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連載

逸木 裕「空想クラブ」 vol.22

【連載小説】郷原の弟は暗い目でナイフを構えた。刺される――。少女の死の真相は? 青春ミステリの最新型! 逸木裕「空想クラブ」#22

逸木 裕「空想クラブ」

※本記事は連載小説です。

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「おはよう」
 登校して校門をくぐったところで、ジャージ姿の隼人に声をかけられた。昨日あんなことがあったというのに、いつも通りの気軽な雰囲気だった。
「昨日は大変だったな。まあ、ああいうこともあるよ。真夜のケアは俺もやってくからさ、あんまり気負いすぎるなよ」
 ぼくの太もものあたりを、軽く叩きながら言う。どうもこれを告げるために、ぼくを待っていてくれたようだ。重すぎないちょうどいい気遣いが、隼人らしい。
 しばらく関係のない雑談で盛り上がって、校舎に入る。隼人はそこで、切りだすように言った。
「郷原のこと、調べてきたぜ」
 ぼくは驚いた。深入りするのはやめろと言っていた張本人なのに。
「涼子に、きっちり謝らせるぞ」
 隼人の目は、昨日の暴言に対して向いているみたいだった。
「わざわざあんなところまできて暴言を吐くなんて、ありえないだろ。きっちり謝罪させよう」
「でも、昨日の調子だと難しいんじゃない? 無理やり謝らせても、真夜は納得しないよ」
「だから、知ろうとしてんだよ。あいつがなんであんな攻撃的なのか」
「そりゃ、郷原さんたちに影響されたからでしょ?」
「それもあると思う。でも、それだけじゃない」
 隼人は怖い顔になる。
「涼子、郷原たちと上手くやれてないんじゃないのか」
 意外な言葉だった。レナと涼子は、仲がよさそうに見えたのに。
「あいつのとげとげしさはおかしいよ。俺たちを見かけた瞬間からイライラしてたし、河原での言葉も強すぎる。なんであんなに俺たちを敵視してるんだ?」
「それが、なんで郷原さんたちと上手くやれてないって話になるの?」
「俺たちに会うと、平和だったころのことを思いだして、気持ちが揺れるのかもしれない」
「いまの涼子は、平和じゃないってこと?」
「嫌な予感が、するんだよ」
 前にも言っていたことだ。
「涼子、郷原に金を取られてると思う」
「えっ、どうして?」
「郷原の話、岡本ちゃんに聞いたんだろ? あいつ、金絡みのトラブルが多いって」
「実家が恵まれてないとは聞いたけど」
「親父からその辺のことが聞けたんだ。さすがに郷原本人のことは判んないみたいだけど、あいつの父親のことはよく知ってた」
 隼人は説明をしてくれた。
 郷原のお父さんは、商店街では暴力的で有名な人らしい。夜に酔っ払ってシャッターを壊したり、飲食をした挙げ句代金を踏み倒したり、通行人にけんを吹っかけたり、あちこちで揉めごとを起こしているとのことだ。パチンコ中毒で、あちこちに借金をしているという噂もある。郷原の母親は早くに亡くなっていて、彼は父親の手で育てられた。
 そんな環境で育ったせいか、郷原は金には人一倍どんよくなようだ。以前はこのあたりで何か変な商売をやっていたらしいが、最終的に詐欺の受け子に手を出して、捕まってしまった。少年院から出てきたばかりで、いまは金に困っているんじゃないか。そんな人間の前に、涼子みたいな人が出てきたら、恰好のじきになるんじゃないか。
「涼子が金を取られてるんなら、いつ会ってもイライラしてるのも判る。めちゃくちゃなストレスに決まってるからな。でも、だとしたら難しいよ。金が絡んでると簡単には縁を切れないだろうし、僕たちが肩代わりをするわけにもいかないし……」
 頼りになるはずの隼人が戸惑っている。それはそれだろう。深刻なお金のトラブルなんて、ぼくも経験したことはない。
 涼子が困っているのなら、助けになってあげたい。でも、郷原みたいな人を前に、ぼくたちに何ができるだろう。
「あとひとつ、これは余談なんだけど」
 隼人は話題を変えるように言い、小声になった。
「郷原、弟がいるらしい。まだ小学生のな」
「弟? 妹じゃなくて」
「ああ、あいつに妹はいない。近くに親戚もいないみたいだし、もうすぐ二十の大人がその辺の小学生を捕まえていじめるようなことしないだろ。あいつは事故とは無関係だと思うぜ。お前の耳に入れとくぞ」
 空振りだったか。郷原が自分の妹を虐待していたのなら〈子供〉は見つかったのに、やはりそんな上手い話はない。
「でも、よく判ったね、そんな情報まで。さすが隼人のお父さんだ」
「まあ、ちょっと事情があってな」
 隼人はそこで、眉をひそめる。
「少し、小耳に挟んだ情報があるんだ」

 放課後、一回家に帰ってから、ぼくは笹倉駅の反対側を歩いていた。
〈駅の反対側に、ちょっと治安の悪い地域があるだろ?〉
 歩いているのは、岡本先生が苦々しい表情で言っていたエリアだった。夕方の十六時、まだいかがわしい店は開いていなくて、夜になるとぞろぞろと出てくる怖い客引きたちもいない。眠っている歓楽街には、汚くてよどんだ空気みたいなものがたまっている。
『マンドラゴラ』は、メインの通りからひとつ曲がった先に、ひっそりと建っていた。
〈郷原の弟が、店番をやってる店があるらしいんだよ〉
 隼人の言葉に、ぼくは少し驚いた。中学生でもこのあたりにくるのは緊張するのに、小学生が店番なんてどういうことなんだろう。
〈詳しくは判らないんだけど、『マンドラゴラ』って店の店主と、郷原の弟が、仲がいいらしい。親父の知り合いがそのあたりにたまに行ってて、変な子供がカウンターに立ってるから気になって調べてみたら、商店街で問題を起こしている男の子供らしいって判ったんだって。小学生を働かせてるなんて、どんな店なんだよ〉
 ぼくは、その店の前に立った。
『マンドラゴラ』は、いかがわしい雑貨屋という感じだった。路地の突きあたりにある小さな店舗で、店の前にはガチャガチャが三台置いてある。「金・銀買取」「美少女フィギュア高価買取」という立て看板が並んでいて、ガラス張りのドアにまで「激安DVD」「プレステ・PSP」といったチラシがベタベタと貼られているので中がよく見えない。
 郷原に弟がいるのなら、ひと目見てみたい。真夜は溺れていた子を〈女の子だ〉と言っていたけれど、よく考えたら髪の長い男子という可能性もある。小学六年生なら、まだ声変わりもしていないだろう。
 もし弟が〈子供〉だったら、どうしよう。
 もちろん、そのまま真夜のもとにつれていくべきだろう。でも、ぼくは迷っていた。〈子供〉をつれていったら、真夜は消えてしまったりしないのか。
 なら、見つけたことをひとりで隠し通すのか。いや、それも無理だろう。隼人はもう、郷原に弟がいることを知っている。圭一郎の似顔絵が出来上がって、それと照合されたら、すぐに一致してしまう。
 真夜を解放してあげたいけれど、真夜を失いたくない。矛盾がぼくを引き裂いている。真夜は、虐待されている子供がいたなら、その子を助けたいと願っていたはずだ。なのにぼくは、真夜を失う恐怖ばかりを考えている。
 ──とりあえず、その件は保留だ。
 いらない心配をしているだけの可能性もある。まず弟がどんな顔をしているのかを確かめて、それからどうするかを考えればいい。
 ぼくは店の扉に手をかけ、開けた。
 最初に感じたのは、匂いだった。
 甘ったるい匂いが、店内に充満している。みや島の風の、果物や花が溶け込んだような心地いいものじゃなく、人工的な香料できゆうかくで回されているみたいな、どぎつい匂いだ。
 店内は通路が狭く、乱雑に置かれた棚に色々なものがごちゃごちゃと置かれていた。
 まず目に入ったのは、アダルトグッズだった。
 ピンク色の棚があって、そこに男性器をかたどった肌色のオブジェが並んでいる。手錠やムチ、ローソクに何かのオイルといった、見ているだけで目を背けたくなるものたちが所狭しと陳列されている。
 普通の雑貨屋のようにゲームソフトや映画のDVDも並んでいるけれど、その横にアダルト雑誌や裸の女性のフィギュアが並んでいる。「やく」と書かれたコーナーには見たこともない飲み薬や塗り薬が並んでいて、奥のほうにはカーテンで仕切られた「アダルトコーナー」と書かれた一角も見えた。すでに見えている部分が充分にアダルトな気がするのだけれど、もっと激しいものがあるのだろうか。
 ──なんだ、これ?
 驚いたのは、武器のコーナーもあることだ。ナイフ、エアガン、スプレー、スタンガンといった見るからに危なっかしいものが、店の一角を占めている。危険な人の頭の中を覗いているみたいだ。一体、どんな人が経営しているんだろうか。
 カウンターは、無人だった。店内にはお客さんの姿もない。
 しばらく待ってみてもいいのだけれど、わいざつな店内にいるのはもう限界だった。ぼくは迷った末に、いつたん、店の外に出ることにした。
「いてっ」
 扉を開けて外に足を踏みだしたところで、ぼくはひとりの少年とぶつかった。
 小柄で、端整な顔の少年だった。買いもの帰りなのか、コンビニの袋をぶら下げている。彼は店から出てきたぼくを見て、少し目を見開いた。
「お客さん? ごめんね、ちょっと店空けてた。中にどうぞ」
 声の幼さからいって、まだ小学生だろう。こんなところにいる小学生は、ひとりしかいない。
「もしかして……郷原くん?」
 少年はあからさまに警戒の色を浮かべた。そんな彼を見ながら、自分の中に安心が広がるのを感じる。
 ──違う。
 この子は、〈子供〉じゃない。
 郷原くんは、ショートの黒髪だった。真夜が見た〈子供〉は、茶髪のセミロングだったはずだ。どう見ても別人だ。彼は〈子供〉じゃない。
 思わずにやけそうになってしまう。彼が〈子供〉じゃないということは、真夜とまだ時間が持てるということだ。醜悪かもしれないけれど、そのことが、素直に嬉しい。
「……お前、誰?」
 弟くんが不審がるように聞く。どうやってごまかして帰ろうか、ぼくは頭の中で計算する。
 ──似てる。
 突然、その三文字が浮かんだ。
 似顔絵アプリで作った、少女のアバター。よく見ると、あれに似てるのだ。髪型は全然違うけれど、輪郭や目鼻の位置、全体的な雰囲気なんかが、どことなく似ている。
 考えてみたら、髪なんて切って黒く染めればいいだけの話だ。極端な話、セミロングのウィッグをつければ女子にふんすることはできる──そんなことをする必要がどこにあるのかは、ともかくとして。広がった安心は、すぐに不安に変わってぼくの心を覆っていく。
 弟くんは不愉快そうに、べっとつばを吐きだした。
「誰、お前」
「え、その、ぼくは」
「俺に何の用だよ? なんで俺の名前を知ってんだ?」
 ──なんだ、この子は?
 彼の威嚇に、ぼくはすくみ上がった。ぼくのほうが体格で勝るのに、思わず身体が震える。
 暗い目をしていた。
 白目に、穴が開いたような目だった。ぼくを威嚇しながらも、その目には一切の表情が浮かんでいない。穴の奥から、何かが僕を見つめている。
「もしかして、涼子のつれ?」
 突然その名前が出てきて、ぼくは驚いた。正体が判って落ち着いたのか、弟くんはこちらを侮るみたいに笑顔になる。
「やっぱり。あいつと同じで、世間知らずの顔してるもん。どうして俺のことを探ってるの?」
「いや、別に、探ってるわけじゃ……」
「判った、涼子が命令したんだ。郷原の弟を探ってこいって。まあ、チンコロしたけりゃすればいいよ。兄貴なんか、別に怖くないし」
 何を言われているのか、よく判らない。ただ、彼の中では涼子がかなり下の位置づけにあるのは判った。やはり、隼人のはあたっているのだろうか。
「わっ!」
 次の瞬間、ぼくは反射的にのけぞっていた。
 弟くんが、ナイフを構えていた。
 親指くらいのポケットナイフを突きだすように構え、にやにやとしながらこちらを見ている。侮りを浮かべた表情の中で、その目だけが、どこまでも深いところからぼくを見つめている。
「十四歳にならない人間はさ、何やっても大丈夫なんだよ」
 何が起きてるんだ? 状況が理解できない。一分前にいたところとは、別の世界に放り込まれている。ナイフの側面に、ぼくのおびえた目が浮かんでいた。
「でもこのセーター、結構気に入ってるんだよな。大丈夫かなあ」
 弟くんが、着ているセーターのそでをまくる。ぼくは愕然とした。刺すか刺さないかを考えているんじゃない。刺したあとの、返り血のことを心配しているんだ。
 袖の下から現れたものに、ぼくの目はくぎづけになった。
 弟くんの前腕、手の甲側に、何本かの白い筋が入っていた。修正液を横に走らせたような太い線が、蛇腹みたいに何本も刻まれている。
 これは、ナイフのあとだ。
「ああ、これ? 俺、癖なんだよね」
 自傷行為をしているのだ。この子は、自分の肌を刃物で刻んでいる。
 リストカットの跡を見るのは初めてだ。いや、手首の内側じゃなくて反対側を切っているので、リストカットとは呼ばないかもしれない。どちらにしても、何本も入った白い筋は、この子が刃物の味を知っていることを物語っている。
 ──ただの脅しじゃない。
 こめかみを汗が垂れる。この子は、実際に人間を刺している。自分を刺せる人は、そのやいばを他人に向けることもできるだろう。
 弟くんはさらに一歩近づき、め回すようにぼくを見た。逃げろ。逃げないとまずい。判っているのに、足が動かない。刺される──。
 そのときだった。
 空から、ごうおんが鳴った。
 低空飛行の戦闘機が、爆音を響かせながらこちらに向かってきた。ぼくは思わず耳をふさいだ。灰色の機体はぼくの数十メートルほど上を爆音を立てて通り過ぎ、あっという間に見えなくなった。
 空想が漏れてきたんだと、一瞬遅れて気づいた。そこでぼくははっと我に返る。
 弟くんはナイフを構え、ほんの目の前まで迫っていた。でも、違う。さっきまでと違って、固まっていた時間が動きだしている。
「あっ、待て!」
 ぼくは弟くんをかわし、走りだした。「待てこら!」足音がバタバタと追いかけてきたけど、ぼくは構わずに走った。足音は、すぐに聞こえなくなる。それでも止まらない。壊れた機械みたいに、ぼくは延々と走り続けた。
 笹倉駅のそばまできたところで、ようやく足が止まる。振り返ると、弟くんの姿はどこにもなかった。全身からどっと汗が噴きでて、心臓が破裂しそうなほどに高鳴っている。
 ──なんだったんだ、いまのは?
 ただ話していただけなのに、いつの間にか命のやりとりにまで発展していた。そのスピードはあまりにも速く、あまりにもスムーズだった。
 恐怖が湧きでてくる。ぼくはさっき、下手したら死んでいた。
 その場に倒れ込む。助かってよかったなんて感慨は少しもない。わけも判らず殺されかけたという恐怖だけが、ぼくの心にべっとりと貼りついていた。
 ナイフの表面に見えた自分の目が、空間のどこかからぼくを見つめている感じがした。

#23へつづく
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「カドブンノベル」2020年9月号

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