考古学者の峰隆介は、これが最後になるかもしれない発掘調査で、ついに数千年前の石棺の発見に成功する。しかし蓋を開けてみると、そこには古代のミイラではなく、どう見ても死後数ヵ月も経っていないであろう乾いた遺体が横たわっていた……。
エンタテインメント作品かくあるべし——といいたくなる、インパクト抜群で、なんとも興味をかき立てられるプロローグではないか。第六十回江戸川乱歩賞受賞作『闇に香る嘘』での華々しいデビューを皮切りに、三年あまりの間に計九作の単行本を矢継ぎ早に上梓した俊英——下村敦史の最新作『サハラの薔薇』は、こうして鮮やかに幕が上がるが、驚くのはまだ早い。
続く序盤では、エジプト考古省からの一方的な調査中止と口外厳禁の通達、峰を襲う黒ずくめの男、武装グループによるミイラ強奪、そしてさらに——といった具合に、つぎからつぎへとトラブルやアクシデントが勃発。予断を許さないにもほどがある展開に戸惑う余裕もなく、気がつけば峰はサハラの砂漠地帯の真っ只なかへと放り出されることに。ここまで約三十ページ。いきなり飛ばし過ぎではないのか、下村敦史!? と唖然とするしかない。
こうして物語はタイトルのとおり〝サハラ〟に舞台が移り、サバイバル・サスペンスとしての貌を次第に現していく。峰は居合わせた生存者のうち、エジプト人ベリーダンサーのシャリファ、正義感の強い日本人の永井、フランス人ビジネスマンのエリック、言動が粗暴なアラビア系の男アフマド、民族衣装の謎の老人をメンバーに命懸けの砂漠行へと歩み出すのだが、一度踏み込んだアクセルが緩む気配は一向になく、このあとも危機また危機の連続で、メンバー間に渦巻く疑念も過熱し、峰は絶えず窮地を切り抜けるための選択を迫られ続ける。
物語の先が気になるよう読者の関心を強く惹くことを目的に、章の変わり目等にいわゆる〝クリフハンガー〟を設けた作品は古今東西数えきれないほどあるが、これほどまでに——まるで〝絶体絶命〟を撒き散らすがごとく配するとは、まったく恐れ入る。いま下村敦史がライバル視しているのは小説ではなく米国テレビドラマなのかも? などと、つい想察してしまった。
本作が「ミステリー界最強の一気読み度」、あるいは「読み手の貴重な睡眠時間を問答無用で奪う徹夜本」を目指して創造されたことは間違いないだろう。とはいえ、この「可読性の徹底追求」とでもいうべき創作手法それ自体が物語の主眼というわけではない。
ある手帳に記された「砂漠の薔薇とエジプトで発見されたミイラ。鍵になる? 信憑性あり? 十億年が数万年に縮んでいれば天と地が引っくり返る。その論理は? 信じるか? 一世一代のペテン。世界を欺ける日数は?」という殴り書きに関係した〝真相〟は、今後人類が目を伏せたままで済ませることができない——絶対に赦されないものだ(この問題は、臆することなく日本人作家が採り上げることに大きな意義がある)。
いっぽう主人公である峰は、空港で盗難を見掛けても無視し、面倒事や厄介事を避けるためにメリットとデメリットをつねに考えながら行動する自分本位な傍観者型の人間として登場する。そんな男が自ら考え抜き、こんなにも重大な〝真相〟を受け入れるまでに変化を遂げるには、熱い死地を幾度も潜り抜けるような試練がなくては強い説得力は備わらない。「可読性の徹底追求」は、そのために不可欠なものだ。と同時に、下村敦史は読者に猛然とページをめくらせながら、こう問い掛けているように思えてならない——誰かがこれほどの危機と窮地に直面しなければ、世界が間違いに気づくことは本当にできないのか? と。
エピローグで描かれる峰の姿は、じつに象徴的だ。彼に送られた〝笑み〟の真意を考えると、過ちを犯した人類にもいつか送られる微笑があるなら、それはきっと、どう変わろうとしたかで意味がまったく異なるに違いない。
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