぶしいような心持ちで眺め、大きくなったなあと、唐突に思う。感傷に浸る間もなく、テーブルの上でどんどんと山になっていく皿を見て、これだけ食べれば当然かと思わず苦笑する。
「回転寿司でよかった。破産するところだったよ」
 辰巳が肩を持ち上げると、まだまだ食える、と耕太は言い、おれ、ラーメン食べようっと、と俊太が画面にタッチした。由布子は、寿司の合間にケーキをつまんでいる。
 でもまあ、こうして家族四人がそろっているのはいいことだ。とりあえず、来年のことは来年考えることにしようと辰巳は思った。

▶#2-7へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第206号 2021年1月号でお楽しみいただけます!


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