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悪魔か、救世主か。美形介護士の「罪と罰」 『介護士K』

 二十年ほど前、大阪市にある安田やすだ病院の安田基隆もとたか会長を取材した。当時、安田病院の診療報酬不正受給疑惑と劣悪な院内環境がメディアを賑わせていた。入院患者の半分はホームレスなどで、半分が高齢者。院内にはダニやシラミがはびこり、高齢者はベッドに縛り付けられ、床ずれにはウジが湧いていた。職員もまた、劣悪な環境のなか過剰な労働と厳しい監視や罰金に苦しんだ。
 本作にはそんな常軌を逸するほどに劣悪な施設は登場しない。にもかかわらず、読みながら安田基隆のことを思い出した。当時、彼はこちらをまっすぐ見て、力強くこう言い切った。
「私は良いことをしている。みんなが私に感謝しているんだ」
 小説の舞台は大田区蒲田かまたの介護施設「アミカル蒲田」だ。低料金の施設ゆえに環境は良いとは言えない。業務フローに従って分単位の流れ作業で介護がこなされ、介護士も疲弊し切っている。
 そんな施設は現代日本にいくらでもあるだろう。問題は、「アミカル蒲田」で入居者が三人、立て続けに死亡したことだ。殺されたのではなく、自殺や事故の可能性もある。しかし、限りなく疑わしい人物がいた——。
 それが、介護士・小柳恭平こやなぎきょうへい。アヒル口でアイドルのような愛くるしい顔立ちの二十一歳の青年だ。食事を飲み込めない老人を勇気づけ、辛抱強く食事に付き合うなど、親切で忍耐強く、患者からの評判はよい。
 果たして彼が犯人なのか。ルポライターの朝倉美和あさくらみわは小柳を追う。小柳は美和の取材に対し「あまりに苦痛が強いときは、早くそれを終わらせる支援も必要でしょう」と平然と語る。頭も体も衰え、生きることが苦痛であるなら、老人は死んだほうが幸せだ、というのだ。
 小柳に影響を与えたのは医師の黒原悟郎くろはらごろうだ。「死んだほうがいい高齢者もいるんだ」「こんなになっても死ねないのは、あまりに気の毒だ」――黒原がふるう長広舌を読むほどに、読み手もそんな気持ちになってくる。少なくとも「命が何より大切」といった綺麗事には疑念が湧くはずだ。
 やがて、小柳に須知智毅すちともきという男が近づいてくる。一緒に介護施設を襲い、老人たちを大量に殺害しようと持ちかけるのだ。しかし須知と小柳の思想は明らかに違う。須知は「役立たずの老人に生きる価値はない」と考え、一方、小柳は「苦しんでいる老人を死によって救いたい」と考えている。しかし、もたらされる結果は、いずれにせよ同じ「死」だ。
 美和は、取材を重ねるうちに小柳に共感し始める。殺人は許されない。だけど介護の現場で培われたその思想は理解できなくもなく、現在の介護問題に一石を投じるのではないか――。
 いかにもまっとうで穏当で常識ある結論だろう。しかし著者は最後に、そんな美和の考えと行動にも痛烈な一撃を喰らわせ、そこにある欺瞞ぎまんをあぶり出すのだ。
 医師であり、また父の介護も経験した著者の描写はリアルで、文章の一つ一つが重い。だから、読了後もわれわれは考え続けるしかない。そしてだからこそ、本作は貴い。
 介護は結局は「行き場」の問題だ。二十年前、行き場のない認知症の老人やホームレスを病院に受け入れ、行き場のない職員を雇い入れたから、安田病院は成立し、安田基隆は行政にも患者家族にも感謝された。そして当事者以外の誰もが、そこが生き地獄であることに気づかないふりをしたのだ。
 それから二十年が過ぎ、介護制度は格段に整備された。しかし、行き場をなくした老人たちが「死んだほうがまし」と感じる状況は、今も珍しいことではない。であるなら、やはり死こそが安寧な「行き場」なのか――。
 否定したいが否定し切れない――そんな思いを抱えながら本を閉じると、小柳の顔が頭に浮かんだ。アヒル口の美しい青年は無邪気に笑い、こう語りかけてくる。
「私は良いことをしている。みんなが私に感謝しているんだ」


>>久坂部羊『介護士K』


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