現役医師でもある夏川草介の『新章 神様のカルテ』は、デビュー作から始まるシリーズの実に四年ぶりとなる新作だ。最高傑作である、と言うだけでは足りない。一〇年に一冊出るか出ないかレベルの、医療小説の傑作だ。事前に過去作(三作+スピンオフ)を読んでおく必要はない。「この一作」が素晴らしい。まずは「この一冊」から読めばいい。
長野県松本市に妻子と共に暮らす栗原一止は、自らも認める「実直にして生真面目」な内科医だ。そんなふうにうそぶいている時点で、ご想像の通り、ユーモアの持ち主でもある。彼は六年勤めた市中の一般病院から、大学病院へと二年前に転籍した。新天地の特殊性は、次の一文に象徴される。〈まずもって患者より医師の数の方が多い〉。信濃大学病院では六〇〇床のベッドに対して一〇〇〇人を超える医師がおり、病院全体では三〇を超える科が存在する。ところが、各科ごとの縄張り意識が強く、チーム医療重視のガイドラインに縛られ、個々の医師は自由が利かない。
栗原は、さまざまな矛盾の上に立つ存在だ。論文を書くことが義務づけられた大学院生でありながら、第四内科第三班の実質的な班長を務めている。正義感に燃える研修医たちを、彼らに共感しながらもいさめる立場にある。患者とのやり取りに集中したくとも、ベッドを確保するための交渉ごとに脳のリソースが大きく割かれる。多忙にもかかわらず、月給はわずか一八万円で土日は外勤のアルバイトに励む……。とはいえ、栗原は大学病院の存在意義も理解している。例えば、長野という広大な土地には、僻地が数多く存在する。大学病院は、育てた医師をそこへ送り込む。
不条理と不自由に満ちたこの特殊な場にいながら、どのような医療を実現することができるのか? キーとなるのは「だから」と「それでも」、二つの接続詞だ。二九歳で末期の膵癌をわずらった患者について、栗原は思いを巡らせる。〈医者という存在は、多くの事柄を知っている。むしろ知っているがゆえに、未来に対して必要以上に虚無を見ることがある〉。「だから」立ち止まるのではなく「それでも」前へ進むのだ。序盤で刻まれたこの一歩が、終盤で大きな一歩となって再登場し、物語に問答無用の感動を招き入れる。
ムンテラ――ドイツ語のムント・テラピー、「口による医療」の意――といった専門用語を持ち出すまでもなく、病は、時に言葉が癒やす。医師とは、患者のために言葉を紡ぐ存在である。その言葉は、患者だけに作用するものではない。患者を取り巻く家族や医療従事者の心に届き、ルールや縄張り意識でがんじがらめになった大学病院という制度をも、時にほぐす。
医局内のドラマを主軸にしつつ、病名当てミステリで中盤を引っぱり、終盤は池井戸潤ばりの大逆転劇へ。物語に淀みが生じたら長野の風景や自然描写を挿入し、空気をがらっと入れ替える筆さばきにも痺れた。情報を整理しながらとことん詰め込んでいるからこそ、再読、味読の喜びが増している。読めば必ず、人生の指針となる一文と出合えることだろう。なぜならば本作の最大のテーマは、「生きること」だからだ。
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中山祐次郎『泣くな研修医』(小学館)
『医者の本音』などの著書を持つ、現役外科医による小説デビュー作。東京の病院で働き始めた外科の研修医1年目・雨野隆治の日常を、ノンフィクション調で綴る。未熟な医師の言葉がいかにブラフ(はったり)でできているかを、会話とモノローグのギャップを駆使して反面教師的に提示。
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