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レビュー

伊勢宗瑞とそれをめぐる戦国時代初期の東国史への関心が高まる――『疾き雲のごとく』伊東 潤 文庫巻末解説【解説:黒田基樹】

坂東の獅子・北条早雲の猛き生き様ここにあり!
『疾き雲のごとく』伊東 潤

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

疾き雲のごとく』伊東 潤



『疾き雲のごとく』伊東 潤 文庫巻末解説

解説 
くろ もと駿河するがだい大学教授)  

 伊東潤氏の『疾き雲のごとく』は、二〇〇八年に宮帯出版社から刊行され、二〇一二年に講談社文庫として再刊されている。今回、角川文庫としてあらためて再刊された。数度にわたり再刊されるということから、この作品に多くの人々が関心を寄せていることがわかる。
 この作品のテーマは、しんろうもりとき、出家して伊勢そううんあんそうずいを称した人物である。すなわち「ほうじよう早雲」である。ただし作品の構成は、宗瑞を主人公にするのでなく、宗瑞の動向に関わりをみせた人物や事件を取り上げた短編六編からなっている。そしてその六編で取り上げられているのは、「どうかん謀殺」がおお道灌といまがわ家の内乱、「守護家のてい」がうえすぎさだまさと荒川合戦、「修禅寺の菩薩」があしかがちやちやまる攻略、「箱根山の守護神」がおおもりうじよりふじよりと小田原城攻略、「まれなる人」が今川うじちかと立河原合戦、「かわらけ」がうらどうすんと三浦氏攻略、という具合である。
 これらの人物や事件は、伊勢宗瑞の生涯において重要な関わりを持った人物や重要な転機をなした事件にあたっている。舞台は、いずれも戦国時代初期の東国である。しかし戦国時代初期、ましてや東国の状況は、一般の歴史ファン、歴史小説ファンにあっても、あまりみのない事柄でなかろうか。「北条早雲」の名は、それなりに知られているといえようが、その実像が明らかになったのはごく最近のことにすぎない。ましてやその周辺の人物や、伊勢宗瑞の生涯における重要な出来事については、ほとんど知られていない事柄といってよかろう。
 そのようななか、伊東氏は宗瑞に関わる人物と事件を取り上げている。そこで何より注目されるのは、当時の最新の研究成果を吸収して、小説の内容を構築していることにある。伊勢宗瑞についての研究は、一九九〇年代から、それまでの通説を覆していくようになっていた。その成果を一般向け書籍の形でまとめたものとして、二〇〇〇年刊行の北条早雲史跡活用研究会編『奔る雲のごとく 今よみがえる北条早雲』(北条早雲フォーラム実行委員会)や、二〇〇五年の拙著『戦国北条一族』(新人物往来社、現在は星海社新書『戦国北条五代』として刊行)、二〇〇七年の拙著『北条早雲とその一族』(新人物往来社)などが出されるようになっていた。この作品には、それらで提示された新しい研究成果が、十分に取り入れられている。
 なかでも特筆されるのは、宗瑞の年齢がこうしよう二年(一四五六)生まれとして、それまでの通説よりも二十四歳若くなっていること、相模さがみ小田原城攻略の時期がそれまでのめいおう四年(一四九五)ではなく、同五年からぶん元年(一五〇一)の間とみられるようになったこと、があげられよう。この作品でも、宗瑞の年齢については明記していないが、登場の段階で青年として描写されている。また小田原城攻略については、文亀元年として記している。そのほかにも、太田道灌の立場を「家宰」(家臣の代表者で当主の代行者)と表現していること、大森氏がおうぎがやつ上杉氏から離叛してやまのうち上杉氏に従ったことなど、舞台設定としてふんだんに当時の研究成果が取り入れられている。
 ちなみにその後も伊勢宗瑞とそれらをめぐる人物・事件についての研究は進展をみていて、現在における研究成果の到達点を示しているものとして、拙著『戦国大名・伊勢宗瑞』(角川選書、二〇一九年)・『今川氏親と伊勢宗瑞』(平凡社、二〇一九年)・『太田道灌と長尾景春』(戎光祥出版、二〇二〇年)などがあげられる。さらに関心を持たれた方はそれらを御覧いただきたい。
 そこで六編の短編に登場する人物について、作品の理解の手助けになればと思い、簡単に説明しておくことにしよう。
 太田道灌は、戦国時代初期における関東を代表する武将で、知る人も多いかも知れない。相模国守護の扇谷上杉定正の家宰で、武蔵江戸城主であった。ぶんめい八年(一四六六)の今川家の内乱を終息させたほか、同九年から同十二年のながかげはるの乱の平定の立役者であり、その存在は当時から、関東一の文武両道の名将として伝説化していた。
 上杉定正は、その太田道灌の主人にあたるが、文明十八年に道灌を謀殺し、その後は山内上杉氏との抗争(ちようきようの乱)を展開した。その戦乱を通じて相模・武蔵南部を領国とし、戦国大名化した。宗瑞の明応二年の伊豆侵攻開始にあたって、宗瑞と同盟を結び、その返礼としてその翌年に、宗瑞に武蔵への出陣を要請した。そうして宗瑞を従えて山内上杉氏の本拠に進軍していったところで、荒川渡河の際に落馬して急死してしまった。
 足利茶々丸は、伊豆一国を領するようになっていたほりごえぼう足利家の当主で、えんとく三年(一四九一)に父まさともの死去をうけて、父の後室(円満院)と嫡弟(じゆんどう、本作ではじゆんまる)を殺害し、実力で堀越公方家当主となったが、旧政知派との抗争が展開され、その状況が周辺地域にも波及していき、宗瑞や今川氏親とも敵対関係になった。明応二年の政変で、異母弟の足利よしずみが室町幕府将軍になると、宗瑞・今川氏親に茶々丸追討が命じられたとみられ、それにより宗瑞の伊豆侵攻が開始される。茶々丸は山内上杉氏・たけ氏の支援をえて対抗するが、同七年に宗瑞の攻撃により自害に追い込まれている。これにより宗瑞は伊豆一国を領国とする戦国大名に台頭するのであった。
 大森氏は相模西部と駿河するが東北部の両地域を領国とした有力な国衆(郡規模の領域支配者)で、小田原城を本拠にし、扇谷上杉氏に従っていた。明応三年の大森氏頼の死去以前、長男のさねよりが当主になっていたが、氏頼より早く死去していたため、実頼の子さだよりが当主になっていたと思われるが、叔父の藤頼が当主になっていたという伝えもある。この点については関係史料がなく、はっきりしていない。同五年の時点では、定頼が当主で、扇谷上杉氏に従っていたが、山内上杉氏の侵攻をうけて同氏に従った。これをうけて同九年頃に、宗瑞による小田原城攻略がおこなわれたとみなされる。これにより宗瑞は、関東の一部に領国を拡大し、以後における関東侵攻の出発点をなした。そして子のうじつなが小田原城を本拠とすることで、子孫は戦国大名小田原北条氏へと展開していく。
 今川氏親は、宗瑞の姉・きたがわ殿どのの子で、戦国大名駿河今川氏の初代になる。文明八年の内乱で敗北してひつそくしていたが、長享元年(一四八七)に宗瑞の活躍により今川氏当主となっている。宗瑞の伊豆侵攻開始後に、遠江とおとうみ領国化をすすめ、さらに領国をひがしかわにおよぼし、戦国時代初期では最大の領国を形成する戦国大名になっている。晩年には、戦国大名の分国法として最初となる「今川仮名目録」を制定するなど、最先端の戦国大名であった。
 三浦道寸は、相模三浦郡を領国とした国衆で、扇谷上杉氏の一族にあたった。相模中郡の岡崎城も拠点として有し、えいしよう九年(一五一二)から宗瑞が相模経略をすすめた際に、直接に抗争した相手になる。同十年から本拠の三崎新井城でのろうじよう戦を展開するが、同十三年に攻略され、三浦氏は滅亡する。これにより宗瑞は、相模一国の経略を完成させ、伊豆・相模二ヶ国の戦国大名となっている。
 これら六人は、いずれも宗瑞の生涯を彩る、重要な人物たちになる。しかもどれも個性的な人々といいうる。しかしながらそれらの認知度は、残念ながら低いといわざるをえない。そのためこうした人々が小説の題材に取り上げられることは、それらへの関心を呼び起こす重要な契機と思われる。この作品をきっかけに、それらの人々、さらには伊勢宗瑞とそれをめぐる戦国時代初期の東国史への関心が高まることを期待したい。

作品紹介・あらすじ



疾き雲のごとく
著者 伊東 潤
定価: 748円(本体680円+税)
発売日:2022年07月21日

坂東の獅子・北条早雲の猛き生き様ここにあり!
時代は血なまぐさい戦乱の世に突入した。将軍家に連なる名門・今川家は、家督争いによって二つに分裂する。一方、この内紛に目をつけた隣国の上杉定正は、名将・太田道灌を送り込むことで介入を目論んだ。道中、道灌は宿泊した寺院で、「宗瑞」を名乗る眼光鋭い青年僧と邂逅する。二人の運命的な出会いが、歴史を動かそうとしていた……。周囲の人々の眼を通して戦国の風雲児・北条早雲の生涯を描いた、疾風怒濤の歴史小説。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322203001843/
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