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連載

加藤実秋「メゾン・ド・ポリス」 vol.7

退職刑事のシェアハウスの誕生秘話が明らかに――!? 加藤実秋『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』#7

加藤実秋「メゾン・ド・ポリス」

加藤実秋さんの大人気警察小説シリーズ最新作、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』が、5月22日(金)に発売されます。
老眼、腰痛、高血圧。でも捜査の腕は超一流のおじさん軍団×新人女性刑事が追うのは、12年前の〈未解決〉名医殺害事件! さらに本作では、退職刑事のシェアハウスの誕生秘話も明らかに!? 刊行に先駆けて、第一話をカドブンで特別公開します!(こちらは「カドブンノベル」2020年4月号に掲載時の内容になります)
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「証拠を探してもいいんですか? 水増し請求は、令状を取ってあなたの銀行口座を調べればはっきりするでしょう。合いカギもカギ店に聞き込みをします」
 ひよりが切り札を切り、藤堂も身を乗り出した。
「カギ店付近の防犯カメラの映像もありますよ。『指紋さえ残さなければ大丈夫』って思い込んでる犯罪者、意外と多いんです」
 再び深谷さんが固まり、藤堂は満足げに身を引いた。代わりに迫田が席を立つ。
「深谷さん。なんでだ? あんたは、あんなに熱心にきと仕事をしていたじゃないか。俺が差し入れたたこ焼きを、『嬉しい。みんなで食べます』と言って笑ってくれた顔を今でもはっきり覚えているぞ。なにがあった? 借金か? それとも贅沢がしたかったのか?」
「違います」
 深谷さんが即答した。テーブルに手をついて自分の目を覗き込むように見ている迫田を見返し、さらに答えた。
「借金はないし、贅沢なんてしたいと思いません。全部会社のためです」
「どういう意味だ? 説明してくれ」
「熱心に働いたからこそ、れいごとだけじゃやっていけないってわかったんです。うちみたいな小さな会社が生き残るには、なおさらです。水増し請求で得たお金は接待やコネ作りに使いました。自分のために使ったことは一度もありません」
「それで会社は生き残り、あんたは社長になった。ばんばんざいって訳か? ふざけるな。取引先の人の迷惑を考えたことがあるのか? あんたのせいで橘さんがどれだけ苦しんで怖い思いをしたか、わかっているのか?『うちのホープ』なんて、心にもねえことをよく言えたな」
「本当にホープだと思っています。でも橘は潔癖すぎる。自分の価値観と正義感がすべてで、他を認めようとしない。私はそれが心配でもどかしくて……妬ましかった」
 前半は社長らしくぜんとして、最後の一言は視線を落として言う。その言葉にはっとして、橘さんが顔を上げた。しかし深谷を見ようとはしない。と、ひよりも席を立った。
「橘さんは、あなたが罪を認めれば被害届は出さないと言っています……気持ちに変わりはありませんか?」
 深谷を含めたみんなが、橘さんに目を向けた。再び橘さんが俯く。葛藤するように、口を引き結んだのがわかった。顔を上げ、橘さんは強い目でひよりを見返した。
「ありません」
 その言葉に、今度は深谷がはっとする。
「深谷さん。どうしますか?」
 ずっと「あなた」だったのを「深谷さん」に戻し、ひよりは問うた。まっすぐで厳しい、「もう逃げ場はない」と犯人に悟らせる刑事の目だ。
 こいつも、こういう目をするようになったんだな。そう思い、惣一郎はひよりの横顔に見入った。水増し請求を突き止めたことも含め感慨を抱く一方、わずかに寂しさを覚えるのはなぜか。
 ふうと息をつき、深谷は花柄のブラウスに包まれた丸い肩を落とした。
「認めます。私がやりました」
 ひよりが頷き、惣一郎もそっと息をつく。反対に佐々間さんは「えっ!」と我に返ったようにうろたえだし、橘さんは厳しい表情で目を伏せた。
「すみません。三人で話をさせてもらえませんか? すぐに済みます」
 自分と深谷、橘さんを指して佐々間さんが言った。またひよりに目を向けられ、橘さんはこくりと頷いた。
「わかりました」
 ひよりが床のバッグを取った。惣一郎たちも席を立つ。
 通路に移動して惣一郎が振り向くと、橘さんは目を伏せたままだった。その横顔を深谷が見つめ、深谷と橘さんを迫田がこちらに歩きながら振り返って見ていた。

「葉桜や、いちなん去って、目にまぶし」
 静かな声に惣一郎が目を向けると、伊達が向かいの桜の木を見上げていた。わずかに花は残っているが、大きく伸びた枝には青々とした葉が重なり合うように茂っている。
「いい句ですね」
 ひよりのコメントに、迫田が鼻を鳴らした。
「ひよっこの分際で偉そうに」
「ひよっこの私が聞いてもいいな、と思ったんだから本当にいい俳句なんですよ。ていうか、私は『ひより』ですけどね」
 応戦され、迫田はむっとしてなにか返そうとした。が、一瞬早く藤堂が言った。
「春だねえ。ストーカー事件が解決して本当に『一難去って』だし、穏やかでいい日だ。この穏やかさの正体はなにかっていうと中国大陸南部から来る移動性高気圧で、日本には春と秋に多く現れ──」
「ところで夏目さん。ひょっとして書類の差し替えに気づく前から、深谷が怪しいって思ってました?『目の前まで来ていても曲がり角を一つ間違えれば~』って、そのことを言ってたんでしょ?」
 藤堂を遮り、おじさんたちの頭越しにひよりが訊ねた。公園の中の並木道で、両側にベンチがいくつか置かれていた。その一つに伊達、藤堂、迫田が座り、両脇に惣一郎とひよりが立っている。時刻は午後二時。四月も半ばになり、連日春本番といった陽気だ。
「まあな」
「やっぱり。いつから深谷を疑っていたんですか?」
「最初に青天社に行った時から」
「最初!? 根拠は?」
 目を見開き声も大きくして問うひよりに顔をしかめ、惣一郎は答えた。
「橘さんに防犯ブザーや催涙スプレーを渡し、『休んだり早退したりしていい』と言いながら、遅くまで残業したり家に持ち帰ったりしなければならないほど仕事をさせていた。不自然だし、矛盾してる」
「なるほど。社長なんだし、いくらでも都合はつけられたはずですもんね。でも、なんで教えてくれなかったんですか」
「あくまで推測だったからな。それに教えなくても、いずれ気づくと思った。実際水増し請求を突き止めて認めさせたのは、お前だ。成長したな」
「それはどうも……えっ。今、なんて言ったんですか?」
 ふんふんと聞いてから褒められたのに気づいたらしく、ひよりはまた声を張り上げた。鬱陶しさに照れ臭さも加わり、惣一郎は、
「取り消す。やっぱりお前はなにも成長してない」
 とそっぽを向いて返した。それでも騒いでいるひよりに藤堂と伊達は笑い、迫田が言った。
「俺も成長したとは思わねえが、『根拠はないけど確信はある』ってのはよかったぞ。あれこそが『デカのカン』ってやつだ」
「はい? お言葉ですけど全然違います。一部だけどちゃんと根拠も見つかったし、そんなオヤジ臭と昭和臭むんむんなものと一緒にしないで下さい」
「なんだと!? ああ言えばこう言う。ひよっこのクセに黄色いくちばしでピーピーと」
 お約束の言い合いが始まった。おじさんたちはまた笑ったが、惣一郎はうんざりして並木道の傍らを見て告げた。
「おい。来たぞ」
 ひよりも傍らを見た。ベビーカーを押す女性や犬を散歩させる老人が行き交う中、橘さんが小走りでこちらに来る。仕事中らしく、黒革のバッグの他に大きな封筒を持っていた。
「すみません。遅くなりました」
 ベンチの前で立ち止まり、橘さんはぺこりと頭を下げた。今日はストライプのパンツスーツ姿だ。みんなが挨拶を返し、ひよりは言った。
「その後いかがですか?」
「みんなで力を合わせて、なんとか持ちこたえてます」
 橘さんが答える。青天社はこの公園から歩いて五分ほどだ。
 事の真相が明らかになって約十日。深谷はあの日のうちに青天社に辞表を出し、「ストーカー行為はやめ、二度と近づかない」と誓約書を書き橘さんと示談した遠藤も辞職した。社長と若手を失い青天社は大打撃だが、佐々間さんがとりあえずの代表となって指揮を執り、七名一丸となってがんばっているようだ。
 水増し請求については佐々間さんが被害を受けた会社や個人をまわって謝罪し、「過ちは二度と繰り返さず、今後はできるだけいい条件で仕事をお願いする」と約束もして、なんとか許してもらえたという。安心していたひよりたちだったが、昨日橘さんから「お話ししたいことがある」と連絡があり、ここに呼び出された。
「よかったですね。社員のみなさんだって被害者なんだ。必死にがんばれば、必ず周りはわかってくれますよ」
 迫田の励ましに橘さんは「ありがとうございます」と会釈し、こう続けた。
「でも反省もしました。深谷に言われた潔癖過ぎとか自分の価値観と正義感がすべてとかは、思い当たるところもあって。遠藤くんは許せないけど、告白された時にもう少し話を聞いてあげていれば彼も納得してあんなことはしなかったのかも、と思いました」
「橘さんが反省する必要はありません。前に言ったように、あなたは何も悪くないんです」
 進み出てひよりが言う。笑顔になり、橘さんは頷いた。
「わかってます。先月カフェでお話しした際、仕事で会った医師の方が高圧的だったり無茶な注文をしてきたりした時、近江先生を思い出すって話しましたよね。思い出した時には、どうしたらあんな風に人に優しくなれるんだろうとも感じてたんです。きっと先生は強くて揺るがない信念みたいなものがあるからだろうな、って考えて、私もそうなりたいと思ってきました。でも、違ったのかもしれませんね」
 照れと気まずさがあるのか橘さんは横を向き、体をせわしなく動かしながら語った。
 迫田がなにか返そうとしてやめ、白いジャージの胸の前で腕を組んだ。ひよりも、どう応えようか考えている様子だ。
「強いからではなく、人の弱くてもろい面を知っているから優しくなれたのではないでしょうか」
 優しくおっとりしていながら、熱意と強さも感じさせる声。橘さんと惣一郎、他のみんなが振り向いた先に伊達の笑顔があった。大きく瞳を揺らして自分を見る橘さんに、伊達はさらに告げた。
「あなたも今回の事件で人の弱さやもろさをの当たりにしたでしょう? つらく、キズつきもしたと思いますが、そのぶん痛みを知った。その痛みをもって人に接すれば優しくなれるはずですよ」
「……はい」
 瞳を揺らし、声も少し震わせて橘さんは頷いた。伊達がにっこりすると、橘さんも笑顔になった。あんした様子で組んでいた腕をほどき、迫田が立ち上がった。
「伊達さんの言うとおり。でも無理は禁物ですよ。『お話ししたいこと』って、またなにかあったんじゃないですか?」
「いえ。そうではなく……いいよ。来て」
 後ろを振り向き、橘さんが手招きをした。自然にみんなの目が動き、少し離れたベンチから立ち上がりこちらに歩きだす女性を見た。
 歳は三十ぐらい。パーカーにロングスカート姿で、抱っこひもというのかナイロン製のホルダーのようなもので赤ちゃんを抱いている。
「妹のです」
 歩み寄って来た女性を橘さんが紹介する。顔は似ていないが、
「はじめまして。姉がお世話になりました」
 と会釈した時の声は、橘さんにそっくりだった。
 挨拶は返したが怪訝そうな惣一郎たちに気づいたらしく、橘さんは話しだした。
「突然すみません。近江先生の事件が起きた時、犯人じゃないかって疑われた女性がいましたよね? その人には息子さんがいて、妹の高校の同級生、っていうか元彼なんです」
「児玉美月さんの息子のあまくんですか? 私立へきてん学園の高等部でしょう?」
 間髪をれず、迫田が問い返した。背筋が伸び、目の光が強まっている。頷き、絵里さんは答えた。
「そうです」
「事件の後、天音くんは妹にあることを話したそうで、当時私に打ち明けてくれたんです。でも妹が事件に巻き込まれそうで怖くて、『誰にも言っちゃダメ。忘れなさい』って言いました。すみません。今回の事件ではみなさんに助けていただいたし、警察はまた近江先生の事件を調べてるみたいだから、思い切って話そうかなって」
「わかりました。ありがとう。妹さんを案じる気持ちは当然です。で、天音くんはなにを話したんですか?」
 迫田は不安そうな橘さんにフォローを入れつつ、絵里さんを促した。ホルダー越しに赤ちゃんのお尻をさすり、確認するように橘さんに目をやってから、絵里さんは言った。
「警察に連れて行かれたお母さんが帰って来たって聞いて、天音くんに『よかったね』って言ったんです。でも天音くんは、『よくない。釈放されたあと母親は〝ママは取り返しのつかないことをしてしまった〟と言った。近江先生を殺したのはやっぱり母親だ』って。彼、すごく取り乱していたし、その後すぐに別れちゃったから本当かどうかはわからないんですけど」
 惣一郎は迫田を見た。片手に扇子を持ったまま動かず、何も言わない。視線は絵里さんを捉えたままだ。
 絵里さんがたじろぐようなそぶりを見せたので、迫田の代わりに惣一郎が、
「ありがとうございました」
 と一礼した。ひよりも素早く反応し、「少しお話を伺ってもいいですか?」と絵里さんを後ろのベンチにいざなう。気がつくと、惣一郎の傍らに藤堂と伊達が立っていた。
 胸が大きくざわめきだすのを感じながら、惣一郎は藤堂、伊達と視線を交わし、最後にまた迫田を見た。扇子を持ったまま動かないのは変わりないが、迫田はさらに光が強まり、そこに熱と鋭さも加わった眼差しで空を見つめていた。

第1話 了 

(この続きは本書でお楽しみください)

※本作は、2020年5月に角川文庫より刊行された『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』に収録されています。


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