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レビュー

シビアな歴史を人の営みから見つめ直す物語 『いも殿さま』

 サツマイモの栽培を広めて飢饉から人々を救った——といえば青木あおき昆陽こんようを思い出す人が多いだろう。だが昆陽の試植より三年早く、サツマイモで享保の飢饉を乗り越えた指導者がいる。
 享保十六年、石見いわみ銀山のある大森代官になった井戸平いどへい左衛門ざえもん正明まさあきらだ。
 江戸城の勘定方だった平左衛門は六十歳で大森代官に任ぜられる。領地に着いた彼が目にしたものは、銀産出量の低下と凶作で貧困に喘ぐ領民の姿だった。領民を救うため、平左衛門は私財を投じ、年貢の減免を行い、商人からの援助を募った。
 だがいずれも一時しのぎ。救荒作物にと薩摩よりサツマイモを買い付け、苦労の末に栽培に成功した。そこに襲い来る享保の大飢饉と蝗害。平左衛門はついにある一手に出る。
 結果、享保の大飢饉と蝗害の中、石見銀山領ではひとりの餓死者も出なかったという。領民から「芋代官」「芋殿様」と尊敬された名君だ。
 土橋章宏の新刊『いも殿さま』は、この井戸平左衛門の物語である。
 平左衛門を描いた小説には、杉本苑子の『終焉』がある。石見銀山の厳しい現実を描き、遠くにあって現場を見ない幕府の「政治」とは何かを鋭く問うシビアな歴史小説だ。
 翻って土橋章宏といえば、『超高速!参勤交代』や『幕末まらそん侍』など、史実をベースにしながら軽やかにコミカルに、人々の営みを綴るのに長けた作家である。我が身を削って窮民を救った代官をどう描くのか、興味津々でページをめくった。
 いやあ、驚いた。井戸平左衛門を甘味好きの美食家、真面目で出世欲のない好々爺として描いている。代官を引き受けたのも菓子につられてだ。なんだこの可愛い勘定方は。
 視点人物は平左衛門の用人である藤十郎とうじゅうろう。剣の腕は立つが女に弱い。こちらも極めて人間臭い人物である。
 そんな平左衛門の石見での行動は巷間伝えられる通りだが、土橋章宏は過剰に暗くすることを避け、これまでの作風そのままに軽やかに綴っていく。
 特に巧いなあと思ったのは、平左衛門に薩摩の唐芋を教えた旅の僧の存在だ。これ自体は史実だが、本書ではそこを一捻り、薩摩まで種芋を買いに行く一行に思わぬ展開を用意した。無事に種芋を入手できるのか、アクションあり知略ありで実に楽しい。
 とにかく、史実の料理の仕方が抜群なのだ。サツマイモの栽培に成功した農夫の話も、病弱な息子の話も、豪商から援助金を募ったのもすべて史実。だが著者はそこに少しずつあるものを加えた。人間らしさ、である。
 人間が持っている弱さや愚かさ、狡さ。くじけそうになる心。それを乗り越える強さ。人に寄り添う優しさ。他人を見て自分を恥じる心。不幸な中でもふと笑顔になる瞬間を愛おしむ心の豊かさ。そんな当たり前の人間らしさを、著者はこの物語に込めている。リアルで身近な人の営みを細やかに描いているからこそ、作付けが成功した喜びや蝗害で稲が打撃を受けたときのショックなどを、読者はわがことのように感じられるのだ。
 その史実の扱い方の巧さは、平左衛門の最期の描写にも見て取れる。死因には複数の説があるが、著者の選んだ説をじっくり味わっていただきたい。私は目頭が熱くなるのを抑えられなかった。それも、そこに至るまでに平左衛門や領民を〈身近な人〉と読者に感じさせた著者の手腕ゆえだ。
 この物語から政治の問題を語ることは容易い。だが著者は大上段に構えることなく、法に触れようとも自分の信じる道を迷うことなく選んだ平左衛門の〈個〉の物語に落とし込んだ。そんな彼を見て少しずつ変わって行く周囲の人々の〈個〉を描いた。〈個〉の物語にしたことで、それは現代の私たちに直接響く。労苦の中でも明日を信じて前に進んだ登場人物たちに自分を重ねることができる。
 それが土橋章宏の腕だ。軽やかなのは伊達じゃない。読者に物語をわがこととして受け止めさせる技術なのである。本領発揮の一作だ。


書誌情報はこちら≫土橋 章宏『いも殿さま』
試し読みはこちら→【新連載試し読み】土橋章宏『いも殿さま』


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