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レビュー

鏑木連の作品にはほかの推理小説と決定的に異なるものがある 『喪失』

 美しくて仕事ができる女性は、今の時代珍しくはなくなった。しかし、その女性の職場が捜査一課でしかもキャリアとなると、見つけるのがむつかしい。
 大橋砂生(すなお)は仕事はできるが、多くのキャリア女性が通常持っている、あるいはキャリアを続ける間に手に入れる心の鎧を身につけていない。彼女は縦社会の中で女性が仕事を続けることの困難さを実感している。男が一〇〇%で仕事をするなら女は一二〇%で仕事をしないと同じスタートラインに立てない。そんな中で砂生は自分の女性としての感性や感情を抑圧したくない。男社会に適応してキャリアアップするのではなく、自分の感情を表現しながら進んでいきたいと思っている。そのために周囲とぶつかるのだが、波風立つのを承知で自分らしく生きようとする。彼女の魅力はそこにあるのだが、同時にそれが鏑木蓮(かぶらぎれん)の小説を単なる推理小説のジャンルからはみ出させる魅力にもなっている。
 さて、京都府警・捜査一課の大橋砂生が手掛ける今回の事件は、不動産業を営む地元でも有名な資産家の社長の妻、真鍋文香(まなべふみか)の転落死である。第一発見者は和光忠之(わこうただゆき)で、彼は真鍋夫妻の離婚調停で文香側の弁護士だった。文香が夫からDVを受けているという発言をしてきたことや、彼女が夫のブレスレットを握りしめて転落していたことから、夫の征矢(まさや)が任意同行されるが彼は完全否認。一方和光が文香のDVの訴えは精神的に不安定な彼女の妄想だと発言したことなどから、決定的な証拠を見つけることが難しい事件に、さらに人々の心理的葛藤が複雑に絡み合い真相を覆い隠してしまう。砂生はその絡み合った葛藤の糸を一本一本ほどいていくのだが、その砂生自身も心身に傷を負っているのである。
 それにしても人はなぜ一番わかってほしい人にありのままの自分の気持ちを伝えられないのだろう。夫と妻、母と娘、父と娘、娘と父の愛人。夫は妻の父親に気に入られて、義理の父の事業を継ぎさらに事業を拡大する。それは自分のためでもあるが、妻を喜ばせ、安心させ、自分の仕事ぶりを認めてもらいたいからでもある。一方妻がほしいのは経済的安心感ではなく愛されているという実感だ。精神的に不安定で不安を抱えている妻は夫から心の安定を得たいのである。文香はそれまで父から与えられてきた安心感を夫に求めるのだが、夫もまた妻から認めてもらいたいと望んでいる。お互いに相手から与えてもらいたいものが何かを伝えられないまま父が亡くなると夫婦の関係性は破たんする。夫は妻から得られないものを愛人に求め、かつての妻を思い出させる娘を溺愛する。妻は夫から与えられない愛を娘に求め、娘は不安定な母を愛する一方、子どもとしての自由を生きられないまま、母の母親役をしなければならないつらさを抑圧し、感情を抑えて暮らしている。彼女は、不安定な家族の中で自分の存在が一家の体裁を保つ役割をしていることを感じ取り、父の愛人の家で過ごしたりするが、抑え込んだ気持ちはリストカットとして爆発することもある。リストカットは彼女の心の叫びであり、自分を見てほしい、わかってほしいという悲鳴でもある。こうした緊張感の中でかろうじて保たれてきたバランスは、犯人のわなで一気に崩壊し、それぞれの心に大きな喪失が生まれる。
 砂生は葛藤の糸をほどきながらその喪失の大きさを共感する。しかし砂生は喪失は消滅ではないことに気が付くのである。壁にぶつかり何かを失ったときこそ人は大事なものは何かに気付く。壁にぶつからなければ直視しようとしないありのままの現実と向き合うことが新しい一歩につながる。新しい生き方をみつける最初の一歩が喪失なのではないか、事件を通して砂生は自らも新しい一歩を踏み出すのである。
 鏑木蓮の作品が他の推理小説と決定的に異なるのは、主人公が作品ごとに進化し心の成長を続けていく点である。次はどんな風に変化するのか、今後の砂生の進化を見守りたい気持ちにさせる作品でもある。


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