北上次郎の勝手に!KADOKAWA 第33回・清水一行『小説 兜町』を50年ぶりに読む
北上次郎の「勝手に!KADOKAWA」
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数々の面白本を世に紹介してきた文芸評論家の北上次郎さんが、KADOKAWAの作品を毎月「勝手に!」ご紹介くださいます。
ご自身が面白い本しか紹介しない北上さんが、どんな本を紹介するのか? 新しい読書のおともに、ぜひご活用ください。
清水一行『小説 兜 町 』を50年ぶりに読む
おやおや、懐かしい。清水一行のデビュー作『小説 兜町』の、令和四年九月二十五日発行の改版初版が、新刊書店の棚にあったのだ。なんと、新刊として今も売られているとは感慨深い。というのは、『兜町』が書かれたのは1966年であるから、今から56年前なのである。
たとえば、西沢が競輪場に行く場面がある。今回の文庫版でいうと、260ページのところだ。そこにこういう記述が出てくる。「車券の発売所へ行くと、三枠はガラガラだった」
三枠はガラガラ、とは何か。現在のように一つの窓口ですべての馬券を売っていた時代ではないのだ。実は私、競馬には詳しいが、競輪は素人なので、断言しづらいが、たぶん当時の窓口のシステムは競馬と同じだったと思う。つまり、競馬で言うと、まず一枠の窓口がずらずらと並んでいるのである。いちばん最初は1-1、次が1-2、その次が1-3。それらの窓口に金を突っ込むと、馬券を渡される。ちなみに、お釣りは出ないので、100円玉に換金しておく必要がある。だから、遠くからみるだけで、あいつ、あんな穴馬券、買ってやがんの、とバレてしまうから、大変に買い辛い。人気の窓口には長蛇の列が出来ているから、その列に並んだ連中がガラガラの列に並んでいる客を見たりするのだ。遠い昔のことだが、そういう時代があったのである。
西沢という男は、主人公の恋人の元カレで、物語的にはまあいなくてもいい存在で、清水一行は『新人王』という競輪小説、『風の神様』という競馬小説を書いている作家だから、競輪シーンはサービスかも。
もちろん、『小説 兜町』は経済小説で、清水一行はこの鮮やかな小説で、日本の経済小説界の第一人者となるのだが(私が若いころに読んだのは三一新書版で、なぜ経済小説などを読んだのか記憶にないが、なんだか新しい小説が出てきたな、との印象を抱いたことはまだ覚えている)、証券会社のシステム等も作品の発表から半世紀たっているなら、競輪シーンに見られるように、今とはずいぶん違うこともあるのではないかと推察される。しかしそれでも、相場の世界に生きる人間の夢と希望、誇りと挫折——そういう感情のドラマは変わらないのではないか。いま、この小説の「改版初版」が発行される意味も、そのへんにあるような気がしている。
ところで、元テレビ朝日のアナウンサー、竹内由恵が清水一行の孫であることを今回初めて知った。