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レビュー

一年遅れの「作家生活二十周年記念作品」はBe braveからBe kindへの変化を如実に記録する——伊坂幸太郎『ペッパーズ・ゴースト』【評者:吉田大助】

物語は。

これから“来る”のはこんな作品。
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『ペッパーズ・ゴースト』伊坂幸太郎(朝日新聞出版)

評者:吉田大助



 伊坂幸太郎の、書き下ろし長編『ペッパーズ・ゴースト』は、一年遅れの「作家生活二十周年記念作品」と呼ぶべき仕上がりだ。
 本を開くとまず現れるのは、猫の品種名をアレンジした「ロシアンブル」「アメショー」というニックネームで呼び合う男たちだ。ネコジゴハンターと名乗る二人組は、椅子に縛りつけた男──罪村に拷問を始めようとしている。罪村は五年前に、猫の虐待をネット中継していた〈猫ゴロシ〉の支援者だった。「僕たちはこれからあの時の猫がされたことを、罪村さんにもするだけだよ」。こうして文字にすると怖気立つような展開をサラッと、おかしみすら抱かせるように読ませてしまう語り口が、いきなりすごい。
 ところが、冒頭九ページにわたって記された物語は、「小説内小説」だった。新たに視点人物となるのは、三十代半ばの中学校の男性国語教師・檀(「私」)だ。教え子の布藤鞠子から読んでほしいと頼まれた自作小説が、ネコジゴハンターの物語だったのだ。その後も幾度となく現れ徐々に内容が進展する「小説内小説」は、檀の物語とどのように関係していくのか?
 一方、檀の物語は、「先行上映」と名付けられた彼の超能力によって駆動される。その能力はウイルスのように「飛沫感染」することで、自分に飛沫を浴びせた人物の未来──翌日のワンシーンを観ることができるのだ。檀は教え子である里見大地の未来を観てしまったことで、面倒な人間関係に巻き込まれ、そこから爆弾テロ事件へと面倒がぐんぐんスケールアップしていく。
 主人公の心配性っぷり、常人にはない能力を持ってしまった者の悲しみ、軽快でユーモラスな会話劇、誰もが知るフェイマスな固有名詞の意味やイメージの再解釈(今回は哲学者ニーチェ)、世にはびこる「決めつけ」の「ひっくり返し」とミステリー構造のシンクロニシティ、周到に張り巡らされた伏線の妙味……。過去作から繫がる「伊坂幸太郎らしさ」は無数に数え上げることができるが、本作はある一点で、新境地へと踏み出しているように思う。読後感だ。
 実は本作は、二〇〇五年刊の『魔王』および二〇〇八年刊の『モダンタイムス』と同一の世界線にあることが、作中表現により明らかとなっている。その二作のキーワードは、「勇気」だ。どちらも主人公が強大な敵と対決する姿を、物語のクライマックスに据えていた。読後、胸に残った感触もやはり、「勇気」だ。では、『ペッパーズ・ゴースト』はどうか? 最終局面における主人公の決断にはもちろん、他者と対決する「勇気」が必要だった。しかし、彼自身が認識する決断の動機は、ネタバレぎりぎりの表現をするならば、他者を受け入れ他者を守る「優しさ」だった。ラストで明かされるホワイダニットの内側にうごめくものも、「勇気」より「優しさ」という言葉が似合う。
 コロナ禍において強いリーダーシップを発揮した人物、と世界的評価を受けるニュージーランドのアーダーン首相は、記者会見やソーシャルメディアで繰り返しこう発信した。「Be kind」。他人に対してだけでなく自分に対しても優しくなることが、隣人恐怖と加害意識による分断が進んだこの時代においてとても大切なことなのだ、と。『ペッパーズ・ゴースト』を読み終えた時、思い出したのはその言葉だった。「Be brave」から「Be kind」へ。一年遅れの「作家生活二十周年記念作品」は、伊坂幸太郎の変化が如実に記録され、その未来に期待せずにはいられなくなる逸品だった。

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