本選びに失敗したくない。そんなあなたに、旬の鉄板小説をドドンとオススメ!
誰でも自分の人生を自由に生きたいと願っている。しかし職業に就き、家庭を持ち、社会的な役割を担うようになると、いつの間にか自由という言葉からはほど遠い人生を歩んでいる。家族のため、会社のためと考えることが習い性になり、不自由な毎日を受け入れていく。それはそれで幸せかもしれない。しかしもしもそのタガが外れたら、人はどう生きるのだろうか。
『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞し、『記憶の渚にて』などの話題作を発表してきた白石一文の最新作である。主人公は加能鉄平。東京で長年大企業に勤めていたが、リストラの憂き目に遭い、いまは福岡で祖父が興した化学メーカーに勤めている五十二歳の男性だ。本来なら役員として経営に参画してもおかしくない実力があるが、叔父から社長を継いだ従兄弟に疎まれ不遇をかこっていた。一方、家庭には満足している。妻の夏代との関係は良好。息子と娘はそれぞれ家を出て学生生活を送っている。親としての役目も果たしつつあり、そう遠くない将来に定年を迎える。あとは死ぬだけかという思いが浮かぶ。そんな人生の秋に、夏代が隠し続けていた重大な秘密が発覚する。結婚前に伯母から受け継いだ遺産が、四十八億円という途方もない額になっていたのである。鉄平は裏切られたと感じ深く傷つき憤る。夏代は謝罪し理由を説明するが鉄平は納得できない。そこで夏代は突飛な提案をする。それぞれ一億円ずつ持ち、使ってみようというのだ。
仕事にせよ、家族にせよ、私たちを縛っているもっとも大きなものはお金である。それを疑うなら想像してみよう。もしもこの世の中高年にそれぞれ一億円ずつ渡したらどうなるだろう。少なくない数の人が、いまの仕事を辞め、離婚を決意するのではないだろうか。
むろん、人はお金以外の価値も求めている。他者から必要とされること、尊重されることだ。だが、鉄平は仕事で不当な評価を受け、家庭では父としての役割を実感できなくなっている。そのため、いまいる場所で得られるお金以外の価値が見えづらくなっている。そして直感に導かれるまま地縁も血縁もない金沢へと居を移し、新しいビジネスに取り組むことになる。
小説では一つの出来事がしばしば物語の大きな要となる。『一億円のさようなら』の場合、平凡な人物に降って湧いた「一億円」がそれに当たるだろう。この出来事が引き金となり、人生とは、幸せとは、という究極の問いが浮かび上がるのだ。
しかし哲学的ともいえる重い問いを発しながらも、この小説は決して堅苦しくはない。語り口はあくまで平易で、いまのこの国や、地域がどうなっているのかを細部まで丹念に描く。たとえば、食に関する描写は大きな魅力だ。美味しい冷凍食品のチャーハンが登場するかと思えば、福岡の居酒屋のゴマサバや豚足、金沢の変わり種ののり巻きなど地場のものが紹介され、そのどれもが食欲をそそる。そのとき読者は、この小説がたしかに同時代の小説だと実感するはずだ。そしてその実感が「もしも」という奇抜な設定を「あるかもしれない」と思わせる。そして、考えるのだ。自分が鉄平ならどうするだろうか? と。
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白石 一文『私という運命について』(角川文庫)
元カレの母から息子と結婚すべきだったのに、という手紙をもらった主人公は困惑するが……。『一億円のさようなら』が後半生をどう生きるかという物語だとすれば、こちらは三十代の女性が恋愛、結婚に揺れる姿が描かれる。先読み不可能。運命の不思議さに心打たれる。