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レビュー

ありふれた行為が、かけがえのない奇跡のように 『悲しい話は終わりにしよう』

 新しい青春小説の書き手として知られている小嶋陽太郎(こじまようたろう)の、今回もその系譜にあるとひとまず言うことのできる最新長編『悲しい話は終わりにしよう』は、これまでとはだいぶ様子が違う。ファンタジックな要素が排除され、チャーミングさは息を潜めている。そして、平熱——登場人物たちの世界や人生に対する肯定感や積極性、期待や希望——が低い。プロローグに当たる、冒頭の四ページが象徴的だ。男はさっきまで夢の中で、〈よく晴れただだっ広い草原〉に座り親友と〈とにかく何かについて熱心に話し込んでいた〉のに、現実では〈大学附属図書館の三階にある古い小豆色のソファの上。無数の小石が降るような激しい雨音と蛍光灯の白い光。あと数日で二十一になる怠さに満ちた体〉。以降もこの温度が、作品のベースとなる。
 本編開幕と共に時間が巻き戻され、彼の名前は「市川」であることが明かされる。長野県の松本で生まれ育った彼は二〇一〇年の今、地元の信州大学に現役で進学した。〈半径十キロメートルで完結する人生。でもそのことを恥ずかしいと思ったことはないし、誇らしいと思ったこともない〉。退屈で味気ない大学生活は、キャンパスで偶然声をかけてきた広崎(ひろさき)のおかげで少しだけマシになった。ある日、自分たちと同じように退屈を持て余していた同級生の女の子・吉岡と出会う。夜の公園で、一枚の板チョコを分け合い友情の契りを交わすシーンが心地いい。はみ出し者の三人が巡り合えた奇跡を、素直に応援したくなる。だが、男二人に女一人という構成は、ある関係性への突入を否応無しに想像させる。物語は、それに応える。
 大学生の「市川」を語り手に据えたパートの他にもうひとつ、中学生の「佐野」を語り手に据えたパートも登場する。中学一年の時に父を亡くし、その直後に教室で起こした事件のせいで〈誰もが僕から物理的にも精神的にも距離を置いた〉。そんな彼に唯一手を差し伸べてくれたのが、誰からも好かれ頼られ、勉強も運動もできる「完璧」なクラスメイトの奥村だった。帰宅部の彼は、「放課後勉強クラブ」に入っていると言う。「いまなら好待遇、入部と同時に副部長になれる」。その一年後、野良猫のような目をした転校生の少女・沖田が三人目の部員になる。そう、こちらも男二人に女一人。もうひとつの三角関係が生まれる。
 物語は、二つのパートをシャッフルしながら進んでいく。どちらのパートも、自分の感情を恋愛と名付けられない登場人物たちの臆病さと、特殊な事情とが絡み合い、ひりひりした痛みが持続する。でも、そこにはちゃんと、ときめきがある。幸せがある。平熱が低い人は、体温計の数字が三七度を少しでも超えると「熱が出た」と感じる。作者は主要登場人物たちの平熱を下げることで、見る人によってはかすかな熱や光としか感じられないものを、かけがえのない奇跡だと感じさせる演出に成功している。
 もちろん、二つのパート、二つの三角関係は、ある時点で交錯する。その瞬間、すべての謎——というよりも、違和感——が解き明かされる。それは「トリック」と呼んで差し支えないし、過去作以上に「伏線」と呼ばれる描写も数多く取り入れられているが、作者は読者を驚かせることを意図していないのではないか。バレたってぜんぜんいい。ただし、物語の中にミステリー的なフックを仕込み好奇心をくすぐることで、読者を必ずその地点まで連れて行く。そして、その地点から一気にドラマのギアを上げる。ありふれた、本当にありふれた日常的なあるひとつの行為が、とてつもない感情を爆発させることになる。
 ミステリー(推理小説)とは呼ばれないが、人間の心の謎というテーマからもたらされる必然的な帰結として、ミステリーの構造や演出が採用されることの多い吉田修一(よしだしゅういち)角田光代(かくたみつよ)中村文則(なかむらふみのり)の小説を思い出した。小嶋陽太郎が、彼らに連なる作家であると多くの人々が気付いたきっかけは、本作だったとのちに語られることになるだろう。


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