【カドブンレビュー】
谷崎潤一郎の初期の短編集に『犯罪小説集』がある。谷崎にかかると罪深い妄執も酔狂も妖しい美しさを帯びてくるから不思議だ。その後の推理小説の発展に影響を与えたというこの短編集を、吉田修一はどれほど意識したかはわからないが、本作もまたタイトルは『犯罪小説集』。犯罪を背景とした5篇の短編が収録されている。
ニュースなどで画面や紙面ごしに知る事件や犯罪は、どこか他人事で現実感が足りない。犯罪者とは、自分には縁のない人種のようにも思う。しかしその犯罪者が著者の筆によって象られると、血が通い肉を纏う、生々しい人間の存在感を得てわたしたち読者の前に立ち現れる。そういう感覚を覚えた。
ある年の夏、小さな町で小学生の少女が失踪。その事件の容疑者として浮かびあがった青年の孤独。保険金めあてで若い愛人に夫殺しを唆した、スナックのママの知られざる半生。バカラ賭博にのめり込み、何億もの金を溶かしていく御曹司の心理。限界集落で村八分にされた男がおこす悲劇。引退してなお、派手な生活をやめられなかった元プロ野球選手の転落――。
5篇の物語の登場人物たちは最悪の場面まで追い詰められ、あるいは堕ちて、事件をおこし犯罪者となる。息詰まるその過程と、彼らの内側に渦巻く悲しみや怒りに引きこまれて一気読みしてしまうこと確実である。ラストに至っては長い苦しみから解放されたような安堵さえ感じるが、言いようのない後味の悪さも残る。
描かれる犯罪はどれも、現実におきた事件を彷彿とさせる。その犯人たちの面影が登場人物たちに重なる。さらに、彼らのなかに自分とよく似た部分を見つけてしまうと、もう無関心に犯罪は犯罪、悪は悪と割り切れなくなる。犯罪者に共感するなんてあり得ない。身近に感じるなんておぞましい。けれど彼らとわたしたちにどれだけの違いがあるというのだろう?
人間は誰でも、貧困に喘ぐ人びとに同情を寄せながら浪費できる。他人に親切に接するのと同じくらい冷淡になれる。友人を羨むと同時に蔑むことができる。できてしまう。複雑な情動が引き起こす犯罪を描き、人間と犯罪の本質を剥き出しにした犯罪小説の傑作といえる。
>>吉田修一『犯罪小説集』
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