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レビュー

日本一血なまぐさい家族小説――『血の配達屋さん』北見崇史 文庫巻末解説【解説:杉江松恋】

ようこそ、血と錆の匂いが染みついたこの町へ。
『血の配達屋さん』北見崇史

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

血の配達屋さん』北見崇史



『血の配達屋さん』 文庫巻末解説

解説
すぎ まつこい(書評家) 

 日本一血なまぐさい家族小説かもしれぬ。
『血の配達屋さん』は、第三十九回横溝正史ミステリ&ホラー大賞優秀賞を獲得した北見崇史のデビュー長篇である。前年までは横溝正史ミステリ大賞と通算二十五回を数えた日本ホラー小説大賞が併存していたが、二〇一九年度より統合されることになった。その第一回受賞作ということになる。題名に関しては少し変わった経緯があり、応募時の「血の配達屋さん」が単行本刊行時に『出航』と改められた。手元の本で確認すると奥付の初版第一刷は二〇一九年十月三十一日刊になっている。今回の文庫化でまた応募時の題名に戻されたのである。こういう例はあまりないのではないか。血の配達屋さん。出航。どちらも内容をよく表した題名であると思う。ここにないのは家族という要素だけだ。
『血の配達屋さん』は、大学生の〈私〉が「母が家を捨ててしまった」ことを知る場面から始まる物語である。置手紙を残して母は家を出た後、父は無気力になり、妹のは外で遊び歩き始めた。「もとの平穏な家族に戻すには母を連れ戻すしかない」と考えた〈私〉は、とつという北海道東部太平洋側のへんな町に旅立つ。そこに母はいるらしいのだ。
〈私〉の、家族のため、自分たちのために母を連れ戻さなければならないという考えはいささか幼い。好きにさせたらいいではないか、と思う読者もいると思うが、そうした大学生らしい自己中心的な思考形式が物語を進めていく上でのかぎになっている。視野の狭い〈私〉はよく考えずに行動する傾向があり、そのために幾度も窮地に陥るのである。それに対して母のしずは素晴らしい。なるほどこの人なら生き方を自分で決めるために家を出るだろう、と初登場時から思わせるのだが、中盤からはその存在感が際立っていき、行動の一つひとつが光輝を放ち始める。特に「見なさい。こうなのっ、あなたの母親はこうなの」と〈私〉に対して自分の実像を示す終盤の場面は読者の心に忘れがたい印象を残すはずだ。本作には母が自分のために生きることを選び、息子が自立するという家族解体の要素が備わっている。
 そうした家族の小説であるということを頭のどこかに置いて読み進めていただきたい。作品の前面に出ていて読者に最も強烈な印象を与えるはずなのが、血の要素だ。血、血、血。どこまでも血。血の味と手触り、そして臭いの漂う小説なのである。
 独鈷路戸行きのバスが出る道東の町にたどりついた〈私〉は、それが週一回しか運行されていないことを知って困り果てる。だが、独鈷路戸はネコバスと呼ばれる交通機関を独自運営していたのである。スタジオジブリ的な空想をした方は、今すぐそれを消してもらいたい。「あれはゲボよ、ゲボ。すげえゲボ」とわらわれるほどのおんぼろバスだからである。近くで車体を見た〈私〉はその荒廃ぶりにせんりつする。「人体でたとえてみると、身体の生皮をあちこちがして、にじみ出してきた血液が固まってかさぶただらけになったよう」な外見なのだ。
 このへんから小説には血のモチーフが頻出してくる。ネコバスがたどり着いた町は想像以上の寂れ方をしていた。今では希少価値さえ出てきたカップめんの自動販売機がさびだらけながら稼働している、というだけで時代からの取り残され方がわかるだろう。初めて見た機械に関心を持った〈私〉はよせばいいのに硬貨を入れてみる。すると出てきたものは。
 砂か、いや違う。錆だ。赤茶けた錆が粉状になったものが、どっと落ちてきたのだ。
 こんなに沢山の錆が取り出し口からあふれ落ちてきたということは、自動販売機の内部はボロボロに朽ち果てていて、カップ麵の中身も容器も、びついてしまったということだろうか。
 舞台は海辺であり、潮と錆と、血の臭いがこんぜんいつたいとなって漂っている。やがて海は〈私〉にとって大きな意味を持つことになる。そのことに、潜在的に気づいてはいるようだ。〈私〉は水平線のある景色を見ながら「これは死ぬ時に思い浮かべるべき光景だろうか。このせきばくとした物悲しさに比べれば、血生臭い地獄も、また闇すらみ込む虚無も価値がないように思える」と感じるのだ。原初の場である海は人に生と死を与えるだろう。
 北見は作家を目指して試行錯誤を繰り返してきたが、原点に返って最も書きたいことを小説にしようと考え、本作を完成させたという。それゆえか文体は小説を書くことの喜びに溢れている。いささか、いや、かなりゆがんだ内容ではあるのだが、とにかく描写は精彩で、そこが本作の魅力になっている。これまで書かなかったことに怪物の要素があるのだが、動物のがいからこしらえたようにしか見えない化け物が次々に出てくるのでお気をつけいただきたい。それぞれがようかい小説としても見事な出来栄えで、ぜひ動いているところを見てみたいものだと思う。血の小説なので描写は湿潤感豊かだ、ぬちゃぬちゃ、ぐちゃぐちゃ。
 さらにもう一つ触れてないことがある。本作の根底にはある古典作品に対する尊崇の念があるのだ。作者が最も書きたかったものとはそれか、とホラー小説にぞうけいが深い方なら途中で気がつくかもしれない。だが、ここでは書かないでおこう。日本の限界集落的な情景をそのジャンルに重ね合わせた趣向は見事である。荒涼とした情景が両者の接点か。
 終盤にはそれまでの世界が崩壊していく壮絶な展開がある。せいぜつなのだが、どこかそうかいかんが漂う。北見の、エンターテインメント作家としての資質を示すものだろう。考えてみれば〈私〉がさっさと独鈷路戸を立ち去ればここまで事態はひどくならなかったはずなのだが、彼を町に足止めするプロットも納得度が高く、必然の結末へ向かって物語は盛り上がっていく。ひどいことを楽しく書ける作家なのだ。作者が楽しく、読者もまた楽しい。血と肉の祝祭を、魂めてえがく作家よ、社会に背を向けて己の欲望を書き尽くせ。

作品紹介・あらすじ



血の配達屋さん
著者 北見 崇史
定価: 792円(本体720円+税)
発売日:2022年10月24日

ようこそ、血と錆の匂いが染みついたこの町へ。
家出した母を連れ戻すため、大学生の私は北国の港町・独鈷路戸にやって来た。赤錆に覆われ、動物の死骸が打ち捨てられた町は荒涼としている。あてもなく歩くうち、丘の上の廃墟で母と老人たちが凄まじい腐臭の中、奇妙な儀式を行っているのを目撃する。それがすべての始まりだった――。真の“恐怖”をあなたは体感する。阿鼻叫喚、怒涛の展開に絶句するノンストップ・ホラー! 第39回横溝正史ミステリ&ホラー大賞優秀賞受賞作。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322204000275/
amazonページはこちら


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