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レビュー

虚構の人物の人生を創造する過程で現れた言葉たちを、 ごろっと並べて置いておく。── ヒコロヒー『黙って喋って』【評者:吉田大助】

物語は。

これから“来る”のはこんな作品。
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『黙って喋って』ヒコロヒー(朝日新聞出版)

評者:吉田大助



お笑い芸人として活躍するヒコロヒーの文章に最初に触れたのは、noteに発表したエッセイを厳選した著書『きれはし』が先だったか、それとも「POPEYE」二〇二二年一月号に寄稿した名文「一般企業で働く彼と、売れない芸人の私。」(https://popeyemagazine.jp/post-74209/)だったか。いずれにせよ、基本クールな文体の中に濃やかな感情や小ネタがぎっしりと詰め込まれていて、特に恋愛にまつわる文章には心を揺さぶられた。と同時にそこに記された言葉たちは、書き手の実存と共に読まれるというエッセイのくびきを離れ、もっと暴れたがっているように感じられたこともよく覚えている。
待望の新刊『黙って喋って』は、初となる小説集だ。毎回「お題」をもらって恋愛絡みのショートストーリーを執筆する、「ヒコロヒーの妄想小説」というウェブ連載が元になっている。書き下ろし四編を含む全一八編は、フリオチをきっちり効かせたエンタメ小噺ではなく、物語の始まりから終わりまでの間に漂う空気を味わうような作品揃いだ。そこには、空気がガラッと変わる瞬間も書き込まれている。それは、恋が終わる、または始まる瞬間である。
タイトルは全て、作中に登場するセリフから取られている。カギカッコも込みでタイトル、という趣向が楽しい。例えば、第一編のタイトルは「ばかだねえ」。物語は主人公の綾香が、恋人である理玖の何度目かの浮気を許す場面から始まる。そのことを友人の奈津子に報告すると、「ばかだねえ」。友人の口からもう一度放たれる「ばかだねえ」も含むやり取りには、生きた会話の感触がある。しかし、それから一ヶ月も経たないうちに、恋人が当たり前のように自分をないがしろにしたところで〈ぱつん、という音が、はっきりとおでこのあたりで鳴った〉。もう二度と同じことを繰り返したくはない、という決意と反省が綴られた一連の文章の中には、一方的な他罰でも過剰な自虐でもないあり方で、彼女が弱さから強さへと変貌を遂げる様子が書き込まれている。
異性として好きなのに、長い間友達同士でいすぎてしまった。絶対に好きになってはいけないと分かっているのに、好きになってしまった。自分を好きでいてくれる相手を好きになれたらいいのに、どうしてもなれなかった……。設定的には恋愛あるあると感じられるものが比較的多いが、咽せ返るほどのリアリティが訳知り顔でいさせることを許さない。また、第十編「普通に生きてきて優に出会ったんだもん」は、ろう者である恋人の優と付き合っている主人公と、別の「障がい」を持った恋人と付き合う親友のシスターフッドの物語となっている。恋愛とは直接関係のない設定が採用された物語もまれに顔を出し、そこには女性の人生にまつわる真摯な考察が現れている。
本書は計二五〇ページあまりと決して大ボリュームではないが、とても一気読みすることなどできない。読みながら過去の記憶や感情が脳内で勝手に溢れ出し、何度も本を閉じて深呼吸しなければいけなくなることだろう。そのような現象を引き起こす理由は、著者が選び取った文体の中にある。一文一文を「。」で分割せず「、」で連結することによって、一人の人物の内側に入り乱れた複雑な感情や価値観、作中人物いわく恋愛関係に潜む「加害と被害」の両面性が、分断されることなくモザイク状で表現されているのだ。そうした一連の文章のどこかに必ず、それぞれの読み手にとってのトリガーとなるエピソードやロジック、引っかかる何かを見つけることができるはず。
虚構の人物の自分とは異なる人生を創造する過程で現れた言葉たちを、自身の実感に基づいて整理したり笑いに変換したり、物語の律動に従わせたりするのではなく、ごろっと並べて置いておく。それができるのは、小説だからだ。それができるからこそ、ヒコロヒーは小説家になったのだ。

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『きれはし』ヒコロヒー(Pヴァイン)

売れないピンの女芸人時代からnoteに綴っていた、人生の「ログ」(「おわりに」より)のようなエッセイ集。白眉の一編は、前後編計58ページにわたる「コリドー」。飲み屋で知り合った男性に、なぜか自分は中国人のポンちゃんだという設定を繰り出し、その後のデートでも演じざるを得なくなり……。自分で自分にむちゃぶりする芸人根性が、実人生でも笑いを招いている。


『きれはし』ヒコロヒー(Pヴァイン)


(本記事は「小説 野性時代 2024年3月号」に掲載された内容を転載したものです)


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