書評家・作家・専門家が《話題の本》をご紹介!
本選びにお役立てください。
(評者: 瀬尾 傑 / スローニュース代表取締役)
この本を読んでいる最中、額に突きつけられた銃口の冷たさを思い出していた。太陽が痛いほど照りつけるイラクで、黒光りするそれは氷のようにひんやりしていた。
2004年、イラク戦争最中、陸上自衛隊が初めての海外派遣としてサマワに駐留することになった。当時、「月刊現代」の編集部にいたぼくは、そのキャンプをなんとか取材しようと、コラムニストの勝谷誠彦さんとともにヨルダンのアンマンから車でバクダッドにする途中で、武装グループに襲われた。乗っていた後席のドアを開けさせられ、自動小銃をつきつけられたときは死を覚悟した。金品を奪われただけで解放されたのは幸運だった。
しかし1ヶ月後、同じルートをボランティアとしてバクダッドに向かっていたボランティアの若者たちは不幸にも拉致されてしまった。テロリストから自衛隊の撤退を要求され、日本では「自己責任論」なんてバカな議論がとりざたされた事件だった。
そして、ぼくが命からがらたどり着いたバクダッドで合流し、ともにサマワやティクリートなどを取材してまわったベテラン戦場カメラマンの橋田信介さんとその助手の小川功太郎さんは、さらに1ヶ月後、現地でテロリストに自動車ごと銃撃されて命を落とした。戦争中に目を怪我した10歳の少年を日本に連れて帰り、手術を受けさせようと走り回っていたときに襲われたのだ。小川さんはまだ33歳の若者だった。
悔しいが、テロリストはこちらがジャーナリストであろうが、人命救助で動いていようが、憎しみの対象としかみていない。そして、イラク戦争ではじまった不条理な暴力の連鎖はいまも続いている。
著者の村瀬健介さんが2015年、TBSの中東支局長として赴任したのは、後藤健二さんと湯川遥菜さんが殺害される凄惨な事件の渦中であった。同年11月、130人が殺されたパリの同時多発テロが発生し、血なまぐさい現場に駆けつけた。
そして、血塗られた事件の余韻ものこる1週間後、ロンドンでイスラム過激派の指導者にインタビューする。殺人を是とする陰惨な思想とはうらはらな穏やかさに、むしろ問題の根深さをかぎとる。それを機に、テロリストを支えるイスラム過激思想の源流を追い求め、エーゲ海やヨルダン、イラクという世界各地の現場をまわった丹念な取材をまとめたこの本は、一気に読ませる。
イラク戦争では「大量破壊兵器」が開戦の根拠となった。その秘密工場と目された施設を探し出すくだりは、執念を感じると同時に、その取材で検証された事実には唖然とした。そこで何を見たか、どんな証言を聞いたかは、ぜひ本を読んでほしい。
さらに、追及はアメリカ政治の中枢にも及ぶ。穏健派といわれたパウエル国務長官の国連演説の舞台裏は、読んでいて悪い冗談であってほしいと願ってしまった。アメリカをイラク戦争開戦に踏み切らせた有名な演説のクライマックスは、「カーブボール」というコードネームで呼ばれる亡命イラク人による生物兵器製造の証言だ。しかし、カーブボールが語る自身の経歴はデタラメで、彼は口からでまかせを言うことでCIAでもよく知られた札付きだったのである。
著者は、当時のCIAの大量破壊兵器に関する謀反作戦責任者を直撃する。彼女はラングレーのCIA本部で仲間とテレビで演説を見ていたときの驚きと混乱をこう暴露する。
「カーブボールの情報が信用できないというのはすでにみんなわかっていました。その情報がパウエル長官の演説に使われるというのは狂っていることです。
カーブボール情報の担当をしていた同僚の女性が近くにいたので、『一体、どうなっているの?』と聞いたら、彼女は怯えた様子で『わからない、わからない』と言っていました」
アメリカ国民に圧倒的な人気を誇り、大統領候補とされたパウエル国務長官は、結局、この国連演説で政治生命を絶たれることになる。
こんな理不尽な戦争で、そしてそれを機にさらに火がついたテロリズムで、橋田さん、小川さんをはじめ、世界中で多くの命が失われることになる。その地獄はいまも続いている。
イラク戦争だけではない。丹念な取材で生々しく描かれたシリアやイラク内戦の裏にある武器取引や、CIAがワシントンで繰り広げた情報戦を読むと、テロリズムの源流はバクダットだけでなく、ホワイトハウスに繋がっていることがよく理解できる。
中東で取材しているときに目の前で繰り広げられた惨劇を、日本の読者に「遠い話」としてではなく伝えたい、という著者の狙いは成功したのではないか。
▼村瀬健介『中東テロリズムは終わらない イラク戦争以後の混迷の源流』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321904000016/