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(評者:千野 帽子 / 文筆家)
僕も幽霊を見ない。
僕は幽霊を見ない。
だから藤野可織の新刊が『私は幽霊を見ない』という題だと知って、心強く思った。
本書のなかで、著者は周囲の人たちに怪異な話をせがみ、手持ちのネタを聞いていくのだが、著者本人は幽霊とのダイレクトな出会いにいたらない。
本書の題は『ぼくは勉強ができない』『ぼくは落ち着きがない』『僕は上手にしゃべれない』『僕は僕の書いた小説を知らない』『僕は君を殺せない』『僕は運動おんち』などに似ているが青春小説ではなく、まして『私が幽霊を見ないのはどう考えてもお前らが悪い!』という漫画ではないし、『私が幽霊を見ないのには、101の理由があってだな』という分析系エンタテインメントでもない。
とはいえ著者は、自分が幽霊を見ない理由を分析する。
私は果たしてこれまで幽霊を見る努力をしたことがあっただろうか。
99頁
受け身の姿勢ばかりとって、〔『東海道四谷怪談』の〕伊右衛門がやったように、幽霊がまっすぐ私を目指し、私のためだけにまっしぐらにやってくるような、そういう環境づくりをする、という考えがはなからなかった
130頁
これまでの自分が自発的に行動を起こそうともせぬまま、出会いがない、出会いがない、と言ってばかりいたのだ、ということに著者は気づき、何度も反省する。
ああ、これは僕もそうだなあ。耳が痛い。
僕も著者の知人としてこの本の82頁に登場している。そして著者と僕がいるそのすぐそばで、僕の家族は怪しいモノを見てすらいる。ところが僕ときた日にはそこでなにも見ておらず、著者と同じ〈幽霊を見ない〉側の人間として間抜け面を晒している野暮天なのだ。
それでも著者は僕よりずっと若いのでまだ可能性がある。僕は自分が積極的に動かないまま、出会いがない状態をキープし続けて、もういい齢になってしまった。若くして気づいた著者を尊敬する。
〈私は引きこもりなのだ〉(65頁)と自認する著者は、〈肝試しの前段階として、そもそもなぜ気の合う複数の若者たちがこうもひとところに居合わせて、だらだらと時を過ごしているのか。ふつう、家にいるではないか〉(100頁)と述懐する。そうだやっぱり出会いは〈引きこもり〉よりはマイルドヤンキーのほうに訪れるものなんだなあ。また反省してしまった。
著者の立派なところはまだある。歴史に学ぼうとするところだ。著者は小林秀雄が菊池寛から聞いた幽霊体験談を読む。お、その文章なら僕も読んだことがあるぞ。講演旅行先の旅館でうたた寝しているときに、若い男の幽霊にのしかかられた菊池寛は、相手に〈君は、何時から出てるんだ?〉と尋ね、〈三年前からだ〉という回答を得るのだ。
これを読んで著者は〈たいへん参考になる〉と書く。
せっかく出たからには、コミュニケーションをはかりたい。「君は、何時から出てるんだ?」ととっさに尋ねる菊池寛は最高だ。
だって「君は誰だ?」と尋ねて名前を名乗られてしまったらこちらの名前も教えなくてはならなくなるだろうし、いきなり「なぜ出てるんだ?」だと初対面なのにプライべートに踏み込みすぎるし、「どうやって出てるんだ?」はこちらの好奇心まるだしでやや不謹慎である。そこへいくと、「何時から出てるんだ?」は、答える側に負担がない。シンプルに「いついつからだ」で事足りる。だから、会話の糸口としては、これがもっとも礼儀にかなっている。
76頁
先述のとおり、その文章は僕も読んでいたが、ただ「ほうほう」と思って読み終わっただけだった。著者は違った。このように、せっかくのご縁を無駄にしてしまわないための学びをそこから得たのだ。この一事をもってしても、著者と僕とでは心がけが違う。大いに感心し、また我が身を顧みて恥じた。
本書には、
怖いという感情は、そのほかのたくさんの感情を引き受けて包み込む
16頁
おそろしさもおぞましさも、ときには醜ささえ、美しいのは一体どうしてだろう。美の守備範囲がかくも広大なのは、人の防衛反応かなにかなんだろうか。
104頁
のようなラヴクラフトを喜ばせそうな恐怖論があり、まるで『ドラえもん』最終回にまつわる都市伝説というかネットロアのように興味深い「007 スペクター」の藤野解釈(165-166頁)があり、
尿みたいな西日
14頁
のような直喩があり、
『風立ちぬ』の中で、節子は永遠に死んでいく。
40頁
エリクソンはまったく亡くなっていなかった。
45頁
のような副詞的表現の冒険がある。
とりわけ、
つくった人はとっくに死んでいるし、使った人も死んで、これまで見た無数の人も死んで、私も今日見てそのうち死んで、明日からもたくさんの人が見ては死ぬけど、あの漆器はずっとあるんだろうなあと思った。まあそれが、美術作品だ。
87頁
という美術作品論は最高だ。恐怖に心惹かれながら出会いのないあなた、これは僕らのために書かれた本ですよ。
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