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連載

河﨑秋子の羊飼い日記 vol.16

【連載第16回】河﨑秋子の羊飼い日記「母、乱心」

河﨑秋子の羊飼い日記

北海道の東、海辺の町で羊を飼いながら小説を書く河﨑秋子さん。そのワイルドでラブリーな日々をご自身で撮られた写真と共にお届けします!
>>【大藪賞選考日編】「幸運のお守りはビッグサイズ」

目(黒ゴマ)をあしらって可愛くしてみた

 酪農の仕事は過酷だ。特に我が家のような昔ながらの家族経営の農家では、土日祝日盆暮れ正月なく働かねばならない。脱サラ組のうちの両親はそうして何十年も黙々と働いて我々兄弟を養ってくれた。とても真面目で堅実な人達だと思っている。
 そんな真面目な親だが、時々何か切れちゃいけないものがブチッと切れる、らしい。
 たとえば父。9年半前のある夜、脳の血管がブチッと切れた。以来、高次脳機能障害と半身不随により、現在、要介護5のヘビー級寝たきり老人である(発病した当初は半年経ったら植物状態になるだろうと医者に脅されていた割に、そこそこ回復して侍ジャパンのアジアカップ中継を熱心に見ているあたり、転んでもタダでは起き上がらない血の発露を見た思いである)。
 そして身体的には至って健康な母の方はというと。
 うちがチーズを生産しているのは以前にも書いた通りだ。母が主に切りまわしている。生産量は少ないものの、安定した質のものを提供してお客さんに喜んで頂くことがやりがいだ。母は未だに朝晩の搾乳もこなしながらチーズ作りをしているため、相当忙しい。娘の私でも頭が下がる。
 しかし先日、度重なる注文を消化するため連日のチーズ製造に勤しんでいた母が、いきなり「ちょっとちょっとコレ見て! 作っちゃった!!」と弾んだ声で工房から何かを持って来た。
「…これは…」
 本来、チーズの塊を引っ張ってロープ状にし、カットしたものが、うちの看板商品であるストリングタイプチーズとなる。しかし、母が持っていたのは、カット前のロープ状チーズ。1メートル弱のそれを、ご丁寧にくるんと巻いてある。
「………ヘビ?」
「うん!」
 御年72歳のドヤ顔として標本にしたい笑顔である。
「なんで作った。というか、なんでわざわざこれを作ろうと思ったのさ」
「面白いかと思って!」
「…面白いのは、面白いかもしれんけど、販売は、できないよね?」
「できないけど、面白いかと思って!」
 ああこれ、ツッコミ入れてもだめなやつだ。私が諦めの境地に入った時、晩ご飯を食べに高校生の甥っ子がやって来た。
「腹減った…ってなにこれー!」
「いいでしょ! ばーちゃん作ったの! 食べなさい!」
「わーい! いただきまーす!」
 制止を入れる暇もなく、食べ盛り高校生はチーズ製ヘビをむんずとひっ掴むと、満面の笑みで引き裂いた。そう、ヘビ型をしてはいるが、これは本来ストリングタイプのチーズであり、裂けるのが特徴…ってああー、あっという間に文字通りの八つ裂きにされた上、モリモリと食べられているではないか。
「んまーい!」
「なんてったって、ばーちゃんの作ったチーズだもの!」
 母の笑顔には一点の曇りもない。疑念を差し挟む余地を許さないほど、やりきった感に満ち満ちていた。
 …真面目な人間ほど、キレたらとんでもない行動に出るってのは、本当かもしれないな…と、齢アラフォーにして今なお親から学びを得た一件であった。
 この話には後日談がある。KADOKAWAの担当Kさん(巳年生まれ)にこの話をしたところ、大いにウケてくれた。
 そのため、母に頼み込んでもう一体(一本?)作ってもらい、上京時Kさんに日頃のお礼にと進呈してみた。予想通り、非常に喜んで頂けた。良かった、チーズヘビと一緒に津軽海峡を越えた甲斐があったというものだ。
 ただし、一人暮らしで一気に消費できないKさんには、冷凍保存をお勧めしておいた。故に今頃チーズヘビ2号はバツンバツンと切断され、ラップにくるまれて、Kさん宅の冷凍庫で眠っているはずである。解凍されて美味しくお召し上がり頂くことを願ってやまない。


河﨑秋子(かわさき・あきこ)
羊飼い。1979年北海道別海町生まれ。北海学園大学経済学部卒。大学卒業後、ニュージーランドにて緬羊飼育技術を1年間学んだ後、自宅で酪農従業員をしつつ緬羊めんようを飼育・出荷。
颶風ぐふうの王』で三浦綾子文学賞、2015年度JRA賞馬事文化賞、『肉弾』では第21回大藪春彦賞を受賞。


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