いいなあこれ。私、すっかり気にいってしまった。
では、何がいいのか。本書の主人公、嶋屋徳兵衛は六代続いた糸問屋の主人である。妻と跡取り息子、その嫁と二人の孫、二十三歳になる娘、そして徳兵衛を入れて七人暮らしだ。もう一人、養子に出した息子もいる。
その徳兵衛が隠居を宣言するのが本書の始まりだ。「お父さん、そんな唐突に」と三十四歳になる長男は、とても自分にはまだ七代目はつとまらないと反対するものの、「わしもすでに還暦を迎えたのだから、早すぎることはなかろう」と強引に隠居してしまう。
もっともこの徳兵衛、隠居して特にやりたいことがあるわけではない。しかも長年連れ添った妻のお登勢は、隠居所には同行せず、これまで通り家にいるという。特にやることがあったわけではないが、なんだか当てが外れたような気がしないでもない。
というわけで徳兵衛、嶋屋からそう遠くないところに隠居家を買って引っ越すことになるが、すぐにやってきたのが孫の千代太。今年で八歳になる。いずれ嶋屋の八代目となる大事な跡継ぎである。子供の脚でも通える距離とはいえ、わざわざ訪ねてくれたのが、徳兵衛、ことのほか嬉しい。しかしこの千代太が、徳兵衛の隠居計画を根本から変えてしまう。
まず千代太が犬を拾ってくる。徳兵衛は犬猫の類が大嫌いだが、その本当のことを孫には言えず、たかが犬一匹だと我慢する。ところがその二日後、千代太が今度は猫を拾ってくる。「おじいさまは、犬はお好きだけれど……猫は嫌いなの?」といかにも悲しそうな表情をされると、困ってしまう。しかしここで負けてはだめだと心を鬼にして反対するためにこんなことを言う。
千代太、おまえは難儀してる小さきものを、見過ごしにはできぬのだろう?
おまえの気持ちは、決して悪いことではない。だがな、どうせなら犬猫ではなく、人のために使ってみてはどうだ?
こんなこと、いわなければよかったのに、言っちゃったのである。千代太が次に連れてきたのは、二人の子供だった。大きいほうは千代太と似たような背恰好で、その脇に三つ四つくらいの女の子が張りついている。その恰好がすごい。ボロ雑巾のようなものを身にまとっているのだ。泥なのか垢なのか、顔も手足も真っ黒だ。
飯、食わしてくれるっていうから、ついてきただけだ
と態度もふてぶてしい。嬉しそうな千代太に対し、その真っ黒な少年勘七は素っ気ない。おお、どうするんだ、と徳兵衛が天を仰ぐのが六一ページ。全体で三六〇ページもある小説だが、紹介するのはここまでにしておいたほうがいい。ここからどんどんエスカレートしていく様子が実に愉しいのだが、それは書かぬが花。ここはぐっと我慢しておこう。
老後をどう過ごすのか、というのは私らのような年配者にとっては大事な問題である。まず健康でなければならず、経済的にも不安がないようにしなければならないが、しかし健康と経済が満たされればそれでいいのか、ということになると、それだけでは足りないのである。そんな贅沢なことを言ってはいけないのだが、なにかやっぱり生き甲斐というか、やるべきことが欲しくなる。だから、徳兵衛の意に反して、隠居所が大変な事態になっても、それはそれでよかったのではないか、という気がする。
しかしこの小説が素晴らしいのは、その理想の老後の風景の奥に、いちばん大事なことを描いていることだ。それは、みんなが変わっていく、ということだ。千代太も勘七も、そして徳兵衛ですら、変わっていくのである。
外部の要因が整えば幸せが訪れる、というものではないのだ。私たち自身が変わること、それが重要なのである。固定観念を捨て、自分の殻を脱ぎ捨て、そうやって変貌しなければ真の幸せは掴めない——という真実が行間からくっきりと浮かび上がってくる。これはそういう小説だ。
書誌情報はこちら≫西條 奈加『隠居すごろく』
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