私よ、走れ。「老い」は人生の終わりじゃない。鮮烈な人生再出発物語。
野沢直子『半月の夜』
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野沢直子『半月の夜』
藤田香織(書評家)
読みながら、何度もこの小説の作者が野沢直子である、ということを忘れた。
まったく勝手で一方的ではあるけれど、「野沢直子」という人には「動」のイメージがあった。実際のところは知らないが、テレビやYouTubeで見る彼女はいつも賑やかで口数が多くて、ワチャワチャしていて、なんというか「動」で「陽」で「明」な人、に見えていた。
もちろん四六時中、そんなふうにテンション高く生きられるはずはないだろうけれど、今まで発表された本でも、亡くなった実父を中心に自らの家族を描いた『笑うお葬式』や、「好き」を武器に世界を生き抜こうとするふたりの少年を主人公に据えた『アップリケ』には、書きたいこと、伝えたいことがそのまま文章に出ているような勢いが感じられた。
けれど本書『半月の夜』は違う。
〈ここ数年で私は、転がるように醜くなった〉と始まる物語は、澱んで、停滞した世界が描かれていく。五十五歳の主人公・立花は、〈ここ数年、私は感情の針が動かなかった〉と述べるほど、なにも感じることなく、毎日をただ生きている。毎朝鏡で、ぶくぶくと太り、皮膚のたるみが酷くなり、白髪が増えた自分の醜さを確認し、ヨレヨレの灰色のスエット上下を着て仕事に行く。職場はスーパーのレジ打ちで、本当は接客業などやりたくない、誰にも接したくはないと思いながらも、〈特に生きていたいわけではないけれど死ぬ勇気もなくて、とりあえずは食べるものを買うために、寝るための六畳の空間を守るために就いた仕事〉だった。
基本的な挨拶を小声でする以外、極力誰とも話さない。同世代のレジパートたちからも疎まれ、理不尽な理由で目の敵にされている。六畳の寝るための空間と、仕事場までの道、仕事場のスーパー、余り物が出なかったときに立ち寄る弁当屋とコンビニの五箇所だけが世界の全てである彼女は、周囲で起こる様々な物事を「どうでもいい」と思っている。
もうひとりの視点人物となる、弁当屋の主人・中川も、時おり客としてやってくる立花を〈言葉を発せずぞっとするような無表情で、いつも死んだような目をして、心に深い闇を抱えている人〉だと見ていた。その中川もまた、両親が営んでいた弁当屋を継ぎ、ひとり暮らす日々のなかで「十四歳」という年齢に捕らわれている。繰り返す後悔。晴れることのない心。この「停」で「陰」で「暗」な世界を、あの野沢直子が綴っているなんて。
しかし、中盤以降、物語は思いがけない方向へと走り出す。
立花は気付く。〈人が走りたくなるのはいつも満月の時だとは限らない。月の満ち欠けに関係なく、人は走りたい時には走るらしい。私は走り始めた。走っている〉。中川は思う。〈空を見上げれば、半月が見えた。人の心がざわざわとするのは、いつも満月だとは限らない。半月だって、ざわざわする〉。呪縛、暴力、反抗、喪失。ここまで生きてきた時間のなかでなにがあったのか。半月の夜、立花と中川の関係性はどう「動く」のか。小説としての仕掛けも効いていて、何度か声をあげてしまった。こんなに前半と後半で印象が変わる小説も珍しい。
希望など、思い浮かべることさえできずにいた世界に、半月の仄かな光が差す。
自分がこれから、作家・野沢直子にどんなイメージを持つようになるのか。とても楽しみだ。
作品紹介・あらすじ
半月の夜
著者 野沢 直子
定価: 1,430円(本体1,300円+税)
発売日:2022年10月11日
私よ、走れ。「老い」は人生の終わりじゃない。鮮烈な人生再出発物語。
「いくつになっていたって、私には未来がある」
スーパーのレジで働く立花カオル。五十五歳になった今、瞼はたるんで足は象のようにむくみ、転がるように醜くなった。何を見聞きしても感情の針が動くことはなく、すべてのものが灰色に見えていた。寝るためだけの六畳間の自宅とパート先を往復するだけの、ひたすら「孤独」で味気ない毎日。家に帰るといつも「灰色のハイエナ」に見られているような幻影に悩まされていた。しかし、ある偶然の再会によって、カオルは新たな生きる希望を抱きはじめ……。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322109000586/
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