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【書評】心に傷を負った人に、あるいは心に傷を負っていることに気づいていない人に――畑野智美『アサイラム』書評【評者:瀧井朝世】

わたしの人生なのだから、最優先するべきは、わたしなのだ。――畑野智美『アサイラム』レビュー



評者:瀧井朝世

 避難所、保護、亡命。畑野智美の新作小説『アサイラム』のタイトルには、そんな意味がある。作中ではある人物が、この単語について「精神的に弱っている人や住む場所のない子供たちの他に、障害のために生活に困難のある人や高齢者の保護施設のことなんです」と説明している。
 本書の冒頭には、〈この小説には、性暴力に関する描写があります。〉と、トリガーアラートが提示されている。ただこの小説は、性暴力そのものというより、性暴力の被害者を含め、傷ついた人たちがどう回復していくかが主題である。
 28歳の真野スミレが暮らしているのは、被害者のための街。いじめやDVや犯罪やハラスメントに遭って生活が困難になり、学校や会社や心療内科で紹介を受け、役所での面接を通過した者だけが住めるという。住民同士は互いの過去は聞かないなどと独自のルールがあり、防犯カメラも多くセキュリティも厳しい。それは、みなが安全に暮らすための処置である。人々は街の内外で働くこともできるし、体調や精神面の理由により働かないで給付金をもらうこともできる。スミレは街のショッピングモールの雑貨屋で働いている。
 この街に来る前、スミレは旅行代理店で働いていた。いつか海外で暮らすのが夢だった。だが、大学生の頃に受けた性加害による心の傷は深く、ある時接客中に言葉が出てこなくなり、眠れなくなり、食べられなくなり、起き上がれなくなり、這うようにして通った心療内科でこの街で暮らすことを勧められたのだった。
 街でのスミレの交友関係は限られている。職場の店長、同僚で金髪ギャルの留美ちゃんや、夫婦で暮らしている香坂さん、ショッピングモールの物流で働く雪下くん――。物語のなかで少しずつ明かされる彼らの抱える事情はさまざまだ。性別や年齢や生活環境にかかわらず、どんな人も傷を負う可能性はあるのだ。そこから回復できるか、あるいは回復できないかも、人それぞれである。
 街の住人たちは互いを傷つけないように丁寧に言葉を選んでやりとりをしている。彼らの会話は時によそよそしいが、そこには確かな思いやりがある。一方、スミレが時折会う学生時代の友人らの心ない言葉は、読んでいるだけで痛みをおぼえてしまう。人と人との心地よい関係は、親密さだけでは築けないという、当たり前のことを思わせる。
 スミレは定期的に街の職員と面談を行っている。担当者が女性から男性に替ったことでスミレは抵抗をおぼえるが、新川というその男は淡々と、しかし真摯に彼女と向き合う。その面談で彼女が試みるように言われるのが、何があったのか事実だけを話す、ということだ。実際にそうしたカウンセリング方法があるのかは分からないが、どうしても忘れられない辛い体験、フラッシュバックが起きる体験について「忘れたほうがいい」と言うのはあまりに簡単で、残酷だ。逆にそうやって正対する方法もあるのかと、精神療法の現在地についても興味がわく。
 回復の過程は一直線ではない。時間が経てば痛みが薄まるとは限らず、ぶり返しもあれば、他人の心ない言葉で新たな傷が生じることもある。スミレは暮らしのなかで自分のこと、自分の周囲で起きることを、じっくりと見つめて考えていく。その繊細な心の動きがじつに丁寧に描かれていく。人の心が蛇行を繰り返しながら徐々に再生していく姿を、読者はリアルに知ることができるのだ。
 帯にも引用されているが、彼女が思う〈わたしの人生なのだから、最優先するべきは、わたしなのだ。〉という言葉が重い。頭ではそう分かっていても、自責の念や罪悪感、自信のなさが邪魔をすることは現実にも多いと思う。この言葉を心の底から実感できるようになった時、スミレはどんな景色を見るのか――。
 このような街が実際にあればいいのに、というよりも、あらゆる場所にこの街のようなケアの心が浸透すればいいのに、と思う。心に傷を負った人に、あるいは心に傷を負っていることに気づいていない人に、そして、そういう人の隣人たちに届けたい一冊。それはつまり、すべての人に届けたい作品だ、ということだ。

作品紹介



書 名:アサイラム
著 者:畑野智美
発売日:2025年02月28日

わたしの人生なのだから、最優先するべきは、わたしなのだ。
大学生の時に友人からの性暴力にあったスミレ。
限界に達した心を抱え、困難な状況にある人たちをケアする街に辿り着く――。

『消えない月』『神さまを待っている』『若葉荘の暮らし』、
現代女性の寄る辺なさに真摯に向き合い、そっと軽くする――著者最新作!

===
「それぞれに過去はあって、これからどう生きていくのか悩んで、
闘っていることはわかるから、気にせずに自分のことだけ考えていればいいの」

大学生の頃、自分のことを好きだという友人から性暴力を受けたスミレ。
忌まわしい記憶を胸中に押し込めながら社会人として過ごしていたが、久しぶりに会った女友達から、
彼が当時のことを美しい思い出として吹聴していたことを聞いて、何もできなくなってしまう。
行政がケアを目的に作り上げた街で暮らすことになり、
いじめや虐待など、暴力を受けてきた人々と関わりながら、自分はどう生きていくのか、模索していくが――。

人の心は、あまりにも繊細で複雑だ。
痛みと再生を真っ向からとらえた物語。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322409000976/
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