現代の現実を足がかりに、ユートピアを思い描こうとする想像力が辿り着く場所は、ディストピアとよく似ている。あるいは、世界平和を実現しようとする振る舞いは、世界征服を試みる振る舞いとそっくりだ。逆もまた、真なり。ディストピアはユートピアであり、世界征服とは、世界平和そのもの。
二一世紀日本SFを開拓した伊藤計劃が『虐殺器官』『ハーモニー』で徹底展開し、芥川賞作家の村田沙耶香が『消滅世界』『コンビニ人間』でアタックしたそのテーマを、一九八六年生まれの新鋭・小川哲は自らの作家性の根幹に据える。第三回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞したデビュー作『ユートロニカのこちら側』は、近未来のサンフランシスコに建設されたリゾートを主な舞台に、ユートピア(≒ユートロニカ)を出現させていた。第二作『ゲームの王国』の舞台は? カンボジアだ。
上巻はフランスから完全独立後の一九五六年より始まる、カンボジアの現代史がベースとなっている。反政府運動の会合に出席する高校教師サロト・サル=のちのクメール・ルージュ書記長ポル・ポト。その隠し子として数奇な運命を辿る、「他人の嘘がわかる」という能力を持つ少女ソリヤ。北西部の小村ロベーブレソンに生まれ、あらゆる「ゲーム」の構造を理解し、無敵の強さを誇る神童ムイタック……。章が変わるごとに十数人の語り手がスイッチし、登場人物それぞれの個人史が高解像度で積み上げられていく。そこへ、共産主義革命という歴史の波が押し寄せる。権力者達が夢想したユートピアは、ディストピアだったことが、複数の個人の目を通して描かれる。
そのリアリティをとことん連打したうえで、下巻では一気に、二〇二三年のカンボジアへと時空を飛ばす。プレイヤーの感情や記憶の質によって勝敗が決まるアクションゲーム、くじ引きで選ばれた政治家の不正を徹底調査するリアリティショー……。SF的なアイデアをふんだんに盛り込みながら、ユートピアを実現しようとする者と、それを阻止しようとする者との戦いが描き出される。
おそらく、下巻からこの物語を書き出すことも可能だったと思う。だが、上巻で記述された個人史が、読み手の脳裡に記憶として焼き付いているからこそ、下巻の戦いがより切なく、熱く感じられる。結局のところ王道のボーイ・ミーツ・ガールじゃん、スケールのでかい鬼ごっこじゃん、という意見は完全に正しい。二人の男女が掛け離れた現実を生きていること、やがて意外な出会いと再会がもたらされることを記述するために、ゲームのルールからまるごと設計しようとする想像力は、清く正しくSF的だから。
ラストに辿り着く未来の場所、そこでしか果たし得なかった感情の交歓には、この物語で唯一、一瞬だけのユートピアの感触があった。客観視点の文体はクールで、シャープ。ラスト八〇ページの段階で、抜群に個性的なキャラを新たに二人投入する、驚異のネタ密度にも痺れた。この一作から、日本の物語カルチャーの潮目が変わるかもしれない。そう信じたくなった。

『R帝国』
中村文則
(中央公論新社)
“党”が一党独裁政権を敷くR帝国で、B国との間に戦争が起こった。やがてY宗国も参戦。なぜ惨劇は起きたのか? 主人公達は真実を求めるが、世論は真逆の反応を示す。日本や世界の現実をあからさまにリンクさせながら、作者が出現させたのはディストピアがユートピアだと感じられる世界だ。
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