【カドブンレビュー】
もう20年以上前のことだが、取材で漁船に乗せてもらったことが2回ある。
1回目は北海道のサケ漁。早朝に漁港を出発。頬にあたる冷たい風。朝焼けに染まる海原。定置網にかかったサケをダイナミックに揚げる。すべてが絵になる心躍る体験。港に帰る途中、ふと船尾を見ると、七輪でゲソや魚の切り身を一口サイズにしてあぶっていた。漁師さんたちのスナック代わりなのだ。熱々のゲソをひとつもらって口に放り込むと、衝撃が走った。嚙んだ途端、濃厚な旨味がジュワーッと広がる。飲み込むのがもったいない。生涯食べた中でいちばんおいしいゲソだった。
もう1回は横須賀の漁師さんの定置網漁。高台の素敵な一軒家に住んでいて、漁港まで車で数分。近くの漁場で揚げた定置網の中に丸々と太ったサバが入っていた。そのサバを刺身でいただいて、これまた驚いた! 程よく締まった身。臭みが全くない。何よりも脂の乗りがスゴイ! マグロのトロにもひけを取らないことから、こういう脂の乗ったマサバを“トロサバ”というのだそうだ。漁師さんはこんなにおいしいものを普通に食べられるのか⁉ しかもこの生活、満員電車に揺られることもない。快晴の凪いだ海での漁(を見ているの)は気持ちいい。朝は早いが、午後には帰宅して家族と団らんの時が過ごせる。漁師生活最高‼
取材では良いところしか見ていない。頭では分かっているつもり。しかし、しばらくの間、仕事が嫌になる度に漁師になることを夢想した。
小説『エミリの小さな包丁』の主人公は、都会の生活に疲れ、行き場をなくした25歳の女性エミリ。海辺の町で一人暮らす祖父の元へ転がりこむ。彼女は祖父との静かな生活の中で癒され、再び力を得て羽ばたいていく。
美しい風景、おおらかな人々、そして衝撃的にうまい魚と料理。本の中に、私が憧れる田舎暮らしの理想形がたっぷりと詰まっている。
ご購入&試し読みはこちら>>森沢 明夫『エミリの小さな包丁』