誰にでも欲望はあるはずです。
美味しいものを食べたい、お金持ちになりたい、好きな人と付き合いたい――一般的なものだけではなく、他人には言えないようなこともあるかもしれません。そして、私たちは、欲望に振り回される生き物です。そのせいで大なり小なり失敗をしてしまったこともあるでしょう。失敗を繰り返しながら、ある程度妥協して生きていくわけです。
物語でもキャラクターの欲望というのは重要なエンジンとなり、それによって起こった出来事で私たちを楽しませてくれます。
しかし、物語なのですから、現実と同じように、失敗して主人公が折れ、妥協してしまうようでは面白くありません。
今回は主人公が折れずに道を進み、答えを出す作品を選びました。
(本記事は「カクヨム」に2022年4月28日に掲載された内容を転載したものです)
評者 芦花公園
彼は獣か人か、どちらにいるのか。
monkey talk
作者 @isako
https://kakuyomu.jp/works/1177354054921673116
語り手の「私」は祖父が死んだことをきっかけに、山で世捨て人のような生活をしている母方の伯父と出会います。
何の世話もしなかったくせに祖父の遺産を多くもらったことから伯父は親族と断絶状態となりますが、何故か「私」は伯父に惹かれ、母親に隠れて伯父の元に通うようになりました。
伯父は「私」に山での生活のいろは、山の危険性を教えるとともに、奇妙な猿の存在を示唆します。
その後も伯父の元に通う「私」でしたが、ある日とうとう両親にバレて、二度と会いに行くなと言われてしまいます。さらに、当の伯父にももう来るな、と拒絶されるのです。
絶望した「私」は山に入り、そこで伯父の言っていた奇妙な猿に出会うのでした。
この物語は老人になった「私」の回想という形の文章なのですが、幼少期から今に至るまで、「私」はずっと欲望のままに行動しており、そこに他者が口を挟む余地はありません。
どう考えても不便、どう考えても汚い、どう考えても危険ーー常軌を逸した環境に、何故か「私」は進んで身を置きます。
特筆すべきは、「私」は決して欲望に振り回されているのではないということです。
「私」が行動した結果には悲惨な結末が用意されていますが、最後まで「私」は満足げです。
恐ろしいのに、なぜか少し羨ましいような、そんな読後感の、他にはない小説です。
でも、巨乳ですよ?
おっぱい狂いな無敵の英雄
作者 こむらさき
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885253407
ため息が出るほどの美貌を持った勇者ルリジオは、格の高い女神の加護を受けていて、どのような魔物にも負けることはありません。
数々の魔物を退け、多くの民を救い続ける彼は紛れもない大英雄、なのですが――
タイトルから、お下品な小説だと思った人も多いのではないでしょうか。実際この小説は、まさに狂っているとしか言いようがないほど「巨乳」に執着するルリジオの物語であり、ありとあらゆる語彙で巨乳を褒めそやすルリジオの狂気はコミカルですらあります。しかし、この小説は単なるコメディ小説ではありません。
ルリジオは、「巨乳狂い」でありながら、全人類、いや、全種族に対してスタンスは変わらないのです。種族が違ったり、人に害なす者であっても力任せに蹂躙することがない彼は、どこまでもまっすぐだと感じました。
彼の判断基準はただ「巨乳であるかないか」それだけです。
彼の一切折れない主義に、最初笑っていた私も読み進めるうちに尊敬の念を抱くようになりました。
狂気も突き詰めると天晴れである、と知らせてくれた小説です。
愛するとは何を意味するのか。
「愛する方とは永遠に結ばれないでしょう」と予言された王子のお話
作者 海堂岬
https://kakuyomu.jp/works/16816927861739102333
主人公は大商人の娘。
貴族や王族も通う学園に在籍していて、成績優秀のため、同級生の第四王子の教育係に任命されます。
第四王子は王子とは名ばかりの庶子であり、何の後ろ盾もありません。おまけに、大予言者から「愛する方とは永遠に結ばれないでしょう」と言われてしまったために、貴族たちも自分の娘を彼に近づけようとはしないのでした。
商人の娘である主人公は、資金を貯めて自分の店を繁盛させるという夢のために教育係を引き受けます。
この作品の世界は、よくあるネットファンタジー小説のように、主人公たちを甘やかしはしません。主人公は恵まれた環境にいるものの、やはり平民は平民であり、第四王子は社会からこれでもかというほど軽んじられています。突然授けられた特殊能力も、フェアリーゴッドマザーも存在しないのです。
そのような苦難を乗り越えていく上で、主人公と第四王子の間には愛情とはまた違う絆が生まれていきます。
注目すべきは、主人公の目的は教育係を引き受けたときからひとつも変わっていないところです。
彼女はそのために自分のできる限りの努力をします。第四王子に対して特別な感情を抱いているものの、彼女の行動原理は決して「王子のため」ではありません。
彼女は自分の意思を曲げず、その上で彼とともに生きることを選択するのです。
皆さんもこの小説を最後まで読み、王子に下された予言の解釈を知ると、ああ、良かった、とつぶやくことでしょう。
産むことは悪いことなのだろうか。産まないことは悪いことなのだろうか。
本能の軛
作者 teran
https://kakuyomu.jp/works/16816927862247807115
主人公の吉崎日奈子は14歳の時、偶然聞いてしまった祖母と母の会話で、自分が子供が産めない体であることを知ります。
その時はそこまで気にも留めず、日奈子は大人になります。
彼女はあるイベントを運営する仕事を手がける中で、ひとりの女性と再会し、それをきっかけに「産むこと」について向き合うことになります。
日奈子は特にこれといった思想を持つ女性ではありません。かなり冷めていて、横暴な同僚や、思想が先鋭化してしまった人、不倫をしている人、そう言った全てに対して、特に賛成も反対もしないのです。
そんな日奈子ですが、自分以外の女性の「子を産み、育てる」様子を見て、否応なく自分の生い立ち、そして子供を産めないということを考えさせられます。
子供を産むことにも、産まないことにも、メリットが存在します。メリットが存在するということは、デメリットも存在します。
この話に出てくる女性たちの考え方や行動には、日奈子同様考えさせられることが多いです。
日奈子は講演で自分のことーーつまり、自分が産めない体であることをネタに、ステージに上がって話すことになります。
物語は、日奈子がステージに上がって発した一言目のセリフで幕を閉じます。
彼女の出した結論が見えたような気がして、地の文で長く説明されるよりもずっと心に残りました。