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レビュー

日々の「無意味な」仕事に傷ついている人たちへ――安藤祐介『仕事のためには生きてない』レビュー【評者:朱野帰子】

職場も人生も捨てたもんじゃない。
安藤祐介『仕事のためには生きてない』レビュー

書評家・作家・専門家が話題の一冊を解説します!



日々の「無意味な」仕事に傷ついている人たちへ

書評:朱野帰子(小説家)

「ブルシット・ジョブ」という言葉を知っているだろうか。文化人類学者のデヴィッド・グレーバー氏が提唱した言葉だ。グレーバー氏はこう定義している。「最終的な実用的定義=ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている」
 この「ブルシット・ジョブ」が描かれている(と、私が思っている)漫画がある。『呪術廻戦』だ。この漫画の登場人物の一人、七海建人は、証券会社に就職したが、誰かに必要とされることを求め、呪術師の世界に戻ってくる。証券会社の仕事が「ブルシット・ジョブ」なのかどうかは私にはわからないが、七海にとってはそうだったのだろう。たとえ高年収をもらえたとしても、自分の仕事に意味が見出せなければ、人は生きていけないのかもしれない。
 しかし、七海のように転職することができない人たちはどうすればいいのか。
 安藤祐介の新作小説『仕事のためには生きてない』はそんな人たちの物語である。
 主人公の多治見勇吉はある日とつぜん、経営企画本部コンプライアンス部との兼務を命じられる。与えられたポジションは、社長が気まぐれのように発した「スマイルコンプライアンス」というコンセプトを社内浸透させるための準備室の統括リーダー。
「スマイルコンプライアンス」がなにかは上司たちもわかっていない。主人公もわかっていない。社内の誰もわからないまま、そのコンセプトを具体化し、コンプライアンス委員会で承認を得なければならない。役員たちに根回し行脚をしたのち、与えられた修正指示を反映し、委員会に提出するのだが、そのたびに却下されてしまう。
「社内調整ばかりで時間に追われ、何も進まない空転の日々を重ねた」
 この一文に心が痛くなった。同世代の友人たちと飲むとき、「根回しばかりしている」と訴えられることが多いからだ。日本の企業の多くは高齢化している。根回ししなければならない上司世代も大量にいる。そのせいでメンタルを病んで休職した友人も知っている。
 主人公の多治見も突然のメンタル不調に襲われる。つらい日々を救うのは、勤め人のメンバーで演奏する勤め人のためのロックンロール、リーマンロックだ。ベーシストとして活躍する彼が仲間と行う演奏シーンは圧巻だ。日々の業務がきつくなればなるほど、彼らの演奏はロックにパワフルになっていく。読んでいて涙してしまったくらいだ。……ということは、私ももしかしたら日々のブルシット・ジョブによって傷ついているのかもしれない。
 そうやって、なんとか勤め人として生きていこうとする主人公の前に、突きつけられるのは「死の予感」だ。
「三十五歳になると、健康診断の検査項目が増える」という冒頭の一文は、主人公が若者ではないことを示している。若い頃の武勇伝を振り回し、部下に何度も資料を作り直させ、威厳を示すことを「仕事」とする人たちにつきあっている時間はもはやない。三十五歳という年齢はそういう時かもしれない。今いる場所を見限って転職するか、それとも今いる場所を少しでも変えてみようとするか。
 この物語の主人公は、後者を選択する。
 仕事小説において、逃げ出す物語よりも、留まって戦う物語の方が、書くのが難しい。会社に留まった結果、主人公がどんな変化を起こすのかを著者は書かなければならない。それは今現在多くの企業で起きている問題に対して解決案を提示することでもある。小説家風情にどんな提案ができるというのか。仕事小説を書くたび私はいつもそんな恐れに苛まれる。だから、それがたとえ“お花畑”な提案であろうと、逃げずに作中で解決法を提示する小説家は勇気がある。そして安藤祐介はその勇気がある小説家なのだ。
 スマイルコンプライアンス準備室統括リーダーとしての立場を使って、主人公の多治見が会社からブルシット・ジョブをどう駆逐していくのか。彼の戦いをぜひ読んでたしかめてほしい。
 そしてこの物語は、2000年代から会社員たちを時に救い、時に縛りつけてきた「コンプライアンス」とは何かを問う物語でもある。
 最後に、蛇足ではあるのだが、安藤祐介作品では、主人公たちが追い詰められたときに飲むものがある。ビールだ。主人公たちが冷たいビールを飲み干すシーンを読むとき、安藤さんにこう言われたような気がする。
 見ていてくれ、主人公はここから巻き返していくから、と。


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