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レビュー

深い感銘を与える、著者の新たなる快作

 二〇一〇年、『忍び外伝』で第二回朝日時代小説大賞、同年『完全なる首長竜の日』で第九回『このミステリーがすごい!』大賞をダブル受賞して華々しいデビューを飾り、二〇一三年『忍び秘伝』が第十五回大藪春彦(おおやぶはるひこ)賞候補になるなど、注目の俊英・乾緑郎(いぬいろくろう)の新作長編『僕たちのアラル』が上梓された。
 実に面白い。ことにエピローグ——最後の一文には、深い感銘を受けた。
 しかしこれが何とも、書評家泣かせの作品で、この小説の面白さを紹介しようと思えば、そこかしこに埋め隠されたミステリー的興趣(こうしゅ)——緻密に張り巡らされた伏線の妙手に触れざるを得ない。ネタばらしに繋がりかねない地雷原を、手探りで進むかのような内容なのである。正直に言って、面白さを伝え切れる自信はない。筆者自身の無能ぶりを呪うばかりだ。
 とはいえ、それでは仕事にならないので、出来るだけ地雷に触れないよう気をつけながら、最低限の内容紹介を試みたい。
 プロローグで描かれるのは、ウズベキスタンの片田舎。主人公の井出拓真(いでたくま)が「かつてアラル海があった場所」へ向け、バスに乗車するシーンだ。どうやらその場所へ拓真は「戻ってきた」らしいことがわかる。彼が、『第二世代』と呼ばれた者であることも。
 この短いプロローグは、様々な意味で、実に巧妙に考え抜かれている。ここでまんまと作者の術中に嵌まる読者は、決して筆者ばかりではないだろう。エピローグとの美しくも切ない、見事な対比を含め、近年稀にみる序章・終章と言っても、過言ではない。
 第一章は、主人公を含めた若い男女二組のキャンプ・シーンから幕を開ける。そこで徐々に、この作品が近未来を舞台にした『スフィア』と呼ばれる施設内での物語であることが判明してくる。『スフィア』は大規模な疑似的テラフォーミングで、外界から完全に遮断され、内部だけで空気や水、食料や燃料などの循環が行われている。人口は十五万。満期は三十年。その間は、外に出ることも外から入ることも、一切許されない。都市は丸ごと、厚さ数メートルの透明なドーム状の皮膜で囲われ、内部にはアドと呼ばれる上級市民の管理官と、一般市民のスフィリアンが暮らしており、あと十年経てば、実験は終わる。そんな設定だ。
 いわば、一九九一年から二年間にわたってアリゾナ州の砂漠で続けられたアメリカのバイオ・スフィア計画の発展形である。
 この閉塞した空間でもし、テロが起きたら——というのが本書のサスペンスの肝だ。外部との長期にわたる通信遮断、管理官である主人公の父親の誘拐、そしてカルトによる殺人、集団自殺。まるでジェットコースターに乗っているように、読者は物語のうねりに(ほう)り込まれていく。登場人物の大半が、表の顔と裏の顔を持っており、誰が味方で誰が真の敵か判然としないのだ。伏線を次々回収し読者を驚かす手口(たとえば、国際規模の巨大計画であるにもかかわらず、登場人物の大半がなぜ日本人なのか、等々)はサスペンスの正道ではあるが、このあたりの筆捌きと構成は圧巻の一語。
 しかしながら、本書の最大の読ませどころは、主人公・拓真と同級生・映美(えみ)の切ない恋愛模様にある。決して甘くはなく、べたべたしているわけではないが、あと十年は外に出られない閉塞したスフィアで、互いの夢を語り合うシーンには、自らの思春期に思いを馳せる読者も少なくないだろう。
 さて、この小説を強いてジャンル分けするとすれば、スペキュレイティブ・フィクションということになろうか。SFでもファンタジーでもなく、思索を巡らせた思弁(しべん)小説だ。巻末の参考文献に挙げられているアーサー・ケストラー『ホロン革命』への、著者のひとつの答えという解釈も可能かもしれない。
 いずれにせよ、著者の新たなる飛躍を告げる快作であることは、間違いないところだ。


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