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他社に特ダネを流した裏切り者を捜せ! ――松井蒼馬『1面、降版します 特命記者の事件簿』レビュー【評者:外山薫】

どんでん返しの連続の新聞記者小説。
『1面、降版します 特命記者の事件簿』レビュー

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令和時代の変わりゆく企業小説

書評:外山薫

企業小説に強烈な逆風が吹いている。終身雇用制度が崩れ、転職は当たり前となった。働き方改革とコンプライアンス意識の浸透により、無茶な残業や理不尽なパワハラも過去のものとなりつつある。専門性が身につかない異動や会社都合の強引な転勤も減る中、会社組織と自らを重ね合わせるという行為自体、ピンとこない世代が増えている。敵対する上司に土下座してまで捲土重来を期したり、自らの首を懸けて社内の巨悪と戦ったりするという王道の企業小説に不可欠なヒロイズムは、令和という時代において過去の遺物となりつつある。

小説『1面、降版します 特命記者の事件簿』はこうした時代の流れに抗った物語である。なんせ、舞台は新聞社。時代の変化についていけずに衰退していく、斜陽産業の代表格だ。現代社会を描いた小説でありながら、長時間労働を前提とした働き方や肩書きや派閥が物を言う旧態依然とした価値観が随所に顔を出しており、令和も六年目となった今からすると懐かしさすら覚える。

一方、昭和・平成時代の濃厚な残り香が漂う前時代的な会社を舞台に据えながらも、主人公の藤崎桃果は極めて現代的だ。二十五歳のいわゆるZ世代であり、職場である毎朝経済新聞の社風や古臭い慣習に対する不信感を隠そうともしない。徒弟制度、職場での酒宴、権力闘争――。日本の(Japanese)伝統的な(Traditional)企業(Company)の頭文字をとったJTCというネットスラングが人口に膾炙して久しいが、そんなJTCの中でZ世代の若者が悩み、もがいていくという構図だ。

記者としてバリバリと働いていた桃果は入社一年目に起こしたある事件がきっかけで、紙面のレイアウトを組む整理部への異動を余儀なくされる。記者という職業に並々ならぬ思いを抱きながらも、ともに紙面を作る仲間であるはずの他部門からは軽んじられ、望まぬ仕事を嫌々こなす日々。昭和時代の企業小説であればここから奮起するはずだが、桃果の場合、あっさり転職活動に手を出そうとするなど、どうにも足元がフラフラして頼りない。

ある日、桃果は幹部から呼び出され、社内の裏切り者を捜せば記者に戻してもらうという密約を交わす。この密命をきっかけにストーリーが動き出すはずが、桃果は使命感を持って情熱的に動いている訳ではないので、あっちに行ったりこっちに行ったりと迷走する。会社に対する不信感と、記者という職業に対する憧憬、そして同僚に対する複雑な感情。読んでいるこちらが不安になるような蛇行具合は、会社に人生を捧げることが正解だった古き良き頃と異なる、令和という不透明な時代の主人公らしさを感じる。

犯人捜しというミステリーの要素もあるので内容についてはこれ以上触れることは差し控えるが、物語を通じ、「働く」ということについて徹底的に掘り下げようという、著者の松井蒼馬氏の強い意志を感じた。己の職業に対する矜持、組織の中で評価されないという絶望、自分の仕事をないがしろにされたことへの怒り……一癖も二癖もある毎朝経済新聞の個性豊かな登場人物が吐露する感情は、企業で働く人間であれば共感できるものも多い。

新聞記者が主役の小説といえば、御巣鷹山での日航機墜落事故を巡る地方紙の人間ドラマを描いた『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫・著、文藝春秋)をはじめ、ジャーナリズムの使命といった骨太のテーマが用意されがちだ。しかし、本作はあえてそのような保守本流には背を向ける。社内の派閥抗争にせよ、望まぬ人事異動にせよ、物語の根幹となる「謎」にせよ、極めて内向きなもので、外から見ると滑稽ですらある。しかし、そこで働く一人ひとりにとって、それらは世界のすべてになり得る。
変わっていくもの、そして変わらないもの。相反する二つの要素をうまく織り交ぜて紡いだこの物語は、時代という濁流に合わせてしなやかに姿を変えて生き続ける、企業小説の進化の方向を示した一作と言えそうだ。

評者プロフィール

外山薫(とやま・かおる)
1985年生まれ。慶應義塾大学卒業。著書に『息が詰まるようなこの場所で』、『君の背中に見た夢は』(ともにKADOKAWA)。

作品紹介



1面、降版します 特命記者の事件簿
著 者:松井蒼馬
発売日:2024年03月04日

新聞社内に裏切者がいる。ネタを他社にリークしている犯人を探し出せ。
「他社にネタを流している裏切り者を探せ」。
全国紙の毎朝経済新聞で見出しとレイアウトを担当する整理記者、藤崎桃果に下ったまさかの密命。桃果は取材記者1年目に起こした誤報記事が原因で、整理部に「左遷」されていた。すっかりやる気を無くしてしまい、転職活動に夢中になっていた桃果だったが、編集局ナンバーツーの権座に呼び出され、裏切り者探しを始めることに。裏切り者を特定できた暁には、取材記者として返り咲けることを約束された。
もともと競合する2社が合併してできたこの新聞社では、派閥争いが続いていた。怨嗟、嫉妬、陰謀が渦巻く社内で、桃果がたどり着いた衝撃の真実とは?
どんでん返しの連続の新聞記者小説。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322311000276/
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