【カドブンレビュー】
サイコパスたちが繰り広げる戦慄のバトルロイヤル。
最後に生き残るのは誰だ。そして最恐のサイコパスは…。
バイク便でバイトをする19歳の坂木錠也は、その腕を買われて週刊誌記者・間戸村に様々な危険な仕事を依頼されるようになる。罪悪感や恐怖心を感じることがない錠也は、無茶な運転でターゲットを尾行したり、不法侵入により決定的な証拠写真を撮影することでスクープを提供し間戸村を喜ばせる。そんな錠也に間戸村は何か異質なものを感じていた。
この坂木錠也が物語の主人公であり、一人目のサイコパスだ。
錠也の母親は、彼がまだお腹にいるときに勤めていたパブに乱入してきた男に散弾銃で撃ち殺されていた。瀕死の母親から取り上げられ児童養護施設で育った錠也は、横暴な教師に大やけどを負わせたり、新しく施設に入園してきた迫間順平に常軌を逸した暴力を振るうなど、その暴力的な性質で周囲から恐れられるようになる。
そんな錠也は同じ施設で生活する年上の女子、ひかりから「錠也くんみたいな人はね。」「サイコパスっていうのよ。」と告げられる。
大人になった錠也は迫間順平から呼び出され、錠也の母を殺したのは自分の父、田子庸平かもしれないという衝撃の告白を受ける。
ここから錠也に関わりのある人が次々に死んでいく。錠也の周囲でその本性を露わにし始めるサイコパスたち。一体誰がサイコパスで、誰が常人なのか。その境界の曖昧さに読み手は慄然とする。
暴力的な衝動などサイコパスの資質を持ちながら、そんな自分の危うさを自覚し、自身をコントロールするために薬を服用する錠也。自分は本当にサイコパスなのか。制御不能となったもう一人の自分は、自身が大切に思っていた人までもその手にかけてしまったのか。
錠也の一人称で語られる物語。
読み進めるうちにふと、表記の違和感に気づく。
巧妙に隠されたその仕掛けが暴かれる時、驚愕の真実が明らかにされ、抑制の利かない衝動と悪意に満ちた駆け引きが渦巻くサイコパスたちの息詰まる攻防が始まる。
私が初めて道尾作品に触れたのは問題作として名高い『向日葵の咲かない夏』だった。全編を通して漂う独特で気味の悪い空気感は今でも強く印象に残っており、私の中の道尾秀介のイメージを形作ることになった。本作も理解の範疇を超えた異質な存在への恐怖という意味では、通じるものが確かにある。ただ本作のあちらこちらに垣間見える錠也の葛藤、運命に抗おうとする人間らしさは『光媒の花』のそれを思い出させる。サイコパスという刺激的なモチーフを使いながら、闇と光、希望と絶望、相反するものを内包する人間という生き物を独自の視点で描き出したという意味では、著者らしい作品といえるのかもしれない。
ラストにその謎が明かされる「スケルトン・キー」というタイトルに込められたメッセージも含めて、より深みを増した道尾ワールドをぜひ堪能してほしい。
>>『スケルトン・キー』書誌ページへ