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連載

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」 vol.60

遣唐使・井真成に降りかかる数々の試練。 旅に出た真成一行の行く手にあるものは? 夢枕 獏「蠱毒の城――⽉の船――」#116〈後編〉

夢枕 獏「蠱毒の城――月の船――」

※本記事は連載小説です。

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二十七章 きいさちる王

 酒泉太守席上醉後作 岑参

 酒泉太守能劍舞
 高堂置酒夜撃鼓
 胡笳一曲斷人腸
 坐客相看涙如雨

 しゆせんたいしゆせきじようすいさく しんじん

 しゆせんたいしゆ けん
 こうどうしゆして よる
 いつきよく ひとはらわた
 かくあいて なみだ あめごと

 (一)

 しんせいは、馬に乗って、進んでいる。
 背にざんけんを負って、手綱を握っている。
 早朝の風が、頰に心地よい。
 前方に、頂からふたつに裂けて、傾くようにそびえている岩山が、じようようざんである。
 山麓から途中までは、森が、岩肌を這うようにして続いているが、中腹から頂までは、岩肌ばかりである。
 真成の左横に、馬を並べているのは、ちんはんれいだ。
 ふたりの先をゆくのは、なんめいと思われる者が乗った、屋根付きの輿こしである。
 輿の、左右、前後には、上からすだれが下がっているため、外から見えるのは、中に座している人影ばかりである。人影のかたちから、そこに座しているのが女とはわかるものの、それが、鳴花であるかどうかまではわからない。女であるなら、鳴花であろうと、真成が勝手に思っているだけだ。
 全体を囲むようにして、馬に乗った兵が、十人。
 輿を担いでいる人間が四人。
 総勢で十七名――
 きようりゆうめい、姜ちようめいの姿はない。
 竜鳴は、鳴花の父で、蝶鳴は、鳴花の兄だ。
 今朝――
 陳範礼と共に食事を済ませて、あてがわれた部屋にもどり、昨夜のことを、真成ははんすうしていた。
 昨夜は、妙な猿に似たに襲われて、あやうくほうこつを奪われるところだった。
 こうがいてくれたおかげで、奪われずにすんだのだ。
 しかし、その話は、陳範礼にも、鳴花にもしていない。
 昨日、鳴花が話していたことによれば、今日は、常羊山にゆくことになるらしいが、そのことについても、今朝の食事のおりに、陳範礼と話をしたわけではない。ほとんど、会話をせずに、食事をすませ、それぞれ自室にもどったのである。
 真成にとって、陳範礼は、仲間ではない。これが、椿ちんれいや、こううんちようもうてんらいぼうらんであれば、色々話をして、情報を共有するところなのだが、陳範礼とは、そうするつもりはない。
 自室で、あれこれ考えているところへやってきたのが姜鳴花だった。
「今日は、常羊山にゆくのよ。準備をなさい。昨日話した通りよ」
 鳴花は、真成にそう告げた。
「何があるか、楽しみね」
 含み笑いを残して、鳴花は去っていったのである。
 出立の準備をすませ、待っているところへ声がかかり、外へ出た。そこに用意された馬にまたがったところで、輿が建物の角を回ってやってきたのである。
 陳範礼は、すでに馬に乗って、その輿の後ろについていた。
 そのまま、真成は、陳範礼と並んで、同様に輿の後ろについたのである。

 (二)

 常羊山が、少しずつ近づいてくる。
 真成が背に負っている破山剣で、その昔、ふたつに裂かれた山だ。
 鳴花は、そこで何かが起こるだろうと口にしていた。
 いったい、何が起こるのか。
 見当がつかない。
 何かが自分に起こるとして、その理由は、自分が破山剣の持ち主であるからだと、鳴花は言った。どうして、破山剣の持ち主に何かが起こるのか。
 それもわからない。
 仮に、自分が誰かにこの破山剣をくれてやったとして、持ち主がかわれば、あらたなその持ち主に対して、その何かは起こるのか。
 昨夜、自分の身に起こったことは、すでにその何かが始まったと考えていいのか。
 ほくの姜げんめいが口にしたことだが、真成が見せられた指南車は、常羊山で発見されたという。
「見つけるまでに二十年かかりました」
 姜玄鳴は、そうも言っていた。
 椿麗のことを思った。
 今、椿麗はどうしているのか。
 北家の方では、また、何か新しいできごとが起こっているのではないか。
 椿麗は、その何かに巻き込まれているのではないか。
 急に、不安がこみあげてくる。
 この頃は、椿麗のことを思うと、ふいに胸が苦しくなることがある。
 動きを止めたと思っていた自分の心が、また動き出しているのがわかる。
 不思議なことが、今、自分の心の中で起こっているらしい。
 それは、いったい何か。
 風の中で、そう考えた時――
「おい」
 左手から声がかかった。
 陳範礼だった。
 その声で、真成は、我にかえった。
「なんだ……」
 真成が左を向くと、馬上から、陳範礼が真成を見ていた。
 眼が合うと、陳範礼は、前方に視線をもどし、
「『異神異怪経』というのを知っているか」
 そう問うてきた。
「知らん」
 真成がそう答えると、
「その昔、こうていが書いたとされている書だ」
 前方に顔を向けたまま、陳範礼は言った。
「それがどうしたのだ」
 真成が問うと、陳範礼は、少しを置いてから、
「もう、おまえには話してもいいころだろう――」
 やはり前を向いたまま言った。
「話してもいい?」
「その書を、かつて、たいこうぼうりよしようが持っていたらしい」
「それで――」
「その書をたよりに、呂尚は、常羊山で、おまえが今持っている、その破山剣を見つけたらしい」
「本当か?」
「らしい、ということだ。その書を見つけ出し、それを読み解いて、姜の連中はようやく、呂尚がたどりついた同じ場所から、あの指南車を見つけ出したということだな――」
 陳範礼は言った。

(つづく)


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