小説は一人で読むものだ。映画や音楽のように大勢で一緒に楽しむことはできないし、画集や写真集のように肩寄せ合って眺めることもできない。一人でその世界に没入し、登場人物に感情移入し日常を忘れられるところに魅力がある。しかも、深く没入しながらも、意識のどこかで自分の経験と引き比べ、本を閉じてその相違を検討してみるといった現実との接点もある。そして誰にも打ち明けたことがないような複雑な感情を言葉にする作家の力に驚かされる。そのような特質を考えた場合、小説は公には語りにくいこと、家族や友人にすら口にできないことの核心を描くことに適している。たとえば「性」はその一つだ。
『ミルク・アンド・ハニー』は『ダブル・ファンタジー』の続篇にあたる。『ダブル・ファンタジー』では三十代前半だった脚本家の高遠奈津が、今作では四十歳になっている。一緒に暮らしているパートナーの大林一也は七歳年下。奈津と出会ったときには舞台俳優だったが、いまでは劇作家志望に転じたことを言い訳に、仕事らしい仕事はしていない。しかも一緒に暮らすようになってセックスの回数は大きく減った。心に寂しさを抱え、身体で性の飢えを感じている奈津は大学時代の先輩、岩井と関係を続けているが完全に満たされることはなかった。そんな奈津の前に、アンダーグラウンドの世界に通暁するノンフィクション作家の加納隆宏が現れ、再び性の冒険へと足を踏み出す。
「再び」というのは『ダブル・ファンタジー』を踏まえてのことだ。同作で奈津は憧れの演出家、志澤との激しい恋と性を経験している。志澤との関係は奈津が最初の結婚を解消する契機ともなったのだが、最終的に志澤に幻滅し、大林との恋愛に走った。ところが、ともに暮らしてみると、前夫ともそうだったように、大林との関係もまたゆっくりと崩壊へ向かっていく。つまり、一緒に暮らす相手に幻滅していくことと並行して、性愛の深みへと足を踏み入れるきっかけとなる男性に出会う――この構造が『ミルク・アンド・ハニー』の途中までは一致している。相手の男性の個性は異なるものの、一緒に暮らし始めた男性が時折見せる傲慢さや無神経さは奇妙なほど似通っているのである。ただ、以前に比べ、もう若くはないという自己認識が奈津を臆病にさせている。だが、性愛が再び奈津の人生に変化を与えるのだ。
正・続篇の二冊の構造が「途中までは」一致しているというのは、そのスパイラルから抜け出す姿が『ミルク・アンド・ハニー』に描かれているからである。加納とはまた別の男性の登場がその契機になるのだが、恋愛に踏み込むことを躊躇する事情があった。それだけに、その男性がこれまでの男性たちとは異なる可能性を予感させる。物語後半に待っている大胆な展開こそこの作品の魅力であり、読みどころでもある。
「ミルク・アンド・ハニー」とは聖書における乳と蜜の流れる場所、つまり「約束の地」のこと。見果てぬ夢の場所であり故郷だ。二冊を通じて性愛の旅を続けてきた奈津は、約束の地にたどり着けたのか。正篇の読者の期待を裏切ることのない著者会心の作だ。
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『放蕩記』
村山 由佳
(集英社文庫)
『ミルク・アンド・ハニー』でも背景として描かれる母と娘の葛藤を存分に描いた長篇小説。小説家の夏帆は母が嫌いだった。陽気で人なつこい外面と、上から目線で頭ごなしに夏帆を叱る内面を持つ母と、感性が鋭すぎる娘。親子関係の光と影を濃密に描いて圧巻。
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