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訳書として羞含(はにか)まない、不思議の本の妙趣――『怪談』ラフカディオ・ハーン著/円城塔訳 書評:ピーター・バナード

八雲が世界に紹介した驚異の書「KWAIDAN」の真の姿が、明らかに!
ラフカディオ・ハーン著/円城塔訳『怪談』

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ラフカディオ・ハーン著/円城塔訳『怪談



ピーター・バナード(慶應義塾大学文学部助教)

 JIKININKI。​
 一体何の意味を指す言葉だろう。日本語に関する知識が皆無であれば、謎は謎のままであろうが、もし気が向けば、現在二一世紀はいうまでもなく、百年以上前の一九〇四年においても断片的ながら日本語の語彙集といったものを手に入れることは不可能でもなかったはずである。ともすれば……せめてその趣のある読者にとっては、――かかる情報的断片性がもたらしてしまう知識の亀裂を、時折驚くほど独創的に想像力が埋めんとしだす。

 ラフカディオ・ハーンの代表作とされ続ける、元々Kwaidanというタイトルを持つ書物は、小泉八雲著『怪談』として日本で楽しまれて久しいことは言うに及ばない。しかし原文には日本語読者を予想している様子が全く見当たらず、いつか日本語に訳されることもハーン自身はおそらく予想していなかっただろう。英書のKwaidanは頑固なまでに「英語圏向け」の本なのである。

 この本に初めて出会った時の個人的な話ですが、「OF A MIRROR AND A BELL」とか「A DEAD SECRET」の如き英題目を持つ部分より、「JIKININKI」や「RIKI-BAKA」のような、パッと見たところどのような話なのか全く分からない不透明な題目の方が興味をそそる感覚を、今でも鮮明に覚えている。とりわけ「JIKININKI」は、「ジキ」「人気ニンキ」に因んだ題目かな、と当時は(勝手に)推測し、幸運が忽然と降臨して主人公の人生を一変せしめる、何だか荘厳に神秘的な有り難いお話かと想像して読み進めば……

 全然違う。しかばねを喰ってしまうマンクのゴーストの話だった!
​ このような読書経験を実際に持っている自分が、円城塔氏の新訳『怪談』を手に取った時、一種の確信というか、読者的自己肯定を感じた。今まで夥しく様々な形でハーンの『クワイダン』を帰化させ八雲の『怪談』に変じさせた、比喩的に言ってみれば原文を飼い慣らすような方法論の日本語訳とは著しく異なり、円城氏の新訳は、原文の何気ないカオス感を可能な限り日本語の読者に与えてくれる。そのため、ひょっとすればKwaidan邦訳史上に初めて、日本語読者にとっても「JIKININKI」をジキ人気ニンキなり何なりとして不思議がりつつ頁を捲ることが可能になった。「JIKININKI」を「ジキ人気ニンキ」と訳すのは無論とんでもない誤訳だが、「ジキ人気ニンキ」みたいなものが聯想され得る特性を維持してくれる訳し方には大いに価値を感じる。

 原文の『怪談』には「Stories and Studies of Strange Things」という副題が付いている。これは勿論「不思議の物語と研究」という風に訳しても結構だが、同時に「ヘンな物事の話とスケッチ」というような捉え方も可能であろう。しかも副題なので題目となっている『クワイダン』の意味的注解としても捉えることができ、つまり「怪談」(怖い話?)の本なのに「ヘンな物事の話とスケッチ」(珍話?)の本でもあるという、矛盾の含んだ、わけの分からない本だよ、と表紙が英語圏の読者に向けて叫んでいるかのようにも感じられる。

 それで、このわけの分からなさ、――つまり原文から迸る驚異の感覚を、今度は日本語の読者にも向かって放つという姿勢が、この新訳の最大の成果であろう。
「訳者あとがき」において円城氏はこの本の大半の基本的な訳し方を「直訳調」と述べており、表紙の帯なども「直訳」であることを宣言している。が、「直訳」とはそもそも何か。英語の原文において、ハーン自身は日本語の単語を訳す時もあれば、訳さずにローマ字で記したり、注や文章中の説明を付言したりする時もあり、方法論的な一貫性はあまり感じない。従って、それを日本語に戻す際、例えば「daimyō」を「大名」とした方が直訳か、「ダイミョー」とした方が直訳か。この新訳の特徴となる後者の選択肢は、確かに直訳と言えば直訳だが、同時に非常に独創的な選択肢でもあり、いわゆる「意訳」以上に現代の読者にとっては新鮮味を醸し出しているのではないだろうか。

 若き頃のハーンの、米国やカリブ海に関する文章のハイパー浪漫ロマンな感覚に比べて、来日してからのハーンの文体は、よく言えば円熟して落ち着きを帯びてくるという意見も可能だろうが、個人的にはある種の衰えを感じることを否めない。簡単に言えば、文体が面白くなくなるのではないか、と正直に言えば以前から思っているところである。しかも明治後期の、Kwaidanの発表当時とは違って、現在においては例えば上田秋成著『雨月物語』の英訳も日本語の現代語訳も、――おまけに円城氏による現代語訳で!――存在しているので、ハーンの「JIKININKI」ではなくて秋成の「青頭巾」を読んでしまった方がよいのではないか、という疑問が未だに脳裏の片隅に残っている。

 ハーンは、日本に来るまでは、色々な意味での混合ハイブリディティを追求する美学を、自分の文章で体現しようとしている。問題をたくさん抱えてもいるこの「混ざり合い・雑種性の美学」は、文化的にも社会的にも言語的にも、来日以前のハーンの基本的な姿勢のように捉えられる。日本時代にもその傾向は全くないわけではないが、ハーンは日本に来てから、その文章の焦点がかなり変わり、「日本」の均質性をあまり問わないままその「解釈」ないしは「紹介」をする役割を担う、――もしくは担わされるとともに、彼独自の混合ハイブリディティの哲学が文章の表面から消えてしまう、と私は思う。

 それで、円城氏の新訳の妙味は、日本を解釈するハーンを解釈しない、というスタンスから出発しながらも、その独創的「直訳調」を以て一種の和製クレオール訳語をシステマチックに創り出し、ハーンの文章の表面から消えかけていた混合ハイブリディティ感を『怪談』にたっぷりと注入している、といったところなのではないか。冒涜的かもしれないが、円城氏の『怪談』はただの「直訳」以上に面白いのみならず、英語の原文に劣らないほどに読者の想像を膨らませながら、原文以上に言葉が言葉でなくなってまた別の言葉になろうとする瞬間について考えさせてくれる本になっているだろう。ハーンの『クワイダン』の本当のお化けゴーストたちは、実はずっと言葉そのものだったのかもしれない。

作品紹介・あらすじ



『怪談』
ラフカディオ・ハーン/著 円城塔/訳
KADOKAWA
定価:2200円(本体:2000円+税)

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが1904年に英・米国で発表した「KWAIDAN」には、遥かかなたの異国「JAPAN」の物語が描かれていた。当時、本書を手にした読者は何を感じたのだろうか。円城塔が白日の下に晒す、た驚異の書「KWAIDAN」の真の姿!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322202000842/
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