取材・文:立花もも 写真:TOWA
※『ダ・ヴィンチ』2025年4月号より転載
『アサイラム』畑野智美インタビュー
被害者のためだけの街。いじめやDV、犯罪、ハラスメント。誰かに傷つけられたせいで生活が困難になった人たちが、役所の認定を受けて越してくる、傷ついた人たちが生きることをとりもどすためのその街で、28歳のスミレは暮らしている。
「誰にも理解されない痛みを抱える人たちだけが集まって暮らす場所、というイメージは、40歳以上の独身女性だけが集うシェアハウスを舞台にした『若葉荘の暮らし』を書いたころから、ぼんやり抱えていました。加害行為を受けた人たちが、これまでと変わらない“普通”の生活のなかで回復していくのって、ものすごく難しいと思うんですよね。日々のコミュニケーションでは、悪気なく相手を傷つけるようなことを言ったり言われたりする。前髪切りすぎじゃない、とか、もうすぐ30歳なのに今のままで大丈夫なの、とか。程度に差はあれ、無自覚に飛び交う誰かを貶めるような言葉を、私だってたぶん、口にしている場面はあるでしょう。元気なときは聞き流せても、精神的に追い詰められているときは、些細な言葉にいちいち打ちのめされてしまうものだから、何かしらの加害行為に遭った人たちを街全体で守ろうとしている、そんな居場所があったらどうだろうかと思いました」
念願だった旅行代理店勤めも、いつか海外で暮らしたいという夢も諦め、スミレがその街に越してきたのは、大学時代に遭った性加害が、思いもかけずフラッシュバックしたせいだ。なんでいまさら、と言われるかもしれない。人気者の男友達に好意を寄せられ、悪い気はしなかったんじゃないかと軽くあしらう人もいる。だけどスミレにとってその記憶は、忌まわしい暴力でしかなく、何年も懸命に蓋をしていたものが開け放たれたとき、もう“普通”に生きていくことなどできなくなっていた。
「回復、って本当に難しいことなのに、小説においてさえも軽く扱われているな、ということは以前から感じていました。性加害そのもののおぞましさは語られても、最後の数十ページで突然、素敵な高齢女性みたいなメンターがいいことを言って『私のことを見ていてくれる人もいる、頑張ろう!』と奮い立つような展開がとても多いな、と。私自身、セクハラやモラハラに苦しめられてきた過去があるからこそ、そんなのは嘘だって気持ちが消えなかった。一生被害者の顔をして生きていくわけではないし、時間をかければ回復は可能であると思うけど、加害行為によって人生が壊された、そのしんどさを抱えながら生きなくてはならないという事実は消えない。そのもがきを、希望をもって描くにはどうしたらいいのかということを、ずっと考えていました」
回復するために必要なのは
事実を語り選択すること
執筆中、畑野さんの支えになった一冊が、精神科医ジュディス・L・ハーマンによる『心的外傷と回復』。性暴力や虐待を生き抜いたあと、被害者がどのように変わっていけるのかという道筋が記されている。
「治療の定説は少しずつ変わっていくものなので、これは現段階での話なのですが……。誰にもどうすることもできなかった、加害者のいない自然災害に遭った場合は、無理に思い出さず忘れたほうがいいけれど、性加害については、自分に起きたことを繰り返し語って、思い出したくなくても飽きるまで語りつくすことが重要なのだそうです。そうすると、あるとき、急にばかばかしいなと思える瞬間がやってくる。忘れましょう、と言われるのがいちばんよくないのだということは、私自身の実感でもあります。自分も、まわりも、忘れて考えないようにしている限り、けっきょく、いずれまた同じことが起きるんですよ。そして、忘れるために『私にも悪いところがあったから』と自分に言い聞かせているうち『私が』悪かったのだといつのまにか思い込むようになっていく。街で、スミレのケアを担当する役所の新川さんが『事実だけを話すようにしてください』と繰り返し言うのは、正しく回復していくために必要な一歩なんです」
加害者である大学時代の友人がどういうつもりだったのか、という想像にも意味はない。大事なのはただ、スミレは性行為に一切同意をしなかったという事実だ。それを自覚することが、自尊心をとりもどす一歩になるのだが、事実を見据える苦しみに耐えきれず、さしのべられる手をみずから拒絶してしまう人がいるのもまた現実。そのままならなさを、街でスミレと一緒に働く留美を通じても、丁寧に描いていく。
「まわりの空気を読んで、被害の声をあげることをためらったり、自分の感情より誰かの機嫌を優先させてしまったり、そういう我慢の積み重ねがまた回復を押しとどめてしまうし、どんなときも決定権は自分にあるのだと強い意志をもつことが、やっぱり必要だと思うんです。だから、悲しいことに、ケアされることを望まないなら無理強いすることは誰にもできないんです。どうしても零れ落ちて、ある日突然いなくなってしまう子がいるということは、沖縄で若年女性の妊娠と出産を支援するシェルターを開設した上間陽子さんの本にも書かれています。留美のような子に対してどう向き合えばいいのかは、私も考えていきたいことです。
留美を通じて描きたかったことの一つに、加害を受けることに属性は関係ない、ということもありました。生育環境が悪くて性的に奔放な日々を送っていた留美も、それなりに恋愛して普通の大学生活を送っていたスミレも、関係なく理不尽に傷つけられることはある。誰にとっても特別なことじゃないし、自業自得でもないんだってことは、ちゃんと伝えたかった」
亡命という意味の
タイトルに込めた想い
もう一人、スミレが回復する過程で深く関わる人物がいる。同い年だけど、子どものようにあどけなく、どこか浮世離れした雪下くんだ。「加害行為がどれほど人を壊し、自我を奪ってしまうものなのかということを、性的な側面以外でも描きたいと思いました。男性の新川さんが担当になったときもスミレは抵抗を覚えるけれど、男性という存在そのものが悪というわけではないし、彼らもまた社会のなかで根深く傷つけられているものがある。傷つけられるおそれは確かにあるけれど、他者と接することで救われ、回復していくことも絶対にあるはずだから、同じ痛みを知る人たちのなかだけで閉じこもるような物語にも、したくないなと思いました」
街では、誰がどんな加害を受けたのか、過去を語りあうことは基本的に許されていない。どこに傷があるのか、うかがいながらのコミュニケーションは失敗と後悔の繰り返しになってしまうけれど、本当はいつだって、自分の知らないところで相手が傷を抱えている可能性を想像しながら、私たちは他者と向き合うべきなのだろうなとも思わされる。
「そうあれたら理想ですけど、なかなか難しいですよね。タイトルのアサイラムは、亡命という意味なんですけれど、そこには公的な庇護、という意味も込められているんですよ。友人や家族が助けてくれたらいいけれど、現実には身近な存在からの心配がいちばん重たく、そして何気ない言葉で傷つけられる。もっと、誰もが恥ずかしいなんて思わず、公的な支援に気軽にアクセスできるようになればいいと思いますし、あなたは一人ではないんだということが届いてほしい。だから私は、小説を書かなきゃいけないんだとも思います。売れることも大事だけれど、自分の傷に寄り添おうとしてくれる人は、きっとこの世界のどこかにいる。読む人にそう信じてもらえるように」
プロフィール
畑野智美(はたの・ともみ)
1979年、東京都生まれ。2010年、小説すばる新人賞受賞作『国道沿いのファミレス』でデビュー。『海の見える街』、『南部芸能事務所』で吉川英治文学新人賞候補に。『感情8号線』が17年にドラマ化。ほか著作に『消えない月』『大人になったら、』『神さまを待っている』『ヨルノヒカリ』『世界のすべて』など。
作品紹介
書 名:アサイラム
著 者:畑野智美
発売日:2025年02月28日
わたしの人生なのだから、最優先するべきは、わたしなのだ。
大学生の時に友人からの性暴力にあったスミレ。
限界に達した心を抱え、困難な状況にある人たちをケアする街に辿り着く――。
『消えない月』『神さまを待っている』『若葉荘の暮らし』、
現代女性の寄る辺なさに真摯に向き合い、そっと軽くする――著者最新作!
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「それぞれに過去はあって、これからどう生きていくのか悩んで、
闘っていることはわかるから、気にせずに自分のことだけ考えていればいいの」
大学生の頃、自分のことを好きだという友人から性暴力を受けたスミレ。
忌まわしい記憶を胸中に押し込めながら社会人として過ごしていたが、久しぶりに会った女友達から、
彼が当時のことを美しい思い出として吹聴していたことを聞いて、何もできなくなってしまう。
行政がケアを目的に作り上げた街で暮らすことになり、
いじめや虐待など、暴力を受けてきた人々と関わりながら、自分はどう生きていくのか、模索していくが――。
人の心は、あまりにも繊細で複雑だ。
痛みと再生を真っ向からとらえた物語。
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