文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説者:高倉 優子 / フリーライター)
毎年四月になると東京のあちらこちらで、スマホや地図を片手に街中をキョロキョロしながら歩く若者の姿を見かける。とくに大学が密集する文教地区で多く見られる、春の風物詩とでもいうべき光景だ。
都会で始まる新生活に期待を膨らませながらも、どこか不安げな「上京組」の表情を見ていると、私自身、九州からひとりぼっちで東京に来た春のことを昨日のことのように思い出す。そして心の中で彼らに語りかけるのだ。
「そうそう、高層ビルの高さとか、人の多さにびっくりするよね。私もそうだった。でも今ではすっかり道も覚えたし、地下鉄も迷わず乗れるようになったよ。だからあなたたちもきっと大丈夫!」と。
本作のヒロイン・
〈ラベンダー・ハウス〉というかわいらしい名前につられて入居を申し込んだアパートは、おしゃれな物件とは言い難かったし、自室であるはずの二〇四号には、なぜか二〇三号の住人である
さらに、二〇二号に住む女優の卵の
〈ラベンダー・ハウス〉は、
冒頭からこのような見せ場が続く本作、
そうそう、こうでなくちゃ!
赤川作品のヒロインは、ジェットコースターに乗ったのかと思うほど、急転直下で不可解・理不尽な出来事に巻き込まれていき、私たち読者を物語に引きずり込んでいくのだ。本作もまさにその典型というべき小説なのだ。ああ、楽しい。
そしてこれも赤川作品の定番の型ともいえるが、学園生活が描かれる一方で、華やかな芸能界が舞台として登場する。
真弓に誘われて見学に行ったドラマの撮影現場で、依子もひょんなことからエキストラとしてドラマに出演することになり、売れっ子俳優の
うんと年上で大人の魅力あふれる西崎に、依子は少しずつ
「そうそう、少女の頃って大人の男が魅力的に見えるものだし、ましてや相手が国民的スターなら妻帯者であっても、ときめいてしまうのも無理ないよねぇ」と、依子に寄り添いたい気持ちになる。
だって西崎はこんな演技論をサラリと語ってみせる男前なのだ。
役者は自分が目立つことを考える。監督は目立たせてなるもんか、って考える。そのしのぎ合いから、ふっと面白いものが生れてくるんだよ
赤川さんの代表作である『セーラー服と機関銃』や『早春物語』でも、ヒロインの年上の男性に対する「憧れ以上、恋愛未満」の感情が物語のスパイスになっていたが、本作でも同様の図式が成立している。
とはいえ本作の最大の魅力は、なんといっても男に
依子は、男の腕をしっかり捕まえている若い女性の方を見た。厳しい表情で男をにらむと、彼女は言った。
「痴漢ぐらい、と思っているんでしょ! とんでもないわ。泥棒と同じ、犯罪なのよ。ちゃんと罪を償って」
女性の胸やお尻に触るぐらい、どうってことない。──痴漢でない、普通の男でも、こう考えている者は少なくない。
何も、そこまでしなくても……。本人も後悔してるんだし。
駅員にさえ、そう言われたことが依子にもある。
そういう甘えを許す社会なのだ。
よくぞ言ってくれました、と拍手を送りたくなるし、甘えを許す社会を許したらいけないとハッとさせられる。
本作が
ひとり暮しを始めた娘の依子を、遠く、福岡の地から見守る母・
何かに誘われたら、一旦お断りしなさい。あなたはね、自分では分らないかもしれないけど、地に足がついてないの。だから、何でもすぐに返事をしないで、『今夜一晩考えてみる』と決めておくのよ。
私も上京当時、九州に住む母から「戸締まりと怪しい男にはくれぐれも気をつけて!」と再三言われたことを思い出したし、もしかしたら若かりし日の赤川さんも母君からそんな風に言われたりしたのかしら、と楽しく想像した。
この春、上京してきた若者たちはもう都会の生活に慣れただろうか。依子のようなトラブルに巻き込まれることなく、楽しいひとり暮しができていますように。
また、令和という新しい時代を迎えた今、赤川さんには引き続き、男に媚びないかっこいい女性たちの物語を書き続けてほしいと心から思う。
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