二〇〇二年に刊行された『NHKにようこそ!』がマンガ・アニメ化され、世界的ベストセラーとなったあと、仕事や私生活の心労により長期の休筆期間に入った作家、滝本竜彦。
その彼がついに約一七年ぶりに、完全新作長編を刊行する。
一七年のあいだ、彼の身には様々な事件が起きていた(詳細は文庫版『僕のエア』のあとがきにて長めに記したので、ここでは概要だけにする。知りたい人は文庫を手にとって欲しい)。
鬱病、結婚、離婚、友人の死、精神修行の道、瞑想家としての出発——端から見れば波瀾万丈な上に、小説とはまったく無関係に思える迷走。
だが、ぼくは知っている。
この一七年間、彼の脳裏には、ずっと「小説を書く」という使命のようなものがあったことを。
彼が「悟り」の道を行くと決めたとき、こういう会話をした。
「滝本さんは、何のために修行をするんですか」
「気づいたんです。悟りを開けばすべての悩みは解決する……つまり、悟りを開けば小説が書けるはずなんです」
……普通は逆なのではないか?
そう思われるかも知れない。だが、彼にとっては悟りより小説のほうが難しかったのだ。そう、その苦悩は、仏陀の苦悩よりも深い。
そりゃそうだ。
現代に生きる我々はIT革命により多くの情報にさらされ、多くの人間とつきあっている。田舎者の仏陀より大変に決まっている。
しかし……仏陀以降、悟りがカジュアルになったとされる昨今でも、なかなか悟りを開いたという人には会ったことがない。
これはもしかして難しいのではないだろうか?
そんなふうに思いつつ、数年が経ったある日のことだ。
ふたりで散歩をしているときに、彼が言った。
「ついにぼくは悟りました。今なら小説が書ける気がするんです」
「どんな小説ですか」
「誰も傷つけない、読んだ人間の魂が自動的に救われるような究極の小説——光の小説です」
「ライト・ノベル……」
その小説はこんな風に始まっていた。
夜の空は町に黒くふたをしていた。星は出ていなかった。 僕はナイロン袋に入ったバラの鉢植えを右手にぶら下げ、家の前に立っていた。バラは咲いていなかった。
一七年前とはまったく違う。どこか物悲しく、少年の純粋さがにじむ書き出し。ミヒャエル・エンデを思わせる瞑想的かつ、児童文学のような文体。
物語は、不登校の少年「ふみひろ」が学校へ行くところから始まる。
やがて、闇の大迷宮の底にいる闇の魔術師を探すエクスプローラー「ミーニャ」と出会い、日常が非日常へと変わっていく。
そして、この小説は次第に奇妙なねじれを起こしていく。
母と性行為をしようとしている異常さに気づくふみひろ、クラスメイトたちとの部活作り、かつて闇の小説を書いていたという先生。
こうして要素を取り出すとおどろおどろしい部分もあるが、全体的にはさっぱりしたギャグに包まれており、あくまでライトな読み味だ。
ただ、初期作と同じ読み味を期待した読者は困惑するかも知れない。
ここには、かつてのネガティヴで後ろ向きな少年と、それを救ってくれる聖母のような少女は存在しない。
青春の蹉跌も存在しない。
存在するのは新しい少年と少女たち、そして新しい作品、新しい作者——だが、確かにこれは滝本竜彦の作品なのだ。
この不思議な作品が広く読まれることを願う。
>>滝本竜彦『ライト・ノベル』
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