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連載

佐藤 究「テスカトリポカ」 vol.5

【特別公開】化け物たちがカワサキに集結!鬼才・佐藤究がアステカの呪いを解き放つ!「テスカトリポカ」#5

佐藤 究「テスカトリポカ」

※本記事は「カドブンノベル」2020年12月号に掲載された第一部の特別公開です。

鬼才・佐藤究が三年以上かけて執筆した本作は、アステカの旧暦に則り、全五十二章で構成される。
時を刻むように綴られた本作の第一部十三章を、直木賞、山本周五郎賞受賞を記念して特別公開する。  
第5章より、少年コシモは怪物へと成長していく――。

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5 mäcuïlli

 背が伸びるにつれて、コシモはいろんな品物を盗むことを覚えた。路上に停めてある自転車、ホームセンターで売っている服、靴、それに彫刻刀。食べ物はあまり盗まなかった。母親の財布から抜き取った金で鶏肉を買うことができた。
 コシモが十二歳になると、住む場所が替わった。暴排条例に締めつけられる父親の収入がさらに減り、今まで住んでいた川崎区のマンションを引き払うことになったのがその理由だった。家族が転居した先は同じ川崎市のたか区にあるアパートで、父親の学生時代の友人が、建物の一階で金物店を経営しながら、二階にある部屋を貸して家賃収入を得ていた。
 家族は空き部屋に敷金と礼金なしで入居できたが、土方興三はこれまでどおり、ほとんど家に戻らなかった。そこを自分の家だとも思っていない様子で、たまに姿を見せても妻に生活費を渡したりなどしなかった。
 母親がクラブに出勤して稼ぐ給料から家賃が支払われ、残った金はつぎつぎと薬物に消えていった。クラブの同僚が母親に麻薬を売っていた。

 前の家よりも狭くなった部屋にごみが散乱し、母親の服がそこかしこに脱ぎ捨てられていた。アパートの近くのちゆう街道を大型トラックが走るたびに、地面を伝わる震動で窓ガラスが揺れた。
 金物店の二階で目覚める朝、親しんだ児童公園に出かけられず、車椅子の老人にも会えないのはさびしい気がしたが、孤独には慣れていた。コシモはすぐに別の楽しみを見つけた。
 盗んだ自転車に乗ってなかはら区のろきりよくに行き、広い緑地を横切って〈とどろきアリーナ〉をめざす。窓口でチケットを買って、ゲームを観る。母親の保険証を持っていけば、小中学生価格で入場できた。そのゲームの名前は〈バスケットボール〉で、車椅子の老人に教えられたのは、川崎に本拠地を置く電機メーカーのチーム名にすぎなかった、という事実を、高津区に引っ越したコシモはどうにか自力で理解していた。
 十二歳のコシモの背丈は、すでに百八十センチを超えていた。とどろきアリーナのロビーですれちがう人々は、誰もがコシモを地元のバスケ少年なのだと思いこんだ。本人はボールに触れたこともなく、ルールさえ正確にはわかっていない。それでもゲームを観るのは楽しかった。
 体育館の客席には空席が目立った。アマチュアの社会人チームを応援するのは企業関係者が多く、一般のファンは少なかった。コシモはフードをぶかにかぶり、二階席の暗がりにいつも一人で座っていた。でっかいやつらだ、とコシモは思った。いつかおれもあんなふうになれるのかな。
 堂々とした巨木に見える黒い肌の巨漢が、コシモのいちばんのお気に入りだった。ケリー・デュカス、身長二メートル十センチ、体重百二十キロ、ポジションはセンター。その日、電機メーカーのチームは後半に出場したデュカスの活躍で逆転勝ちを手にした。体育館を出たコシモは、自転車に乗って中原区の大きなスポーツ用品店へ向かった。二日前に店内の下見は済ませてあった。店員が店に届いた荷物の検品に取りかかったとき、コシモは人工かく製の七号のバスケットボールに手を伸ばした。生まれてはじめて触れる試合用のボール、それをコシモの長い指は大人のように片手でつかむことができた。コシモは堂々と店を出て、戦利品を自転車のかごに放りこみ、普段より速くペダルを漕いで向かい風を味わった。

 つぎの朝は早起きして、かつて住んでいた川崎区まで出かけた。コシモは電車やバスに一人で乗ったことがなく、移動手段は決まって自転車だった。
 ボールを車椅子の老人に見せてやろうと思い、児童公園に行ったが、はとがうろついているだけで誰もいなかった。ベンチに座ってしばらく待った。昼まで待っても老人は現れなかった。枝に模様を彫るための小刀は持ってきていない。退屈なのでドリブルの真似ごとをやり、シュートを打つ気持ちで銀杏のみきにボールをぶつけて遊んだ。日が暮れるまで待ちつづけたが老人が来ないので、コシモはしかたなくボールを自転車のかごに入れ、ペダルを漕いで高津区のアパートへ帰った。

 車椅子の老人は事故に遭い、すでに死んでいた。コシモが児童公園にひさしぶりにやってくる六日前だった。ポケットウイスキーに酔って車輪の操作を誤り、川崎区を通る第一京浜──国道15号──の車道に落ちて、大量の砂利を運搬する十トントラックに車椅子もろともきつぶされ、老人の体重を支えていた鉄のフレームは瞬時にねじ曲がった。外れたねじやボルトが対向車線まで吹き飛び、アスファルトの上できらきらと輝きながら跳ねた。
 神奈川県警第一交通機動隊と自動車警ら隊が事故現場を規制線で囲み、その横の車線を続々と通過する大型トラックの排気ガスが渦巻くなかで、交通捜査課が鑑識をおこなった。十トントラックのブレーキ痕、ヘッドライトの破片、ポケットウイスキーの瓶の残骸、ちぎれた肉片、それぞれの写真を撮り、丹念に回収していった。
 対向車線を一時通行止めにして、警官たちが散らばった車椅子の部品を拾っているとき、交通捜査課の一人が奇妙な枝を見つけた。人の手で鳥の絵や幾何学模様などが細かく彫られていた。老人の私物だったのかもしれず、そうであれば遺族に渡さなくてはならない。
 交通捜査員は思った。遺族が現れればの話だが。
 写真を撮って枝を拾い、保管用のビニール袋にそっと入れた。

 七号のバスケットボールを手に入れたコシモは、新たな一日のスケジュールを自分で作り上げた。金物店の二階で目を覚ますと、小刀、バスケットボール、さばの水煮の缶詰、水道水を入れたペットボトルを持って、多摩川の岸まで歩いていく。いきなりバスケットボールでは遊ばない。まずは枝を拾い、昼まで模様を彫りこむ。時計は持っていないので、空腹が時間の経過を知る目安だった。制作途中の枝は草むらに隠し、つづきは翌日にした。
 鯖の水煮の缶詰を食べ、ペットボトルに入れてきた水道水を飲み、川原で昼寝をし、日が暮れるころに、バスケットボールを抱えてみぞのくち緑地へ出かける。寒くても夕方まで外にいるのは、以前と同じだった。早く家に帰ってもすることがない。
 下校途中の中学生や高校生に、あいつは誰なんだ、とささやかれながら、コシモは溝口緑地に着き、基本もわからないドリブルをくり返した。ケリー・デュカスのダンクシュートを真似て飛び上がり、頭上に伸びる桜の太い枝にぶら下がると、驚いたからすが鳴き声を上げて逃げた。コシモはそのまましばらくぶら下がって、浮いた両足を揺らしていた。

 学習塾に通う途中で溝口緑地を通り抜ける小学生たちは、夕闇のなかでボール遊びをするに〈ゴーレム〉というあだ名をつけていた。
 おまえ、ゴーレム見たか。
 見たよ。
 あいつ、一人で何やってるのかな?
 バスケだろ。
 あれバスケか? ずっと木にぶつけてるだけだぜ。鳥に話しかけたりして、たぶん頭がおかしいんだよ。

#6へつづく
◎全文は「カドブンノベル」2020年12月号でお楽しみいただけます!


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