今野敏の小説には、未知の化学反応を見るような楽しさがある。
代表作の一つ、〈隠蔽捜査〉シリーズは警察庁キャリアの主人公を所轄署の現場に投げ込んでみたら、という話。主人公が触媒の役割を果たしているわけである。今野作品には相棒小説も多いのだが、作品ごとに主人公が違った相手と組む〈警視庁捜査一課・碓氷弘一〉シリーズのような作品もある。試料を替えながら続けている実験のようなものである。
言い換えると、主人公たちが世界と出会って少しずつ変わっていくさまを察知し、文章として写し取るのが今野敏という作家なのだ。だから読者は何が起きるのか知りたくてたまらなくなる。予断を抱かせずに物語を書くことに、こんなに熱心な作家もいないと思う。新作長篇『呪護』もそういう作品だ。今回の化学反応もちょっとすごい。
主人公の富野輝彦は制服組ではないが、刑事でもない。所属は警視庁生活安全部少年事件課だから、未成年が被疑者になる犯罪を担当している。その彼が、とある私立高校に急行を命じられた。十七歳の西条文弥という生徒が、中大路力也という化学教師を刃物で襲撃し、重傷を負わせたのである。現場にはもう一人、やはり十七歳の池垣亜紀という生徒がいた。西条の供述によれば、中大路と池垣が性行為をしているのを目撃してしまい、我を忘れて襲いかかってしまったのだという。
教師による淫行が原因の事件か。しかし富野が供述を取りに行くと、池垣亜紀は意外なことを言い出した。二人が性行為をしていたのは、法力を得るためだったというのだ。捜査がおかしな方向に行きつつあることに戸惑う富野の前に奇妙な男たちが現れる。全身白ずくめの安倍孝景と黒一色の鬼龍光一。日本古来の呪術を司る鬼道衆の二人であった。
警察小説の導入部を持つ本書だが、実は鬼道衆の活躍する伝奇小説シリーズに連なる作品である。第一作は一九九四年の『鬼龍』で、第二作『陰陽』は二〇〇一年に発表された。その際に全体の設定が改められ、富野輝彦が登場した。警察官の彼が毎回奇妙な事件に遭遇し、背景にある呪術的な陰謀と対峙するという形をとるようになったのである。話は連続しているが、作品としては一話完結なので、もちろん本書だけで独立して楽しめる。基本設定をちょっと書くと、富野自身は一見平凡な中年男なのだが、すごい潜在能力を秘めているらしい。日本の国造り神話の主役・大国主命の直系にトミノナガスネ彦がいる。安倍孝景の語るところによれば、富野はその末裔であるトミ氏なのだ。
痴情絡みのありふれた少年事件と見えたものが、あれよあれよという間に大陰謀を巡る冒険活劇に変わっていく。本書の独自性は、オカルトファンでも何でもない富野が、やむなく荒唐無稽な闘いに加わるという図式にある。教え子と関係を持った中大路はそのままにしておけば法によって裁かれ、社会的に抹殺されることになるが、真相が別のところにあるならば彼は救済されなければいけないのだ。職務ゆえの使命感が主人公を動かすという警察小説の構造が伝奇小説と合体したことで抜群の化学反応が起きている。
池垣亜紀と中大路力也が法力を得ることで何を成し遂げようとしたか、彼らと敵対する者の正体は何か、という謎は読んでのお楽しみにしておきたい。富野たちの行動によって巨大都市・東京に巨大な呪術空間が現出するのである。伝奇小説の定番展開として異能力が発現する場面も描かれるが、実は最も驚いたのはこの箇所であった。まさか、こんな手があったとは。おそらく、今までどんな作品でも書かれたことのない最終対決の形ではないかと思われる。あまりの意外さに、しばらく言葉を失ったほどだった。思いつくだけなら誰でもできるが、よくぞ書いた、今野敏。だから熟練作家は油断がならないのである。
書誌情報はこちら>>今野 敏『呪護』
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