2022年ニューヨークタイムズベストスリラーに輝いた話題作!
『ブラッドシュガー』レビュー
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『ブラッドシュガー』
著者:サッシャ・ロスチャイルド 訳者:久野郁子
読めば読むほど謎が深まる、殺人癖のある主人公。
書評:大矢博子
ルビーが初めて人を殺したのは、5歳の時だった。
姉をいじめていた悪ガキが海で波に飲まれ、助けを呼ぶこともできたのに、ルビーは彼の下に潜って足を引っ張ったのだ。誰も彼女の行いに気づかなかった。そして本人も意外なほど、罪悪感をまったく感じなかった。
そんな幼少時代の〈初殺人〉から25年、30歳になったルビーが警察の取調室で刑事と向き合っている場面から物語が動き出す。刑事はルビーの前に4枚の写真を並べた。いずれも彼女がよく知っている人物で、そしていずれもその死の場面にルビーが立ち会った人たちでもある。
人の死に4度も巡り会うのは不自然だという刑事。警察はルビーがこの4人を殺したと考えているらしい。確かに3人まではそうだ。しかし1枚は違う。
ところが警察は、すでに事故として処理済みの過去の3件ではなく、唯一彼女が手を下していないその1件の犯人として彼女を逮捕しようとする──。
いやあ、なんという設定か! もちろん冤罪はあってはならないことだが、私は殺していないとルビーが訴えるたびに「いや、そりゃ確かにこの人は殺してないけどもさ」と言いたくなる。まったく同情できない……と思うでしょ? ところが同情してしまうのである。ルビーを応援してしまうのである。シリアルキラーなのに。迷いも容赦もなく3人を殺した殺人犯なのに。
なぜか。彼女が殺すのは「悪者」だからだ。一種のアンチヒロインと言ってもいい。さらに、ルビーが取調室で過去を回想する、その半生が実に読ませるのだ。
十代半ばでドラッグとセックスを覚え、絵に描いたような無軌道な青春を送る。しかし途中で改心し、持ち前の頭脳と努力で大学に進学。恋をしたり親友ができたり信頼できる先輩に出会ったり。友達に裏切られて落ち込んだこともある。デートの洋服に試行錯誤する姿はとても可愛い。心理学を学び、臨床心理士として実績を積み、運命の出会いを経て結婚。厄介なクライアントや好きになれない姑という問題はあるが、マイアミの海辺で夫と犬と猫と暮らす日々──。
とても「ふつう」だ。真面目で頭がよくて自制心の強い、運命を自分の手で掴み取ることを是とする、とても魅力的な「ふつう」の女性の姿だ。大学生活も新婚生活も、会話やエピソードのひとつひとつが生き生きしていて、まるで明るい海外ドラマを観ているかのよう。それだけで読み応えたっぷりの青春小説になっているのである。まあ、その中には日常の続きのように殺人も登場するのだけれど。
だがそんな日々は突如終わりを告げ、彼女は冤罪事件の真っ只中に放り込まれることになる。身に覚えのない疑いをかけられたルビーの焦り、懊悩、不安。彼女を犯人扱いする周囲の人々に対する悲しみと諦め。そんな中でもカウンセリングのクライアントのため行動しようとする優しさ。後半はそんな彼女の描写に胸を締めつけられる。殺人犯なのに。
物語は甘さの中に苦味を、まろやかな中に鋭さを、明るさの中に闇を、絶妙なタイミングで入れてくる。彼女は善なのか悪なのか。彼女は救われるべきなのか罰されるべきなのか。読みながらその間で揺れに揺れた。私の場合、その針は彼女に同情し応援するという方に振れたわけだが、あなたはどうだろう?
大事な家族を亡くして大きな悲しみの渦の中にいるルビーと、人を殺してまったく罪悪感を抱かないルビーがひとりの中にいるという事実の、なんと不穏なことか。彼女はソシオパスなのだろうか(本人は違うと言っている)。それとも冷静なヒロインなのだろうか。読者として道徳観が試された思いだ。ルビーは考える。「たしかにわたしは殺人者かもしれないけれど、みんなと同じふつうの人間なのだ」と。
真犯人探しのミステリではない、というのは言っておいてもいいだろう。読みどころはなぜルビーが疑われたのかと、どうやって冤罪を晴らすのかというところにある。彼女を助ける弁護士にも注目。「おまえか!」と、ちょっと笑みがこぼれた。それも、彼女の半生が、その周辺人物も含めて魅力的に綴られていたからに他ならない。
なお、彼女が殺したとされているのが誰なのか(それはタイトルにもかかわっている)は、もしかしたらあらすじ紹介などで明かされるかもしれないが、ここでは言わないでおく。情報をどの段階でどうやって提示するかも、この著者のテクニックが冴える部分だからだ。書評を書いておいて言うことではないが、できれば極力前情報なしで味わっていただきたい作品である。
作品紹介
ブラッドシュガー
著者 サッシャ・ロスチャイルド
訳者 久野 郁子
定価: 2,420円(本体2,200円+税)
発売日:2023年04月26日
2022年ニューヨークタイムズベストスリラーに輝いた話題作!
30歳、臨床心理士。マイアミで幸せな新婚生活を送っていたルビーだが、ある日1型糖尿病を患う夫が夜間低血糖で急死。ほどなくして、ひとりの刑事が訪ねてくる。ルビーが夫を殺害したと疑っているのだ。刑事はルビーに顔写真を一枚ずつ見せながら言う。「この4人には、きみのすぐ近くで亡くなったという共通点がある」。ルビーは断じて夫を殺してなどいなかったが、実は他の3人を殺していた。大陪審の審理がはじまり、彼女はサイコパスとして連日トップニュースを飾ることに--。
この語り手は信用できるのか!? 果たして彼女はサイコパス??
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