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レビュー

「イヤミスの次はゲスミスだ!」暑い夏より熱いゲスどもの競演を見よ! 『悪い夏』

「イヤミスの次はゲスミスだ!」
 第三十七回横溝正史ミステリ大賞の最終選考候補作を決める予備選考会の席上でのこと。予備選考委員それぞれが一次選考で選んだ二十作ほどを輪読し、一作ずつ俎上そじょうに載せて最終選考に残すか否かを決めていくのがその進め方だ。
 本書『悪い夏』の順番が回ってきた際に、予備選考委員の一人から冒頭の台詞が吐かれたのである。人が良さそうな外見なのに、作品についてはしばしば肺腑はいふをえぐるような厳しいコメントを述べる彼女(そう、女性です)の発言に一同爆笑するとともに、あまりに的確な一言に膝を打ったのである。
 そう。第三十七回横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞した本書は、下司ゲスな人間ばかり出てくる作品なのだ。
 千葉県の北西部にある船岡ふなおか市は、海に面した人口三十万人ほどのベッドタウン(たぶん船橋市がモデルなのだろうが、同市に在住の方、怒らないでね)。佐々木ささきまもるはここの市役所に勤務する二十六歳の地方公務員である。一年前に産業観光課という「牧歌的な部署」から生活福祉課・保護担当課に異動になり、佐々木の勤務状況は激変した。「小童」という学生時代のあだ名のように小柄で神経が細くのんびり屋の彼にとって、ケース(生活保護受給者)宅への訪問面談は気が重い。佐々木は怪しい受給者に受給辞退の書類を書かせようとするが、不正受給の強者たちに手玉にとられるばかり。
 そんなおり、同僚で同期の宮田みやた有子ゆうこから驚くべきことを聞かされる。部署の先輩である高野たかの洋司ようじが自分の担当の受給者を脅迫して肉体関係を結んでいるというのだ。そしてそれは事実だった。受給者の林野はやし愛美あいみがセクキャバでバイトをしていた際に、たまたま高野が客として訪れてしまったのだ。自分が報告すれば受給は打ち切られると言って、高野は愛美を脅し始めたのである。宮田と佐々木は被害者である愛美の許を訪れるが……。
 いやはや本当にろくでなしのキャラクターばかりだ。椎間板ヘルニアと静脈血栓塞栓症のため働けないというのが四十二歳の元タクシー運転手山田やまだ吉男よしお。昼酒とパチンコ屋通いが日課で、さらにヤクザの手先となって手が後ろに回る小遣い稼ぎもしている。会社を経営している息子がいるのに絶縁状態と偽って保護を受けているのが、人生ゴネドクがモットーの老女矢野やの潔子きよこ。嘘の診断書を書いて山田の手助けをするだけでなく、必要の無い検査や入院を勧めて税金から支払われる診察料を増やしているのが悪徳医師の石郷いしごうだ。高野の毒牙にかかった林野愛美もかなり度しがたい。無気力の固まりで四歳の娘に対してはほとんど育児放棄状態でときおり暴力もふるう。彼女に生活保護を勧めたことで恩着せがましい態度をとる元レディースで同じシングルマザーの莉華りか。莉華が惚れているヤクザの金本かねもとはセクキャバを経営するかたわら、違法ドラッグの販売や生活保護申請のアドバイスをしては保護費をピンハネしている。
 ウブな佐々木が、愛美と娘の美空に出会ったことが重要なきっかけだった。無気力で無感動で、抗うことなく状況にどこまでも流されていくが、どこか無垢なところもある愛美に佐々木が惚れてしまったことから、物語は大きく動いていく。生活保護という社会のセーフティネットの仕組みを悪用する者たちと、さらにその上前をはねようという悪党が、偶然と必然とによって交錯し、物語はどこまでも暴走していく。「文章が簡潔で、会話も巧(く)」(黒川博行)、「爽快なほどのダウンワードスパイラルなのに、きちんとリアリティに則して(いる)」(道尾秀介)という長所はそのままに、謎解き部分の遊離など最終選考で指摘された欠点が、ブラッシュアップの結果見事に改善され、一流の群像クライムノベルへと変貌を遂げたのだ。優秀賞受賞作ではあるがこれまでの大賞受賞作と遜色はないことを保証いたします。関係者の一人としても嬉しいなあ。


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