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連載

冲方丁「骨灰」 vol.12

謎の男は姿を消した。光弘は上司と対応を検討する。 冲方丁「骨灰」#2-4

冲方丁「骨灰」

※本記事は連載小説です。

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「穴の画像はこれだけか?」
 はい、とがらがら声で応じる光弘の顔を、上司の竹中が心配そうに横から覗き込んだ。
「所長が来たら、口頭の報告だけでいい。病院に行って検査してもらえ」
「だいぶ良くなって来ましたし……」
 光弘は喉をさすった。建設現場を出るとすぐに近所のコンビニに行き、目薬やのど飴、絆創膏など、あれこれ買って自分なりの応急処置をしたつもりだった。
 ついでに折りたたみ傘も買った。ウェットティッシュも。本社のトイレで、ウェットティッシュを全て使い切って、粉塵で汚れた服や靴を綺麗に拭いた。もちろんミネラルウォーターを二本買うことも忘れなかった。鞄に常備しておくべきマスクも。時すでに遅しだが反省を生かすことは重要だ。これでゴーグルがあれば完璧だがコンビニでは売っていなかった。
 だが竹中は言った。
「一に安全、二に安全だ。それに、いきなり何かの病気で倒れでもしたら、チームの仕事が増えて迷惑をかけることになるぞ」
「わかりました」
 光弘は素直に言った。危機管理チームの一員が現場で有害物質を吸って倒れたなどとなれば、別の対策が必要になる。そんな情けない迷惑のかけ方はいやだった。
「念のため訊くが、この穴の周囲に人骨らしきものは──」
「もちろん、ありませんでしたよ。現場にいた作業員の方々にも尋ねましたが、聞いたこともないそうです」
 あの臭いはしたが、と頭のどこかでささやき声がした。骨になるまで焼かれたあとの臭い。いや、本当にそうだったのか、今となってはわからないじゃないか、と光弘は頭の中で言い返した。
 こうして本社の会議室にいると、あの地下での出来事の全てが、早くも夢のように現実感を失っていた。撮影した画像を上司と共有し、二人でタブレットで確認しても、電子画面で見る限りまったく面白みのない建設現場の光景に過ぎず、恐怖は微塵も感じなかった。
「煙を吸う前は、体調に変化はなかったんだな?」
「はい」
 光弘は断言した。穴の底でパニックに陥りそうになったことを話したって仕方ないし、みっともなくて話したくない、という強い気持ちのあらわれだった。どうせ、穴の画像を眺めたところで、実際に入ったらどんな気分になるかもわからないだろう。それに、パニックに陥る可能性があるから危険だなどというのであれば、どんな建設現場も該当する。いや、ビルの窓の清掃作業や、地下鉄の整備作業だってそうだ。自分が真っ暗闇で恐れおののいたなどと報告したところで何の意味もない。
「人骨はなし。有害な気体は出ていない、と」
 竹中が、コピー用紙に印字された文章の『人骨が出た穴』『有害なもの』『いるだけで病気になる』という言葉に、赤ペンで取り消し線を引いていった。問題のツイッターのつぶやきを一覧にして印刷したものだ。すでに、『施工ミス』『作業員全員入院』にも線が引かれている。
「多数の作業員が入院したというのも、問題なしですか?」
 光弘が尋ねると、竹中が当然だというように肩をすくめた。
「そんな事実は、どこを探してもなかった。となると、問題は火だ」
 うなるように言って、竹中が赤ペンを置いた。やや叩きつけるような感じだったので、光弘は自分が咎められているような気分にさせられた。ボヤに巻き込まれた上に、現場作業員から失火ミスを疑われたことを思うと、あまりに不条理で怒りを覚えた。
 竹中がタブレットを操作し、ボヤの原因となった資材の画像を開いた。作業員たちが階段を上がってきたあと、光弘が頼んで一緒に戻ってもらい、撮影したものだ。そのときにはゴーグルと防塵マスクもしっかり借りていた。
「消防署の調査待ちだが、放火となると、メリットよりデメリットの方が大きいか」
「現場の失火ミスではないというのはメリットです」
「ああ。だが公表した場合、他にメリットはないぞ。放火犯が捕まらんまま現場に出入りしている可能性を否定できんことになるんだから。消防と警察が現場に入れば工期が遅れる。管理責任が問われる。警備費の増加につながる。そして作業員が離脱して人手不足につながるかもしれん。何よりこのツイッター使用者の攻撃が功を奏したことになって、同様の事件が増える可能性もある。どれも投資家心理にはマイナスだ」
「でも、もし消防署が放火と断定すれば、警察の仕事になりますよね? どこかで漏れて勝手にメディアが記事にしてしまうのはまずいでしょう?」
、最悪だ。実際は大した事件でもないのに、役員の謝罪会見なんてことになるのは避けなきゃならん。とはいえ調査中の件ばかりじゃ、会社も公表は渋るだろう。情報が錯綜しかねんし。まず我々が徹底して調査し、報告し、現場に再犯防止策を講じてもらってからだ──」

▶#2-5へつづく


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