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連載

小林由香「イノセンス」 vol.10

【連載小説】なんかそれって、生きているのに死んでいるみたいだよね。  小林由香「イノセンス」#10

小林由香「イノセンス」

※本記事は連載小説です。
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 店長が保有しているマンションは、1DKが二十四部屋あるという。光輝の実家は隣町にあるのに、なぜか彼はこのマンションの最上階で一人暮らしをしている。以前、パートの女性が「実家が近いのにぜいたくねぇ」とやっかんでいたのを耳にしたことがあった。
「子どもの頃から不思議な力があるんだ。信じてくれる?」
 先ほどから忙しいふりをしているのに、光輝はかまわず話しかけてくる。
 三ヵ月も一緒に働いているうちに、こういう唐突な会話には慣れた。彼は誰に対しても脈絡のない話をしてくるのだ。
「信じるよ」星吾は即答した。
 肯定しなければ、「どうして信じないのか」と永遠に終わらない質問を繰り返されるので、素直に認めるほうが楽なのだ。
「信じてくれてありがとう。ときどき人が色に見えるんだ。純粋で明るい子は黄色。他人と距離を置きたいと思っている人は黒。人の世話が好きなタイプは紫とかね。色が濃い場合は、その特性がより強くなる。ちなみに星吾は……かなり濃い青だね」
 光輝はぼんやりした声で続けた。「青は……後悔と哀しみの色」
 思わず動揺を隠せず、タバコを並べていた手を止めた。
 普通の人間なら軽口を叩いて終われるはずの会話なのに、おぞのようなざわめきが胸に広がっていく。
 光輝に不思議な能力があるはずがない。今だって噓だと言わんばかりに唇に笑みを刻んでいる。それなのに、後ろ暗い過去があるせいか、大学で変な噂を耳にしたのではないかと訝しく思ってしまう。それともコンビニに嫌がらせの電話やメールが届いたのだろうか──。
 星吾は目の端で彼の様子を窺った。
 光輝は「いらっしゃいませ!」と何事もなかったかのように明るい声を張り上げ、デザートを見ていた女性客の対応を始めた。慣れた手つきで商品のバーコードにハンドスキャナーを当てていく。その姿に不穏なものは感じられない。なにか悪意を潜めているようにも見えなかった。
 バイトのシフトは、昼はパートの主婦、夕方からは高校生、時給のいい夜は大学生が入ることが多かった。星吾は翌日の午前中に講義がないときは、深夜勤務を希望した。
 光輝がバイトとして雇われたのは三ヵ月前。最初は覚えることが多く、少し戸惑っている様子だったが、今は店長や常連客に気に入られている。誰に対しても屈託のない笑顔をふりまくので、年配の客からも「孫みたいに可愛い」と言われていた。
 入店音が鳴り、赤茶色の髪をした若者が入ってくると、光輝は「いらっしゃいませ!」と大声を張り上げた。
 万引き防止のため、入ってきた客の顔を見ながら大きな声で挨拶をしてください、そう研修のときに教わったが、自分がやられたくないせいか、星吾はそれが苦手だった。
 今日は珍しく客の入りが多い。レジ業務をこなしながら、弁当を温めて袋に入れる作業をひたすら繰り返す。忙しい日は余計なことを考えないで済むから好都合だった。
 客が少なくなる時間帯になると、店長から頼まれていた話題の商品のPOPを用意し、検品と品出し作業を終わらせた。
 台風が近づいているせいか、二十二時を過ぎた頃には、客足がぱったり途絶えた。静かな店内に、購買意欲をぐようなヒーリング・ミュージックが流れている。
 作業を終えて戻ると、隣のレジカウンターにいる光輝は一冊の本を睨みつけていた。本の表紙には『女心が手に取るように分かる!』と書いてある。
 星吾が嫌な予感を覚えながら椅子に座ると、光輝は待ちかまえていたかのように早口でまくし立てた。
「ひどいと思わないか? 女心を知りたいから何度も熟読したのに、昨日、俺は好きな人を鬼のように怒らせたんだ。この本は犬が水着を着て海に行くくらい無意味な内容だったんだよ」
 著者の名前が『もてるもてお』というところがすでに怪しいのに、なぜ買ったのだろう。
 星吾は本についての会話を続けるのが面倒になり、話題を変えた。
「喧嘩の原因は?」
「すげぇ冷たい声で『あなたとは目指す方向や夢が違う』って言われたんだ。根本は同じなのに、どうして方向がずれるんだろう」
 方向がずれるのは根本が違うからだと思い至ったが、敢えて口にはしなかった。
 光輝は大きな溜息をついてから言った。
「目指す方向や夢か……星吾の将来の夢はなに?」
 軽い気持ちで尋ねられたのはわかっているが、胸は微かに波立った。
 光輝の真剣な眼差しに耐えられず、星吾は慎重に言葉を探したが、口からこぼれたのは素直な気持ちだった。
「夢は……普通に生活して、普通に会社員になって、生きて……普通に死にたい」
 一瞬、光輝が物憂げな表情をしたので、星吾は慌てて明るい声で訊き返した。
「そっちの将来の夢は?」
「なんで俺の名前、いつも『そっち』なんだろう」
 そう言うと光輝は、肩を落としてわざと落ち込んでいるような態度を示した。
 人を名前で呼ばなくなって久しい。呼ぶ必要もなかった。友だちなんてひとりもいなくなったのだから──。
 黙ったままうつむいている星吾の顔を、光輝は下から覗き込んでくる。
「俺は『そっち』っていう名前でもいいけどね。星吾はプライベートな話はまったくしてくれないからバイト仲間としてはちょっと寂しいな、って思うときもあるんだよね」
「僕にはなにもないから」
「なにもないって?」
「大学行って、バイトして、アパートに帰って飯食って眠るだけ。特別な話なんてひとつもない」
 星吾はレジの横に置いてある籠の中からあめを取り、小さな袋を破って口の中に入れた。キャンペーンでやっているハズレくじの景品だった。リンゴの風味がほのかに口に広がる。
 光輝は気の毒そうに顔を曇らせながら言った。
「なんかそれって、生きているのに死んでいるみたいだよね」
 悪意がないのはわかっているのに、心は哀しみに震えた。
 実際、死んだように生きてきた。なるべく人と関わりを持たず、自分の気持ちや他人の感情を見て見ぬふりをし、誰にも深く介入しないようにしてきたのだ。
 本当は親しい友人が欲しかった。わからないことを相談する相手も必要だ。けれど人と深く関われば、いずれ心を傷つけられ、当たり前のように関係は破綻していく。そんな経験をするくらいなら孤独感に苛まれたとしても、最初からひとりでいるほうがマシだった。
「でも……俺は、星吾が羨ましいな」
 光輝は意外な言葉を口にしながら、ストレッチをするように上半身を反らした。
「どうして……なにが羨ましいの?」
「同年代の友だちとは違って、気張ってないところが好きなんだ」
 光輝の穏やかな笑顔を見たとき、胸に妙な懐かしさとせつなさが込み上げてきた。
 心が安らぐようなあたたかい笑顔──。
 まるで幼馴染に再会したような、どこかノスタルジックな気持ちが胸に押し寄せてくる。子どもの頃、無邪気な笑顔で「兄ちゃん」と駆け寄ってきた弟のとしに似ているのかもしれない。
 光輝は淡々とした口調で言った。
「自分にはなにもない、そうはっきり言えるのは、すごく強い人間だからだよ。たまに、俺は臆病だから誰かとつるんでいる気がするんだ。でも星吾はいつもひとりで、不確かな将来の夢とか語って自分をデカくみせたりしないし、そういうところが俺は気に入っている」
 突然、不快な音が耳に飛び込んでくる。
 心拍数が急速に上がるのを感じながら、星吾はガラス窓に視線を向けた。大粒の激しい雨が窓を叩いている。
「台風が近づいているみたいだね」
 そうつぶやいた光輝は、どこかうつろな表情だった。
 台風と雨がそろえば、嫌でもあの事件を思いだす。気分はどこまでも沈み、体調まで悪くなってくるようだった。

▶#11へつづく
◎『イノセンス』全文は「カドブンノベル」2020年6月号でお楽しみいただけます!


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