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レビュー

男のひとを好きになんてなれないって思っていた……。――『初恋写真』藤野恵美 文庫巻末解説【解説:石井千湖】

不器用なふたりの、みずみずしい青春恋愛ストーリー。
『初恋写真』藤野恵美

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

初恋写真』著者:藤野恵美



『初恋写真』文庫巻末解説

解説
いし(書評家)

 誰かを好きになってしまったとき、どうやって自分の気持ちを伝えたらいいのか。どうしたら持続的な関係を育めるのか。大人になっても正解がわからない。恋ってほんとうに難しい。藤野恵美の『初恋写真』は、恋に不慣れなふたりが、お互いについて理解していく過程を双方の視点で丁寧に描いている。ピュアでフェアな恋愛小説だ。

 ある大学の新入生歓迎祭の日。法学部二年生の星野公平が、友人の笹川勇太と、写真部のブースに待機している場面で物語の幕は開く。男子校出身の星野は、大学に受かりさえすれば、彼女もできて薔薇色の日々が待っていると信じていた。しかし、女子といい雰囲気になったと思っても勘違いばかり。他のサークルには新入生が集まっているが、地味な男子ふたりが並ぶ写真部のブースは閑古鳥が鳴いている。大学デビューに失敗し、現実の過酷さを思い知った星野の前に、ひとりの女子があらわれる。
〈新歓祭のざわめきが消え、背景はぼんやりとかすみ、その女子だけがくっきりと浮かびあがっていた〉というくだりがいい。カメラのレンズの絞りを開き、光を取り込む量を増やすと、ピントの合う範囲が狭くなって被写体の背景はボケる。写真の主題を際立たせる手法を無意識に自分の目に用いて、星野は恋に落ちるのだ。
 星野が一目惚れした相手は、法学部新入生の花宮まい。無骨な一眼レフを首から下げた華奢で儚げな女子だ。心に深い傷を負って高校を中退しており、〈まっさらな自分になって、新しい人生を踏み出して、過去の嫌なことはすべて忘れてしまいたい〉と考えている。
 写真部に入った花宮と親密になるために星野は奮闘する。薔薇園の新歓撮影会や海辺の夏合宿などのイベントを通して、ふたりは少しずつ打ち解けていく。

 恋愛はたいてい、片思いから始まる。せーので同時にお互いを好きになるなんて、滅多にない。星野と花宮の場合は、星野のほうが先に花宮を見初めた。しかも、星野は花宮の先輩だ。たった一年の違いとはいえ、学生時代には大きく感じる。一方的に好意を示すことは、圧力になりかねない。けれども、星野のアプローチは、読んでいてストレスがないのだ。
 星野は〈そんなに美人でなくていいから、ふつうに可愛くて、ふつうに優しい女子とつきあいたい〉と語るような、恋に漠然とした憧れを抱いている〈ふつう〉の男子だ。笹川と一緒に〈いやいや、ふつうに優しい女子とか、めっちゃレアだから〉とツッコミを入れたくなってしまう。〈俺の愛機もペンタックスで、彼女もペンタックスユーザーだなんて、これはもう運命と言っても過言ではないかと〉というトンチンカンな発言もする。そんな星野がだんだん魅力的に見えてくるのは、彼が対話によって成長する人だから。
 対話ダイアローグとは、向かい合って話すことだ。対話をする人は、お互いに問いかけたり、応答したり、意見に反対したり、同意したりする。ふたりでしゃべっていても、一方通行なら独白モノローグでしかない。対話が成り立つ条件は、双方が相手を対等な人間と見なしていること。星野は自分のコミュニケーション能力に劣等感があるようだけれども、誰の言葉でも耳を傾け、尊重することが自然とできている。全然、コミュ力は低くない。
 たとえば、中学高校を通して仲の良かったネムこと伊東奏一郎が星野の家に遊びにくるくだり。恋愛トークになり、星野は花宮の話をする。ネムは星野に衝撃的な事実を打ち明ける。星野は混乱するが、ネムの言葉を拒絶しないし、わかったふりもしない。大事な友達を傷つけないように慎重に、自分の思ったことを真摯に伝える。
 ネムと対話し、未知の一面に触れたことで、星野は自分の気持ちを片思いの相手に押しつけてはいけないと学ぶ。だから合宿中、花宮とふたりきりで行動するチャンスが巡ってきても、無理に距離をつめようとはしない。カピバラやカワウソを見て、サボテン狩りをして、穏やかな時間を過ごす。ささやかな接触はあるものの、大きな出来事は起こらない。ところが、この日を境にふたりの関係は決定的に変わったことが明らかになる。トラウマのせいで男性に対する恐怖心を捨てきれず、誰かを好きになることなんてできないのではないかと思っていた花宮が、星野に対する恋心を初めて意識するシーンは、光にあふれていて美しい。

 そして星野と花宮の恋は成就した。めでたしめでたし……とはならないのが、本書の素晴らしいところだ。つきあいはじめたふたりが直面する深刻かつ繊細な問題を、物語の後半では掘り下げていく。恋人たちが困難に立ち向かうにあたって、やはり対話が重要になってくる。
 ふたりが夏合宿で初デートもどきをしたときに、法律の〈信義則〉について話していたことを思い出す。信義則とは、信義誠実の原則。〈お互いに相手の信頼を裏切らず、誠意を持って行動しなければならない〉という法原則なのだそうだ。花宮は法学部の講義でその言葉を学んで、非常に共感したという。
 星野と花宮の対話は、信義則にのっとっている。お互いを信頼して、恥ずかしいことでも苦しいことでも、一緒にいるために必要ならば言葉にする。行動にも移す。ふたりの生真面目すぎるやりとりは愛おしく、時にユーモアも感じさせる。好きな人に誠実であることって、なんてかっこいいのだろう。恋っていいなと心底思う。
 花宮の母やいとこなど、ふたりの恋を見守る人々も、聡明で頼りになる。いかにもオタク男子なのに星野に的確なアドバイスをする笹川はとりわけ興味深い。
 実は笹川勇太は、藤野恵美が高校生を主人公にして書いた「青春三部作」と呼ばれる小説の登場人物でもあるのだ。本書でほとんど語られなかった笹川の過去が気になる読者は、ぜひこの三部作を『わたしの恋人』『ぼくの噓』『ふたりの文化祭』の順番で(順番は大事!)手にとってほしい。
 どの作品でも、チャーミングな人たちの唯一無二の関係が描かれている。読めば読むほど、藤野恵美自身が物語に対して、信義則を貫いている作家だということがわかるだろう。

作品紹介・あらすじ



初恋写真
著者 藤野恵美
定価: 946円(本体860円+税)
発売日:2023年03月22日

男のひとを好きになんてなれないって思っていた……。
大学2年生の星野は、男子校出身で女子に免疫がない。所属している写真部の新入生勧誘で、カメラを首から下げた女子と出会い、一瞬で心を掴まれた。その1年生・花宮まいは、ある理由で高校に行けなくなった過去がある。男性が苦手なのも、その過去のせいだ。写真部に入部した花宮は、新歓撮影会などを経て、少しずつ星野と仲良くなっていく。花宮に起こった過去の事件を知らなかった星野は、付き合い始めたのち、佳い雰囲気のままつい彼女を押し倒してしまう。その瞬間、花宮の身体は固まってしまい……。不器用なふたりの、みずみずしい青春恋愛ストーリー。

詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322212000521/
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