レビュー あとがきより
増田俊也『VTJ前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝』刊行記念! あとがき特別掲載
増田俊也氏の『VTJ前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝』が12月25日に発売されました。本作は、大宅賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞した『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』、北大時代の青春を描いた自伝的小説『七帝柔道記』などに連なる「柔」シリーズのひとつ。格闘技に関わる人々の生き様に迫ったノンフィクション集です。いま挙げたものは、いずれも完結した一つの作品で、またフィクション、ノンフィクションの違いはありますが、作品世界はそれぞれで繋がっています。今回は刊行を記念して、増田氏が紡ぐ作品群の本質に自ら触れている「あとがき」を一挙掲載します!
あとがき 生と死のあり方を問い続けていきたい
私にとって大宅壮一ノンフィクション賞受賞後初のノンフィクション集がやっと完成をみた。本書の話の前に、先日、ある社の漫画編集者に聞いた興味深いエピソードを紹介したい。
手塚治虫先生の『火の鳥』は、全巻を通して読むと、壮大なスケールにのみこまれて目眩がするほどのパワーを持つ作品だ。しかし手塚先生はあの作品をひとつの雑誌に続けて連載していない。どこに頼んでも「もうやめましょう」と言われ、ぶつ切り状態であちこちをたらい回しにされたのだという。
その漫画編集者は言う。
「編集者たちも手塚先生がなにをやろうとしているのか、十年経っても二十年経っても皆目わからなかったそうです。最初の〈黎明編〉は一九五四年に一年弱『漫画少年』に連載されて未完に終わった。それからどこかの雑誌に持ち込んで打ち切りになっては、何年も休み、またどこかに持ち込んで数年連載して休載、そういうことを何度も何度も繰り返し、一九八六年から一九八八年まで『野性時代』に二年間連載した〈太陽編〉まで、三十四年間かけてあそこまでの作品群になったんです。それで全体が単行本化されたときに初めて流れのなかですべてを読み、漫画関係者たちがみな衝撃を受けたんです。一九五四年のはじめの連載時はともかく、その数年後にはすでに手塚先生は日本一の売れっ子になってましたから、本来ならどこの雑誌も作品を欲しがっていたはずで、この作品群もウェルカムだったはずです。それでも断られてたらい回しにされたのは、誰も全体像をつかめなかったからなんです。どこの編集部もぶつ切れの段階ではこの作品の意義も面白さも見抜けなかったんです。だからひとつの出版社だけではあれを引き受けることができなかった。作者の手塚先生以外は理解不能な、それくらい複雑で壮大な作品群だったんです」
もちろん手塚治虫先生のこの大傑作『火の鳥』にスケールでは及ぶべきもないが、この『VTJ前夜の中井祐樹』と『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』、『七帝柔道記』もそれぞれ出版社は違っても、実はすべて作品世界が繫がっている。中井祐樹ひとりをとっても、この三作品すべてに出てくるのだ。
時系列に作品を紹介していくと、まず北海道大学の一年生時代と二年生時代をモチーフにして描いた私小説『七帝柔道記』が最初にある。これは昨年の第四回山田風太郎賞の最終候補にノミネートされたことからもわかるように、あくまでひとつの完結した作品である。しかし、私の北大時代の高学年期間を描くこの続きはいまも雑誌に連載されていて、いずれ書籍になる。
この大学在籍四年間でも作品は終わらず、私が大学を中退して土木作業員をしていた時代になり、北海タイムス社に入社して新聞記者になってからの時代になり、後輩たちが七帝戦で優勝するまでOBとして伴走しながら延々と続いていく。そして吉田寛裕が夭折し、中井祐樹が戦った一九九五年のバーリトゥード・ジャパン・オープン95(VTJ95)の場面となる。それがノンフィクションとして書かれた本書『VTJ前夜の中井祐樹』だ。これはこれでひとつの決着をみるノンフィクション短編集で、サーガの中心線を構成する重要な作品集だが、これでも実は完全に終わるわけではない。
たしかに『七帝柔道記』シリーズは〈増田青年〉の一人称で土木作業員時代も新聞記者時代もまっすぐに延々と続き、私が紡ぐ作品世界全体の中心に立つ柱のようになっていくが、それとは別に、私をモデルとした人物が脇役として登場する小説群も、私以外の一人称や三人称で別ルートで紡がれる小説群となって、また別の文芸誌などで連載され、単行本化されていく。時間が行きつ戻りつし、人物が行き来し、錯綜し、しかし遠大なテーマの果てにそれらがひとつの場所にゆらゆらと流れ着く。だからそれぞれは一つで完結した作品だが、しかし巨大な大河物語のなかの一部でもある。
あの長編ノンフィクション『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』もまた、大河全体が見渡せないとその本来の意味がなかなか捉えることができない、この大河のなかのひとつの物語である。青年から壮年に成長した〈増田俊也〉が『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を取材する場面や執筆する場面も別の作品となっていく。
これらの大きなサーガを紡ごうと強く決意したのは、中井祐樹のあの試合を観てからである。あの事件こそが私のサーガのビッグバンであった。ビッグバンが宇宙のすべての始まりだとしたら、私にこの作品群を書かせているのは中井祐樹である。すべては中井のあの試合が始まりであった。
あの日、中井祐樹はリングの上からさまざまなことを問いかけ、さらにその後の静かな生き方で多くの人に生きる道標をみせてくれた。私もこの作品群を通し、人間の生と死のありかた、人間の生きる意味、生き続ける意味を、命のあるかぎり問いつづけていきたい。
>>増田俊也『VTJ前夜の中井祐樹 七帝柔道記外伝』
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