【カドブンレビュー】
デスクの片隅に眠る銀色のパソコン“モグラ”が目覚めたら、それはおおよそにおいて、誰かが死んだという知らせ。
『dele』は、誰かの死ではじまる、生きている人が死にゆく人を知るための物語。
その事務所の名前は「dele.LIFE(ディーリー・ドット・ライフ)」。
スマホやパソコンの中に保存されている、死後、誰にも見られたくないデータを、その人に代わって削除することが業務。所長は坂上圭司。唯一の従業員は、真柴祐太郎だ。
日の光も外の喧騒も入ってこないビルの地下にある事務所で、故人となった依頼人との契約を淡々と履行していく圭司はまるで冥府の主だ。死者の願いを聞き届けるために存在する。
対して祐太郎は地下から地上へ、死者の世界と、生者の世界を自由に行き来しては削除されるデータの中身を暴きたがる。それが、遺された人たちが生きてゆくために必要になると信じているからだ。
自分がこの世界から消えたあとにも、記憶や思考の片鱗が色褪せることなく残る。そんな技術を手にした現代だからこそ生まれた懊悩が、性格も考え方も対極にある圭司と祐太郎の対立というかたちで描かれる。
収録された5篇のエピソードで中心となるデータは、たとえば詐欺被害者の名簿らしきもの、盗み見た他人宛のメール、消えた預金の行方。
どれもが一見後ろ暗いものとしか思えないが、謎を解き明かせばそこには、未来を望んでやまない死にゆく人と、過去にとらわれて揺らぎながら生きている人の姿が見える。
著者の初期の作品『MISSING』には、過去に失った大切な誰かを思い、色褪せぼやける記憶を必死に磨きあげてゆくような痛みと切なさがあり、行間には残酷なほどの喪失感が満ちていた。
『dele』はどうだろう。
大切な人のことは「もっと深く知りたい」。大切な人にさえ「絶対に知られたくない」。自分は人をどう見たいのか、自分は人からどう見られたいのか。
そんな勝手な思いを、誰もが皆持っている。
わたし自身も思わず考えてしまった。自分は何を残す生き方ができて、何を削除して死んでいくのだろう?
『MISSING』から約20年を経て描かれる本書には、死を記憶し、新たに死を見つめて生きる人間のしたたかさが備わっている。
故人となる依頼人が真の主役であり、その遺志をめぐる謎を追う過程において、あくまで生者は死者のための語り手にすぎない。
だから圭司についても祐太郎についても、多くを知ることはできない。
なぜ、彼らは相反する死生観を持ちながら、よく似た残酷さと優しさで“死”に寄り添うのだろう。
『dele』と名付けられた、消えてゆくことが命題のこの物語に、続きはあるのだろうか。もしあるとしたら、わたしは生きている人、彼らのことをもっと知りたいと思う。