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連載

三羽省吾「共犯者」 vol.28

死体遺棄事件の発端は、二十七年前の出来事だった――。報道の使命と家族の絆を巡るサスペンス・ミステリ。 三羽省吾「共犯者」#16-4

三羽省吾「共犯者」

※この記事は、期間限定公開です。

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 長いトンネルが連続するエリアを抜け、SUVが白川郷ICから白川街道に下りたのは、午後十一時過ぎのことだった。
 湖南端から数キロの遺棄現場まで、あと十数分。
「なぁ、夏」
 貴重な残り時間、宮治には言っておきたいことが山ほどあった。
 自らが問われる犯人蔵匿罪、隠避罪、故意の捜査妨害については、夏樹のことだから既に調べているだろう。そう判断し、宮治は「偶然」について話をした。
「ちょっと前に、若い編集者に言ったんだ。偶然に意味なんかないって」
 幼い頃の記憶と照らし合わせるように辺りを見回していた夏樹は、顔も向けずに「偶然?」と訊ねる。
「そう、偶然だ。お前が宮治家に来たのも、なにかの偶然だ。それ自体には、特に意味なんかない。そうだろ?」
「うん、まぁ、そうかもしれない」
「けど重要なのは、なにかの偶然で家族になった俺達がその後、積み重ねた時間だ。長い時間を掛けて、俺達の出会いはただの偶然じゃなくなった」
 白川街道から山道に入り、しばらく進むと舗装が途切れた。SUVは激しく上下し、夏樹はドア上部のバーを強く握った。
「俺がこの事件の取材を始めたのも、ただ事件記者として引っ掛かる部分があっただけだ。最初の読みは全部外れていたけど、結果的にはこんなことになっちまった」
「うん……」
「結果論と言えばそれまでだけど、俺にはこれが偶然だとは思えない」
 夏樹は辺りを見回すのをやめ、宮治の横顔を見詰めて「目に見えないなにかに引き付けられたとか?」と訊ねた。
「あぁ」
「和兄らしくない」
「そうだな。自分でもそう思う」
「分かるような気はするけど……」
 そう言い掛けた夏樹が、前方の明かりに気付いて言葉を吞んだ。
 街灯も無く真っ暗な山道の先に、いくつもの赤色灯が見えた。雨に濡れたフロントガラスも手伝って、回転する赤色灯は繁華街のネオンのように毒々しい。サイレンが鳴っていないことも、逆に大変な事態を連想させる。
「出頭する覚悟は、出来てるな」
 夏樹は「あぁ」と答えたが、その目は赤色灯から離れなかった。シートベルトは既に外されている。
「出頭すれば、お前と樹理亜に血縁がないことも、取調べの中ではっきりすることになるぞ」
「それが事実ならしょうがない……それより、これはどういうことなんだ?」
 三台の警察車両と一台の救急車が停められた辺りから十メートルほど離れたところで、宮治は車を停めた。それと同時に夏樹は宮治の返答を待たずに助手席から飛び出し、雨の中を駆け出した。
「ちょっとちょっと」
 濃紺の雨合羽を着た制服警官が、黄色いテープの手前で慌てて夏樹を止めた。テープの内側には、十数名の警察官や救急隊員がいる。一番奥に救急車があり、その後部ハッチの回りには視界を遮るようにブルーシートが広げられている。
「間に合った、たぶん」
 傘を差し向けながら、宮治が言った。
「これは、どういうことなんだ」
 再度、夏樹が訊ねた。
 宮治は「悪いな」と謝り、胸のポケットからスマートフォンを取り出した。
「グループ通話って言うのか? あれでさっきの車の中での会話を、こうさんと岐阜の刑事に聞いて貰った」
 東京を離れる前、宮治はとりうちこうろうにメールを送っていた。
 BAZOOKAの記事によって、布村留美がなんらかの行動を起こすかもしれない。最悪の場合、自殺も考えられる。しかし彼女が姿を消せば、夏樹から自分のところに連絡がある筈だ。そこで鳥内と可児には、夏樹から布村が向かいそうな場所を聞き出す際の会話を聞いていて欲しい。宮治の考えでは、養父母と息子がいる富山の可能性が高いが、あの遺棄現場にも布村の強い執着が感じられる。もちろん、捜査本部も宮治も想定していない場所、それも富山でも岐阜でもない可能性もある。いずれにしても鳥内と可児には、場所が特定されたら即座に動かし得る人員を総動員して、そこに向かって欲しい。
 メールは、そんな内容だった。
「兄弟の会話を他人に聞かせるなんて、悪かったな。東海北陸道はトンネルが多いし、聞こえていたのは前半だけだろう」
「そんなこと、どうでもいいよ。それより……」
「呼んでいいか」
「え?」
「捜査本部の刑事、たぶんここに来てる。樹理亜がどういう状態か、詳しいことも聞ける」
「あぁ、そうだな」
 宮治が電話を掛けると、ブルーシートの向こう側から可児が出て来た。
「すみません、可児さん。ご迷惑をお掛けしました」
 フード付きの雨合羽を着た可児は「まったく、ご迷惑どころの話じゃないで、これは」と文句を言いつつ、宮治に近付いて来た。
「岐阜県警の可児さんだ。この事件の捜査本部で、俺が唯一頼れる存在だ」
 宮治はそう言って、夏樹に可児を紹介した。
 夏樹は挨拶もせず、「それで樹理亜……布村留美は」と訊ねた。
「刃物とか首吊りでなくて、ほんまよかったわ」
『タカオカ・ハウス・クリーニング』のミニバンでここまで来た布村留美は、ガムテープで車を密閉し、車内で掃除用の洗剤を混ぜて有毒ガスを発生させ、中毒死をしようとしていた。
 宮治のスマートフォンを通じて、布村がこの遺棄現場に来る可能性が高いことを知った可児は、彼の権限で動かし得る全捜査員をここに向かわせ、救急車も手配した。
「意識を失ってはいるが、命に別状はないそうや」
 その説明を聞き、夏樹は全身の力が抜けたように泥の上にしゃがみ込んだ。緊張の糸が切れたのだろう、両手で顔を覆い、背中をわななかせ、声を上げて泣き続けた。

 九月。
「宮治さんの考えた通りに事が運んだってことですけど、俺的にはこの仕打ち、ちょっと納得しかねるんすよねぇ」
 そんなことを言ったのは、石塚だった。
 布村留美は、保護、入院、意識が戻ってからの事情聴取を経て、白川村殺人死体遺棄事件の実行犯として逮捕された。宮治夏樹も、犯人蔵匿罪と隠避罪の疑いで取調べを受けてすべてを認め、在宅起訴された。
 しかし幸か不幸か、各メディアもネットの掲示板やSNSも、佐合優馬、布村留美、宮治夏樹の複雑な関係には殆ど触れなかった。その代わり、『真相 BAZOOKA』に掲載された宮治の記事を大きな問題として取り上げた。
 菊地原圭祐が気に掛けていた通りだった。
 ゴシップ誌とはいえ、明らかな誤報は許されない。しかもその誤報の根拠が〝身内が言っているのだから間違いない〟という完全なる思い込みだった。そんな記事を書いた記者に、もう記者を名乗る資格はない。人間ですらない。吊るし上げ、社会的に抹殺すればいいのだ。
 ネットだけでなく、新聞やテレビもそれに近いニュアンスの報道を続けた。
「宇宙人との接触なら、笑って済まされるのに」
 と憤ったのは、玉田だった。
「まぁしかし、良かったじゃねぇか。ツイてるよ、宮治は」
 そう言って笑ったのは、幡野だ。
 幡野の意見については、確かにそうかもしれないと宮治も思った。
 布村留美が逮捕された二週間後に、有名芸能人が二人立て続けに薬物の所持と使用で逮捕されたのだ。それによって、紙面や時間といった物理的な制約がある新聞・雑誌・テレビは、急速に宮治バッシングを終息させた。制約がないネットも所詮はメディアの後追いでしかないようで、無責任な発言の大半は、きれいにそちらへスライドした。
「三週とはいえ、その騒ぎのおかげでBAZOOKAの発行部数は通常の三倍から五倍をキープ出来たわけじゃないですか。なのに、これはないっすよ」
 石塚はストリート・ファッション誌の編集部までやって来て、宮治に「ねぇ?」と同意を求めた。
「暇なのかよ、お前は」
 こうえんの古着屋の記事を校正しながら、宮治は目も向けずに答えた。
 はんぷうしやの上層部は初めて世間の注目を浴び、軽くパニックに陥った。そして、そんな状況を招いた宮治を解雇しようとした。
 結果、幡野や八代の進言により解雇は免れたが、宮治はストリート・ファッション誌に異動させられた。
 まだ二週間しか経っていないが、事件記者以外の経験がない宮治にとって、ここでの日々は三十代後半にして初めての経験の連続だった。
「記事の感想なら、改めて聞かせてやる」
「え、マジっすか?」
「まだまだ勉強が足りない。いまのところは、それだけ言っておく」
 石塚はいま、以前言っていた出入国在留管理局による外国人への非人道的な取り扱いに関する記事を書いている。企画会議で初めて認められた、彼の発案による記事だ。
 宮治は、就労ビザや就学ビザで入国した人々が急な法改正──それも周知されていない改正──により国外退去せざるを得なくなっている現状も触れられている点について、論点がブレているという印象を持っていた。
 本心ではその点についてじっくり話をしたかったのだが、
「それより、なんでこんなボロいTシャツに高値が付くんだ。教えてくれ」
 そう訊ねると、石塚は「まだまだ勉強が足りない。それだけ言っときま~す」と馬鹿にするように笑って去って行った。

 十月。
「まぁ、しょうがねぇよ。世間なんて、所詮はそんなもんだろ」
 そう言って笑ったのは、鳥内幸次郎だった。
 異動したストリート・ファッション誌は月刊誌で、宮治は編集部内の最高齢だった。殆ど役に立っていないこともあり「ちょっと個人的に勉強したいんで」と噓を吐いて、長期休暇を取って富山に来ていた。
 以前、弘貴と三人で食事をした店の同じ個室で二人は会った。宮治の視線の先の違い棚には、前回同様、金継ぎされた陶器が飾られていた。
 宮治としては鳥内の言いつけを守らず、事件に関する記事、しかも布村留美と夏樹の関係まで書いたことを詫びるつもりだったのだが、鳥内はそれを言わせないようにするかのように、宮治が『真相 BAZOOKA』編集部を外される直前に書いた記事を話題にした。
「和は頑張った。それは認める。記事の内容だって、立派なものだったと俺は思うよ」
 異動を命じられる前、宮治は二週にわたって『真相 BAZOOKA』誌面で、この事件は唐突に起きたものではないのだと訴えた。
 もちろん、編集長である幡野による詫び文と訂正文も掲載されていたが、それに続いて宮治は、この白川村殺人死体遺棄事件が唐突に、突発的に、否応なく、起きてしまった事件ではないのだと書いた。
 佐合優馬の実父が彼を甘やかしていなければ、生家の母親がもう少し優しければ、彼を押し付けられた養父母がちゃんとしつけていれば、或いは佐合優馬の人間性はまったく別物になっていたかもしれない。
 学校の教師や同級生、職場の上司や同僚に、厳しく教え諭したり親身になったりしてくれる者がいれば、もっとまともに生きようと思うようになっていたかもしれない。
 そうすれば、この事件そのものが起きていなかった。
 最後の一文には故意に「仮に」「だとしたら」「かもしれない」という文言を使わなかった。
 だが鳥内が言った通り、宮治は「頑張った」が反応は「所詮はそんなもん」だった。
「要するに、世間の大半はそんなことに興味がないんだよ」
 その記事の裏側には、夏樹の実母、布村留美の実母、夏樹と布村留美を金で買った者達が法的に罰せられることがなく、いまものうのうと普通に生活していることに対する怒りもあった。
 恐らく鳥内は、直接立ち会ってはいなくとも、取調べの内容はすべて把握している。
 宮治が抱く憤りも、共有していることだろう。
 だからこそ厳しい言葉を並べ立てつつ、その実、鳥内が宮地を慰めようとしていることは分かっていた。
「そんなことより」
 鳥内はそう言って、ぬるかんを吞んだ。十月の夜の北陸は、もうはっきりと肌寒かった。
 布村留美は岐阜県で取調べを受けた後、殺害現場がある富山県に身柄を移された。殺害、遺体損壊、遺棄についてはすべて認めていたが、すぐには起訴されなかった。
 布村光の関与を認めなかったからだ。
 しかし光の方は、母親の自殺未遂を知ってから急に「僕がバットで殴った」という発言を繰り返していた。双方の発言の整合性を取るため、起訴までに時間が掛かったのだ。
 佐合優馬の直接の死因は首を絞められたことによる窒息死だが、やはり宮治が睨んだ通り、その前に後頭部を複合バットで強打され、抵抗不能な状態だった。
 指を薬品で潰したのは指紋を消す為ではなく、爪の間に遺留品が「ない」事実を消す目的だった。首筋の皮膚を損壊させたのも、顔を潰した延長のように見せつつ、その実、よしかわ線が「ない」事実を隠すことが目的だった。
「布村本人がすべてを認めているし、控訴もしないだろう。最短で、三ヵ月ほどで判決が出る。問題は……」
 それから鳥内が話した内容は、宮治が気に掛けていたことの内の一つだった。
 BAZOOKAの記事で書こうとしたのだが、前例が見当たらず、結局は書けなかった内容だ。
 幼い頃に虐待を受けていた父親が目の前に現れ、その防御本能から過剰に反応してしまう。それが情状酌量の要件とされるか否かだ。
 鳥内が言うには、公判前整理手続において精神科医に意見が求められたらしい。その精神科医は、PTSDには根治がないこと、記憶の上書きは出来ても、それが過去の記憶の削除にはならないこと、だから専門医による治療を受けていない布村留美に、佐合優馬と再会して突発的に「殺される」というスイッチが入って過剰防衛に致ったとしても、責められないかもしれないということを、「個人的な見解ですが」と前置きした上で説明した。
 布村留美本人が言う殺害動機は、佐合優馬が清掃会社の繁盛振りを見て「俺はお前の実の親だぞ。毎月、数パーセントでいいからもうけを回せよ」と言い、それを断わった布村に暴力を振るったことだった。
 光は学校を出た後、日が暮れるまで野球の練習をして、家ではなく母親の職場に行くのが習慣だった。そこで佐合が暴れているのを見て、背後からバットで殴ったという。
 ブリ大根は前回よりも脂が乗って美味い筈だったが、宮治にはなんの味も感じられなかった。
 宮治はただひたすら、酒を口に運び続けた。
「つまりな……」
 過剰防衛だけならば、不起訴は無理でも執行猶予付きの判決が可能だったかもしれない。しかし遺体損壊と遺棄がある以上、そういうわけにはいかないだろう。
 それが、鳥内の見解だった。

 十一月。
「ほうですか。それはわざわざ、ありがとうございます」
 そう言って頭を下げたのは、布村正雄だった。少し遅れて、宮治の前にお茶を置いた薫も頭を下げた。
 富山地裁で裁判が始まり、一ヵ月が経っていた。
 自分の記事がきっかけとなり、布村留美ばかりか光まで事件に関与していることが明らかになってしまった。宮治はそれを詫びに来たつもりだったのだが、逆に礼を言われてしまった。
 鳥内から聞いた精神科医の話を伝え、しかし養父母であるあなた方にはなんの責任もないのだと、宮治は誠心誠意、伝えた。
 広い玄関ではなく、大きな庭を見渡せる立派な和室でのことだった。
「光くんはその後、どうなんでしょう」
 その問いに老夫婦は顔を見合わせ、正雄が「大丈夫です」と答えた。
 自ら佐合優馬の後頭部を複合バットで殴ったことを認めた布村光は、暴行致傷の触法少年として一時児童相談所に身柄を預けられたが、保護観察処分が出て、いまでは表向きは祖父母の家で普通に生活をしていることになっている。
 しかし学校には行かず、心療内科に通いつつ自宅で勉強をしているらしい。
 中学校に上がるタイミングで坪内史哉と暮らすようにし、戸籍上の苗字も元の坪内に戻そうかと相談中だと言う。
「それより」
 布村薫は、光のことよりも夏樹のその後のことを気にした。
 犯人蔵匿罪と隠避罪で在宅起訴された夏樹は、転居を許されずそのまままつ市で暮らしている。自らの裁判は石川県の地裁で行なわれるが、布村留美の件で岐阜と富山と石川の地検へ出頭しなければならず、かなり忙しい日々を送っているようだ。
 私立高校の非常勤講師と塾講師の職は失っていた。夏樹はずっと生徒のことを気にしていたが、直接詫びることも出来ずに学校も塾も解雇されたのだ。
 経済的な面では実家と宮治で助け、二週間に一度くらいのペースで母親が小松に通い、身の周りの世話をしている。
「まぁ、逃亡を助けたことも捜査妨害も認めちゃってるんで、有罪は免れないと思います。でも執行猶予が付くんじゃないかというのが、大方の見方だそうです」
「それは良かった……良かったって、おかしいやろか?」
 布村薫が笑い、宮治も「いや」と言って笑った。布村正雄は湯飲みで口元を隠していたが、やはり笑っているようだった。

▶#17-1へつづく
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「カドブンノベル」2020年3月号

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